死に時を決める
去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。
愛猫は愛犬に会えたでしょうか?
今はもう苦しんでいないでしょうか?
そんなことは誰にも分からないことは
理解しているのですが、
心配でしょうがなく、
とても苦しいのです。
この苦しみはどうしたら
和らげることができますか?
また、私は学生時代から
自殺願望があり、一時期自殺未遂で
入院したりしていましたが、
現在は立ち直り、一点を除けば
まあ普通に楽しく生活しています。
私は飼っている動物たちを
みんな看取ったら
死のうと思っています。
そのことについて自分的には
悲しいことだとは
思っていないのですが、
周りの人には理解されません。
もっとも愛する両親を遺して逝くのは
あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、
両親が天寿を全うするまで
この世に留まるのは
私にとってとても苦痛です。
その理由が先ほど述べた
「ある一点」なのですが、
自分の死は怖くないけれど、
愛する人たちの死が本当に恐ろしく
毎日怯えてしまうのです。
例えば家族が出かける前に
「気をつけてね」と言わないと
事故に遭うんじゃないかと
帰ってくるまで不安で
ソワソワしてしまいます。
まるで自分で自分に
呪いをかけているようで、
解き方がわかりません。
精神薬や精神科医では
解けませんでした。
そういうことの繰り返しに
疲れてしまいました。
なので、愛するペットたちをみんな
看取ったらもう終わりにしたいのです。
自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
病気の症状なので善悪ではない
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、亡くなったペットが阿弥陀仏の力で極楽浄土に導かれるように願いましょう。
極楽浄土で菩薩様に生まれ変わったペットと、いずれあなたも再会できるとイメージしましょう。
さて、死を望むことは病気の症状なので、良いも悪いもありません。
風邪を引いてせきや鼻水が出ている人に、「鼻水を出すのは悪だ!」と怒るのは筋違いです。
でも、せきや鼻水が出なくなった方が楽ですよね。
「死にたい」とも「死にたくない」とも思わずに、気楽に、「死ぬまで生きれば良いだけだ」と鼻歌でも唄いながら毎日リラックスして暮らせれば、けっこう幸せでしょうね。
ペットの死、家族の死、病気、その他諸々。
いずれも人生における苦しみです。
苦しみが発生したら、苦しみに対処しなくてはいけない「宿題」が同時発生します。
生きものには必ず苦しみがある、それが真理だとお釈迦様は発見されました。
つまり、宿題がなくなることを期待するのは間違いなのです。
毎日必ず苦しみ・宿題はある。
でも、よく見てみたら、今日の宿題を今日やれば良いだけです。
夏休みの宿題を一日でやりきる必要はありません。
あなたは、将来の宿題のことまで心配しすぎではないでしょうか。
ペットが死んだらそれに対処、家族が死んだらそれに対処、その都度その都度、わからないことは調べてそれなりに対応していけば大丈夫です。
人生は、どうせできることしかできません。
今できることをできる範囲でやれば良いと、安心しましょう。