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人を殺したいという動機で人を殺すというニュースを見て

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有り難し有り難し 54

人を殺したいという動機で人を殺すというニュースを見て自分の興味本位だけで人を殺してしまう犯人の狂気に恐怖を覚えました。

そしてそんな犯人に対してもう自分の欲望が満たされれば何をやってもいいという部分にもうこんなことをする奴はもはや人間ではない、見た目は人間でも人間じゃない化け物のような何かなんじゃないかという怒りも感じるようになりました。

被害者のことを考えると悪くないのに無残な死に方をした被害者、悪いことをしたのに司法制度の欠陥でのうのうと生きている加害者という不条理を考えるとただ死ぬのではなくひたすら酷い死に方で死なないと気がすまなくなってしまいました。もはや人でないから人権を剥奪する刑でも課したいくらいです。

できれば自ら制裁を加えていくらいですがそれはできないのでこのやり場のない怒りをどうしたらよいでしょうか。

2015年1月29日 2:35

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二度と繰り返さないために・・・

この様な事件で最も大切なことは、この加害者の成長過程で何があったのか? きちんと分析し、後に同じような事が起らない様にすることです。
加害者が参考にした事例の中に、神戸の「酒鬼薔薇」事件があります。
その供述調書の文章。
『僕は家族のことなんか何とも思っていなかったのですが、お祖母ちゃんだけは、大事な人だったのです。そのお祖母ちゃんが死んでしまったのです。僕からお祖母ちゃんを奪い取っていったのは、死というものです。だから僕は「死とは何か」をどうしても知りたくなり、最初はカエルやナメクジを殺していたのですが、その後は猫を殺していたんですが、猫を何匹殺しても死とは何かわからないので、やはり、人間を殺してみないとわからないと思うようになっていったのです。』
そしてこの少年、大好きなお祖母ちゃんの死に際に立ち会わせてもらえませんでした。
今回の事件の加害者にも、似たような経験・動機があったのかもしれません。
現代は病院で死を迎え、また死を隠避する考えもあり、若年層や子供が、たとえ家族・親族の死に際でも、その現場を見る事・体験する事も殆どありません。
お釈迦様の若き日、シャカ族の王子であった頃、父王が息子である王子に現世を理想郷と偽るために、城の外に王子を出さず、老人・病人・死人を見せなかった。王子にとって偽りの理想郷が逆に疑問となります。
現代の大人が死を隠避し、子供に経験させない考えは父王の行為と同じです。
王子は城の外に出る事で、老病死そしてこれを避けてられない私達の生涯全てが「苦」であるとして、「生老病死」すべてはままならない事を理解し、仏への道・悟りの道を歩まれます。
20代のあなたは家族・親族・愛する人の死別に立ち会った事がありますか?親しい人の死は悲しい事ですけど隠避するものではありません。あなた自身が親しく愛する人の死を受け止める経験をし、将来子供を持った時に機会があれば同様に体験させ理解させて下さい。
制裁よりも重要なのはこんな事を繰り返さない為に、自分に出来る事を考える事です。

長々、稚拙な事を述べましたが、あなたは取り柄がない人ではありません。
まずは家族を見つめて、お互いの愛情を感じて下さいネ!

2015年1月30日 17:34
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有り難し
おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしておりま...

そう思ったあなたは同じです。

 「加害者は死刑になればいい。」とよく報道されますが、この時点でこの人達も同じだと思いました。犯罪を犯した人に人間の尊厳を与えなくてよいなら、そう思った時点で我々も犯罪する側の気持ちと同じになるのではないか?ワシはそう思っております。今回の事件も本当に加害者の言ったことは本当なのか?報道がそもそも大げさに取り上げすぎなのではないか?それを真に受けて非難する方々はどうなのか?常にワシは疑問に思っております。
 怒りや憎しみは犯罪者でなくても起きる場合もあります。そこをグッと抑えるだけでなく、相手を理解する寛容さが大切です。これを『忍辱(にんにく)』と言います。仏教徒における大切な行いの1つです。只そこが犯罪を犯した人が足らなかったことの1つです。あくまで合法的に薬品を集めようが、惨い映像を観ようが、忍辱の行いをしっかり抱いておれば、ワシは第1関門はクリアーしていると思います。人の趣味をとやかく言う気はサラサラありません。
 残念ながら、忍辱を身に着ける教育が下手すぎるを思っているのはワシだけでしょうか?僧侶になると修行の中から忍辱を身に着けていきます。一番は戒律という規則の中にいる集団生活からあります。坐禅や宗派独自の修行にもその成果は現れていると思います。ワシは修行中は気付きませんでしたが、終えてから尊さに気付きました。怒りが湧いてきたら、呼吸を整え、相手を観察し、悪気が無いことを確認したら怒りがいつの間にか収まっている。
 皆さんも今の時代は自分で身に着けるしかないので、自分の方法(あくまで合法的に)で怒りや憎しみを抑える方法を身に着けてください。
 

2015年1月31日 14:10
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

質問者からのお礼

養法寺 大熊様

ご回答ありがとうございました。この手の犯罪者をサイコパスと言うそうなのですが生命が死ぬことに対して疑問を持つことは悪いことだとは思わないのですがそれを試そうとすると試された側に苦痛が生じる、生命が死ぬと悲しむ存在がいるからやってはならないという大原則より欲望が勝って誰も止められなかったというのは非常に残念なので大熊様の仰るとおり分析をしてどうすれば再発防止につながるかを見つける必要はありますね。

ちなみに私は2年前に祖父が他界しました。今でこそ毎日ではないのですがたまにもういないのかという空虚な気持ちにはなりますね。

大鐵様

ご回答ありがとうございました。忍辱、そういったものもあるのですね。私は忍辱について知らなかったのでまた一つ知識を得ることができました。

忍辱と言って良いのかどうかは分かりませんが私もさすがに怒りで加害者の実家を調べて匿名の電話で抗議したり、もっと言うなら拘置所に行ってすきを突いて殺す計画を立てるはしていません。その裏にはそんなことをしたら自分も刑務所に入れられてしまう、刑務所に入ったら自由がなくなる、そんな恐怖で理性を一部だけコントロールしているのかなとは思いました。

ただ、あくまでもそれは一部のコントロールであり完全なコントロールはできてはいませんが確かにマスコミの言っていることだけを真実と無意識に思い込んでいるフシはあるかも知れませんね。被害者のことを考えると犯罪者をいい人と思うのは難しいのですが更正の余地が0%から1%くらいはあると思うことから初められたらなと思いました。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

女子高生コンクリート殺人事件犯人への罰

以前、女子高生コンクリート詰め殺人事件という悲惨な事件がありました。 この事件を知り私は、本当にこの事件の犯人が許せず『司法は少年法で犯人たちを庇ったが、神仏は必ず彼らを罰してくれるはずだ』『因果応報があるのなら、この犯人たちは地獄に落ちるだろう』と願いました。 しかし、事件から数十年経過し、数年前、この事件の犯人がまた別の事件で逮捕されたそうです。 聞けば犯人の一部には妻や子供もいて、しかも『俺は人を殺したことあるんだぞ』と、件のコンクリート詰め殺人事件の話をネタに別の人を脅して再逮捕されたそうですね。 これを聞いて、私は絶望しました。 全く反省していないどころか、むしろあの事件のことを新しい犯罪を犯すためのネタにしていたなんてあり得ないです。 コンクリート詰め殺人事件の被害者の女の子は何の落ち度もないのに凄惨な殺され方をされ未来を断たれたのにも関わらず、犯人には家庭もありのうのうと生きています。さらに反省せず再犯を犯してます。 神仏は彼らを罰してくれないのでしょうか? それから、インターネットを見る限り多くの人たちが犯人に怒りを感じ、掲示板に『死ね』などと発言していましたが、犯人たちは一向に元気です。よく『言葉には言霊の力がある』と言われますが、あれだけ恨まれ『死ね』と言われているにも関わらず『言霊の力』は彼らに届いていないのではないか、と思いました。 『言霊の力』だけでなく『生霊』や『念の力』に対しても疑いを感じはじめました。あれだけの人が怒りを感じているのだから誰か一人くらい『生霊』や『念』を無意識にでも意識的にでも飛ばしていてもおかしくないはずなのに、犯人はのうのうとしているみたいだからです。 これでは、犯人に殺された被害者が浮かばれません。 神仏の罰はないのでしょうか。因果応報はないのでしょうか。言霊の力や念の力、生霊なども全部存在しないのでしょうか。

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ターミネーターか人間のどっちかなのか

死刑制度についての質問をさせていただきます。 僕は死刑制度に賛成です。理由は一つで、犯罪への抑止力となっていることと、今までそれで社会が成り立っていたのだから急に廃止することで世の中が混乱するからです。 でも、このままでいいとは思っていません。僕が思う死刑によるデメリットは、 1.刑務官(死刑執行人)への精神的ダメージ(たぶん) 2.死ねば更生するチャンスは二度とない 3.死刑制度は国民の国家に対する甘え 4.死刑囚の国(?)への恨みは他の誰かが相続すること、 つまり殺意は死なないということ →3国家に対する甘えについては、国民が国家に殺してもらうだけでは誰も成長しないのではないかと思ったからです。結局は現状維持で、また同じ苦しみが繰り返されるから、殺人者に共感する能力が育たないまま。 そこで、死刑制度を新しくすることを考えてみました。2と4は変えられないので1と3について解決策を考察しました。 それは、「刑務官(死刑執行人)の仕事が減り、遺族または志願した者が死刑執行代理人となり国の代わりに死刑執行のボタンを押す。代理人は遺族を最優先とすること。死刑執行の一週間前までに5人を死刑執行代理人と決定し、決定してから覆せない」というものです。 つまり、『明らかな人の殺意によって死刑を執行する』という案です。 こう考えた理由は、 A.国に殺人を止める力は無いから。死刑制度は抑止力としてもう限界まで来ていると思う。 B.死刑囚は遺族の悔しさ、怒り、憎しみ、恨み、殺意を真正面から受け取るべきだと思ったからです。(理由は、なにより殺して欲しいと望んでいるのは遺族だから、その殺意が伝わればいずれ更生するための種になるかもしれないから。そもそも国に殺意は無いから。) 前回の問答の後、他の国と比べてみて考え 、死刑が無くても穏やかな国になるが一番いいのではないかと考えました。それに、今ある社会正義は必ず崩れ去るものだと思っています。 でもそんなこと出来やしないので、死刑囚の殺され方なら変えられるのではないかと思いました。僕はターミネーターか人間に殺されるなら人間を選びたいです。(笑) もう何が正しいのか分かりません。 いろいろ間違っているところもありますが、ご回答頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
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私は幼い頃から何か違和感があります。 小学校1年生のとき、クラスメイトの一人が宿題を忘れて教壇の前で先生に怒られていました。皆は自分の席に座りその光景を見ていました。勿論わたしも。 すると先生が私の名前を呼び、「〇〇君は悪い事をしたよね?」と聞いてきました。 私は、目の前でまるで晒し物みたいにされているクラスメイトを見て、違和感を覚えました。確かに宿題は先生との約束だけど、一方的な約束だし、わざわざ皆の前で叱り、恥ずかしい思いをさせなくてもいいのではないか、そして、普通は先生という子どもにとって学校での絶対権力者に「悪いことよね?」と言われて首を横に振ることなんてできません。でも私は最期、先生の怒りが落ちる間際まで首を縦に振ることが出来ませんでした。それが小さな抵抗でした。 それからは、なぜ私は生まれてきたのか。 なぜ学校に行かなければいけないのか。 先生が言うことに皆当たり前の様な顔をして従い、疑問を持たないのか。 大人の言うことは絶対に正しいのか。 校則には厳しいのにいじめは見て見ぬふりのか なぜ動物は殺しても罪に問われないのに、人は殺してはいけないのか 心と肉体は殺すのはどっちの方が悪いのか いじめで自殺に追い込まれても何故罪にならないのか 沢山考えるようになりました 私は自分に正直に生きたいと思うのですが、自分がやりたくないことを美化して言っているだけだと言われます。 それはワガママだと言われます。 私は悪口は言いたくないし、したくないことはしたくありません。私の正直に生きるとは、人に対して誠実であり、理解すること、愛をもつことです。 傷つけてはいないだろうか?ちゃんと向き合うことが出来ているだろうか? 気をつけてはいるのですが、確かに私は自分の意見を押し付け自分の型にはめてしまったり、自分の意見に執着してしまうことがあります。大人になるということは自分が折れることが出来るということだと思います。 でも、ねじ伏せられて皆同じ、個性がないとも思ってしまいます。出る釘は打たれるのだと感じます。 理想と現実の狭間で辛さを感じます。 勉強よりももっと大事な事があるのではないかと思ってしまいます。 思春期だからと言われますが、関係なしに私はやっぱり自由や愛に憧れを感じます。 でも、人に言っちゃいけないことだと言うこともわかっています。 なので、相談できずに苦しいです。

有り難し有り難し 6
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私は高校生です。本を読み漁っても曖昧なヒントしか得られません。「人は人を殺してはならない」というのは分かっているし、人を殺めることに肯定的な訳でも加害者を庇う訳でも無いけれど、加害者の生い立ちや事件の背景を見た時に、とても悲しくなるのです。(快楽殺人とは別) ニュースやマスメディアでは表面的に事実を淡々と言い、加害者を責めます。みんなどこか他人事のように感じるのです。 でも、もし、誰かが加害者の背景を事件の裏みたいなものを見れていて、そこに愛や差し伸べられる手があったのなら、何かが変わっていたのかもしれない。生まれながらに悪い人なんていないし、なにがこの人を歪めてしまったのだろうと考えるのです。 繰り返さないためには咎めるのではなくて、愛を持ち続けることでは? 貧困や虐待など、社会全体が目をそらさないことだと思うのです。 なぜ人を簡単に殺めるの?という人がいるけれど、じゃあ、なぜそこを追求しないの?と思うのです。私は加害者の育った環境は大いに影響していると考えるからです。もしも手を差し伸べることが出来たなら、被害者の人生も加害者の人生もこんな結末にはならなかったのでは?と無念の涙が止まりません。高校を卒業したらなにか私にできないだろうかと思います。 私はこのことを言ったりすると、誰もが顔をしかめます。私は私の話を理解できる人に出会えたことがありません。理解されない時のひとりぼっちのような寂しさが辛いです。 私の考え方が変わっているから、みんなに合わせなさいと言われます。私は普通なのに。 学校は苦痛で同級生とは話が合わず、悲しさと自分の至らなさと無力さに苦しんでいます。

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これは私自身の見識による物なので一概に言えない部分も有ると思いますが… 何故ネットや匿名が許される場所、または普段の生活や仕事でも 一度の失敗で人を痛烈に責めたり、艱難辛苦を煽る人々が居るのでしょうか? 中には疾患を抱えてしまった方や障害と言われる人まで責められる人も居ます 例えば家庭内で虐待を受けた人が学校に相談しても、または虐めが原因で教師に 相談しても取り合ってくれなかった子ども達のニュースを見ると酷く思いますが、更に子どもの時に大人に相談しても聞いてくれなかった事で大人に対する信頼を失い、20代や30代になってようやく行政機関や周囲に相談できた方も居ます。 それまでにもネットや匿名の場所、現実世界でも「甘えるな、苦しむのは当たり前、苦しんだ?だからどうした相談するのは非常識だ、誰もお前の話など聞いていない、お前には先が無い」などと徒らに弱者を責め煽り更に弱者を作り出し、他人同士で生き甲斐を奪い合ってるのを見ると、何故互いに尊重し問題を解決する為の話し合いをしないのか?と思ってしまいます。 お坊さんは、この様な場合どの様な対処法が必要だと思いますか?

有り難し有り難し 11
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