相手を憎むことで自分は悪くないと思いたいだけなのでしょうか?
数年前、叔父がなくなりましたが、近しい人が亡くなったと言うのに、私は悲しいと言う感情が全く起こらなかったんです。涙も出ませんでした。
私は叔父が嫌いでした。たぶん今も。
そして許せないと言う気持ちもありました。
きっかけは12年前、中学生の妹を亡くし、その葬儀の席で叔父が口にした言葉です。
叔父は寺の住職をしていました。
彼は妹と憔悴した母を前にして「運命だったんだね。神様にもっとお願いすれば助かったかも」と言ったのです。
怒りで頭が真っ白になりました。
それが仏に仕える人の言葉なのかと。
運命なんてそんな簡単でありきたりの言葉で済ませてしまえるほど、叔父にとって妹の命は軽いものだったのかと。
そもそも、妹の発作が頻繁に起こる原因になったのは、子供がいない叔父の跡継ぎを妹に、と毎日のように言い、妹に過度なストレスをかけ続けたことなのに。
自分には夢があるのに、やりたい事やっちゃいけないの?と、泣いた妹の姿を忘れられません。
私が結婚して家を出たことで、矛先が妹に向いてしまいました。
夫と出会い結婚した事に後悔はありません。
夫も子供も、夫の家族も大好きです。
でも、私が別の選択をしていたら、妹は今も生きていたのでは、と思うことがあります。
思う度に、叔父を許せない、嫌い嫌い、妹を返せ!と激しい感情に襲われます。
でも、私の選択が妹の死の一因になっていないとも言いきれない。
叔父を許せないと思うことで、自分が逃げているんじゃないかと、叔父を許さない事で自分は悪くないとそう言いたかったのではと、思ったら、自分が凄く嫌な人間に思えて仕方なくなりました。
そう思ってもやはり、叔父が亡くなったことを少しも悲しいと思えません。
妹を想う度に叔父の事まで思い出して苦しいです。
先日妹の13回忌を執り行いました。
一つの区切りになればと思い、投稿致しました。
自分の心のうちをうまく言葉では表せず、読みにくいかと思いますが、アドバイスをお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゆずさんの心次第
早くに妹さんを亡くされ悲しい思いをされましたこと、お察し申し上げます。
又、僧侶であった叔父から、冷たい言葉を投げかけられたこと、当時のゆずさんにとっては衝撃的なことであったと思います。
叔父が、まるで他人事のように「もっと神様に祈れば助かったのに」これは僧侶の方がたやすくいうべき言葉ではありません。許せない気持ちは理解できます。
さて、今は、様々なことで、ご自身を責めておられるようですが、それは止めましょう。
今日までの選択は、間違っていなかったと修正しましょう。それに、過去の出来事を考えても現在が変わる訳ではありません。
妹さんの13回忌も済まされたことですので、その思いはしっかりと届いてますし、決してゆずさんを恨んだりはしていません。
さらに、叔父についても許せないという気持ちは分かりますが、もう亡くなられたのですから、もうその思いも止めましょう。考えれば考えるほど、辛さは募ります。
又、恨んでいたとしても、叔父には関係のないことです。ゆずさんが思っているだけだのです。だから、それは不要なことです。
今日からは、ご主人と子供さんの幸せを考えて、楽しい人生にしてください。
それが妹さんへのご供養にもなります。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。
お言葉をいただいた日から私なりに色々と考え、思い過ごして参りました。
以前ほど叔父に対して恨めしく憎く思うことはなくなりました。
ですが、やはり許すと言う気持ちに至ることは出来そうにありませんでした。
相手は亡くなっていますし、私の心の問題だとおっしゃって下さいましたが、記憶の中の妹の苦悩と苦しみ、涙...思う度にやはり許せない、そう思うのです。
ここまで誰かを嫌悪したことが今までなかったので、正直自分の感情をもてあましているだけなのかとも思うのですが、今の私にはそれをうまく昇華することは難しく思います。
ただ今までよりは穏やかな気持ちで妹を思い出すことが出来るようになりました。
悲しい思い出だけではなく、妹と過ごした15年間は楽しく明るい思い出でいっぱいでしたから。もう会えない寂しさもありますが、いつか笑って妹の事、話せるようになれたら良いなと思います。