体罰について
教育の現場で体罰が問題になることってよくありますよね。皆様は体罰についてどうお考えでしょうか?
私は特定の条件下のみ体罰を使うことを認めてもよいのではないかと思います。その特定の条件下とはいじめっ子がいじめられっ子に暴力を振るった時です。
その理由として一つ目に暴力を振るわれた痛みをいじめっ子に理解してもらうためというのがあります。一度暴力を振るわれて自分で痛みを感じないことには相手の受けた辛さは分からないと思います。二つ目はいじめられっ子が不平等だと思うようにさせないためです。自分は肉体的に傷ついたのに相手は口先だけで終わった、そう思っているいじめられっ子も中にはいると思っています。(三つ目に言葉で言っても分からないいじめっ子がいるというのもあるといえばありそうですね)
ここで誤解してほしくないのが私は決して根性論で積極的な体罰を求めている人間ではないということです。私も体罰で大怪我を負った生徒がいるのは知っています。だからこそ体罰はあくまでも限られた条件下のみで使ういわば最終手段的な形であって欲しいと考えています。決して忘れ物をしたとか部活の試合に負けたという理由で濫用してはならないと思っています。
最後に理想を言えば体罰を使わず暴力を振るったいじめっ子の心を抉るような、暴力と同じだけのもしくはそれ以上の効力を言葉で二度と暴力をしないようにさせればいいのでしょうがそんな理想的な言葉が本当にあるのかは私が知る範囲では残念ながら今のところないように思えますね・・・。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
禁止した方がリスクが少ない。
仏道修行は肉体的苦痛を伴うものが多いです。
また一部の教団では「体罰」といえるような環境下で修行している実態もあります。
指導僧侶の体罰による骨折等で裁判沙汰になったこともあります。
教育の上においては、「体罰」があって然るべき時があるのかもしれません。
しかし、手をあげることの意味やリスクを考えることができない未熟な大人が多いので、「体罰」は全面的に禁止するしか方法はありません。
「体罰」を禁止リスクよりも、「体罰」を容認するリスクの方が高いので、禁止するのがベターなのでしょう。
質問者からのお礼
釈心誓様
ご回答ありがとうございました。確かにリスクは高いですよね。被害者の受けた同じ痛みを分かってもらいたいのですが当たりどころ云々とか色々と問題はありますよね。やはりどうも不条理を納得する方法というのは難しいですね。