すぐ泣く自分が嫌いです
こんにちは。
私は今自動車学校に通っています。
仮免許を取得し、現在は路上での技能を行っています。
けれども、自分はまだまだ周りが見えておらず状況判断が乏しく、沢山注意され、叱られています。
自分の運転が危険で、免許取ったのちに事故を起こさせないよう教えるために先生は注意しているのは理解しているつもりです。
ですが注意され、他者から諭された時、自分の不甲斐なさやできなかったことに対してイライラして、泣きたくもないのに泣いてしまいます。
映画など感動して泣いたり、もらい泣きや嬉し泣きなど今まで一切なく、いつも泣く時は、人から注意されなんで自分は出来ないんだと思う時ばかりです。
こういう時泣くと相手に迷惑かけてしまい、人に気を使わせてしまうため余計に嫌です。
叱られなれてないと言われれば、確かに私は他の人から叱られた経験は少ないと思います。
しかし、もう叱られた時泣いて済むような年ではありません。自分のことだけでしか泣けず、泣いて相手に迷惑かけていると思うと余計に泣きたくなります。
もう泣きたくありません。そのために自分はどう変わっていけばいいでしょうか。
よろしくおねがいします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
反省の涙を 大事にね。それが、あなたを強くする◎
辛かったり、また悔しかったりして、泣いてしまうことがあったって、いいのですよ。それが、次の一歩への決意に繋がります。
(私も、無力さに泣いてしまうことだらけです。それが今の生きる力になっています)
あなたは、なぜ 涙が出るのかを、ちゃんと知っている。自分がこれからどうあるべきか、周りの意見が身に染みている。それが答えじゃないかしら。
運転免許に関しては、皆 生まれて初めて、自動車を実際の路上で運転しているのです。そんなに簡単に、感覚が身につくものでもありません。経験の積み重ねです。でもね。あ、失敗した、ゴメン、では済まないから。特に厳しい指導を徹底されているのだと思います。ファイトだよ(*^^*)
そして、反省の涙を 大事にね。それが、あなたを強くする◎
感情には必ず理由があります。
例えばです。
誰だって怒りたくはないですよね。
私だってそうです。
では、怒らないように努力したら、怒らなくなるのでしょうか?
私はならないと思います。
私もお坊さんになったら、それまでと違って、怒らなくなったわけではなくて、やはりガンガン怒ります。泣きます。
悲しみます。
われわれ浄土真宗(私は真宗大谷派に所属しています)では、一生懸命修行しても、やはり怒らない人間にはなれないと感じています。
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人もやはりそう感じています。
別に親鸞聖人が言ったからそう、なのではなく、事実がそうなんです。
また、われわれ浄土真宗は「南無阿弥陀仏」の念仏を称えますが、どんなに長年念仏しても、やはり怒りたくなくても怒ってしまうのは変えられないでしょう。
あなただって、理屈では教官の指示がおかしくないことはわかるし、あなた自身は、泣きたくないんです。
でも泣いてしまう。
感情は「起こす」ことができるものではないんです。もしそう思っているとしたら、それは思い込みです。
感情は「起こってしまうもの」なんです。それが事実です。
私が、京都のお坊さん養成学校に居た時、学院長の狐野秀存先生から、こんな言葉をいただきました。
・・・「嫌だ、辛い。腹が立つ」という感情が起こってしまうのはどうしようもないんだよ。
でも、そういうつらい感情が起こるには、必ず理由があります。
その理由を自分で思索し、友達や先生に話してみる。
そうすると、つらい感情自体が消えてなくなりはしないけれど、少しだけ、自分を許せるようになりますよ。
こんな言葉をいただきました。
友達や家族に、「なんで私、悲しいんだろう?泣いてしまうんだろう?」とお話してみたらどうでしょうか?
答えはでないと思います。
なんであなたが泣いているかには、必ず理由はあるけれど、その答えはたぶんでません。
答えはでなくても、他者と問いを共有すると、なぜか少しだけ、自分をゆるせるようになると私は感じています。
お寺に出向いて、お坊さんとお話する、お坊さんの法話を聴くのもよいと思います。
もし、浄土真宗の法話を聞いてみたいならば
http://shinshuhouwa.info/
にいろいろ載っていますよ。
他宗派さんの事情は私も詳しくないのですが、他宗派でも法話はやっていると思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
とても気持ちが軽くなったように思います。
今まで泣くことは恥だと思っていたので、
泣く自分を許せませんでした。
しかし、お話を聞いて、泣く自分を許されたような気がしてとても安心した気持ちになれました。
誰かに話してみるというのは勇気がいりますが、
今回このことを相談して、人に打ち明けることでだれかと共有できるんだということを知りました。
まだすこし運転するのに臆病になっていますが、
お言葉を胸になく頑張りたいと思います。