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飼っているペットの死について

回答数回答 3
有り難し有り難し 36

今年の1月に15年一緒に暮らしていた実家の犬が病死しました。
体調が悪くなってから2週間、緊急入院した次の日に亡くなりました。
父は仕事で無理でしたが、母親と兄弟は先生が集まるまで心臓マッサージをしてくれて死に目にあえました。
でもその時先生から痛がって死んでいったと告げられました。

この子は本当にいい子で無駄吠えもしないし、人を噛んだりしない、病気も全然しなくて、近所の人からもすごく愛されていました。
でも最後の最後で痛がって死んでいったと聞いて凄く申し訳ない気持ちです。
せめて痛みなくいかせてあげたかったと
今でもふと涙が止まりなくなります。

この子が亡くなる1ヶ月前から主人と相談して猫を飼い始めました。
いつかはお別れしないといけないとわかっていましたが、
まだ死と言うものにあったことない私は
愛犬が亡くなった時にこんなに悲しいものなんだと実感しました。

時々この子(猫)も苦しんで死んじゃうのかな?とか愛犬が心臓マッサージされてたときの事を思い出して苦しくなります。

こういうのは時間が解決してくれますか?
この気持ちをどうすればいいのでしょう。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

再び巡り会う日まで

拝読させて頂きました。大変悲しみ多くおつらい思いをなさっておられることとお察し申し上げます。先ずはそのコが仏様のもとに導かれて仏様のもとにてご成仏なさって頂く様にと心よりお祈り申し上げます。そのコはその生命をもって生命の有り難さや尊さをあなたに教えられたのですね。あなたからもどうぞそのコのご成仏をお祈りなさって頂き、そしてこれからも皆様をお見守り頂く様にとお願いなさって頂きたいと思います。必ずやそのコはあなたをこれからもお見守りなさってくれます。
そしていずれあなたの生命が全うされる時には必ずやそのコに再び巡り会います。その再会をどうぞ楽しみになさってくださいね。それまでの間は見守ってくださいね、とお願いなさってくださいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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一切衆生は諸行無常の中を生きています

 一切衆生とは、すべての「生きとし生けるもの」のことを言います。哺乳類も爬虫類も両生類も魚類も鳥類も昆虫類も植物も菌類も微生物も、「生きとし生けるもの」です。

 先に申し上げましたように、仏教では人も動物も昆虫も植物も同等です。それぞれの個体差が厳然とありますので、現実の地球上の活動には差異がありますが、基本的には「諸行無常 諸法無我 一切皆苦」の世間の中に生きております。それぞれの生命体によって生きる環境が異なります。また、それぞれの生命体によって所謂「寿命」も異なります。
 すでにご承知とは思いますが、人間に平均寿命と呼ばれるものがあるのと同様に、それぞれの生命体にはそれぞれの生命体の平均寿命なるものがあります。身近なペットで言えば、犬や猫で20年以上生きるケースは極めて稀でしょう。人類に比べれば、かなり短い「寿命」と言わざるを得ません。それ故に、「ペットを飼う」ということは、人生の中で何度も「愛玩するペットと出会い」「愛玩するペットとの別れを味わう」ことの繰り返しです。失礼ながら、ペットを愛玩する方々でそういう道理をわきまえていない方々が結構おられます。仏教では四苦八苦という教えを説きますが、その中の一つに「愛別離苦」という教えがあります。「愛するもの、愛しいものとは必ず別離の時を迎える。一切衆生はその別離の苦しみを味わう。」という意味です 愛するペットと別離することは、実に悲しいことであり、苦しいことであると思います。既に繰り返し申し上げましたように、その苦しみ悲しみから逃れることは出来ません。好むと好まざるにかかわらず、真摯に向き合い真摯に受け取めるしかありません。
 
 ペットと共に過ごせる楽しい時間は極めて限られたものであり、その楽しい時間の先には「別離の時」が必ず訪れます。別離の時には、「愛するもの」の死を悼み、「愛するもの」との別れに涙し悲しむことでしょう。ペットを飼う限り、必ず訪れることです。別離にあたってすべきことは、共に過ごした日々に感謝することであり、「来世でまた会おう。来世でまた楽しい日々と過ごそう。」と語りかけ、愛するペットの冥福を祈りましょう。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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生き物は必ず死ぬのです。

すずさんへ、こんにちは。

大好きだったペットが亡くなることは辛いことです。私も何回も経験しています。
でも動物には寿命があります。そして犬・猫は人間よりも短い寿命ですから、ほとんどの場合、飼い主が死ぬ姿をみなければなりません。でもその短い命をあなたの家族に預けたのですから、悲しみよりも感謝で送ってあげてくださいと、私はお話します。あなたが悲しめば天国のペットも悲しむはずです。

人間として、親や子供、愛する人が亡くなれば辛いものです。その辛さを柔らげる生活の知恵として、親交に年回供養という儀式が生まれ、徐々に期間を長くして人の死を受け入れるシステムを作りました。今はペットも家族同様に育てている方はたくさんいます。だから家族がなくなった同じ悲しみを受けるのです。

もし辛くていられないので、うちのお寺のようにペット供養をしているお寺さんを探して供養をしてもらい、いろいろと心を癒してくれるご法話をお伺いしましょう。そのためのお寺なんですから。

合掌

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おきもち

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質問者からのお礼

ありがとうございます。
お墓参りに行ってきます。
また会えることを楽しみに待ちたいと思いました。

「ペット・大切なものの死」問答一覧

ヘルパーに酸素マスクを外され、、、

母は老人施設で老衰で亡くなりました。最後は点滴も出来ない体になり、息も上がっていたので酸素もチューブで鼻から入れてもらっていました。亡くなった当日面会に行っていたのですが目も開ける事なく、問いかけにも微動だにせず、腕も指も動かない状態でした。途中看護師が「口も開いているのでマスクに替えますね」と鼻のチューブをマスクに替えて退室。暫くしてヘルパーがオムツ交換に来たので退室し、終わったのでと声をかけに来てくれてから再度部屋に戻ったところ、鬼の形相(に見えました)で亡くなっていました。その時は亡くなったという現実で頭がいっぱいで気が回らなかったのですが、酸素マスクが外されベッドに置いてあったということが2日後に気付きました。 葬儀を終えてから施設の方へ挨拶へ行き、その際にマスクが外されていた事も話しました。ヘルパーからは何の報告も上がっていなかったので私たちの話で初めて知ったとの事でした。 マスクがあれば看取れたかもしれない。マスクが外されていたので苦しいまま息を引き取ったのかもしれない。それが悔しくて残念でなりません。ただ、マスクがついていたとしても、命の限りは決まっていたでしょうから、施設やヘルパー個人を責める気は無かったのですが、施設からビデオで確認した所オムツ交換をすると言って来たヘルパーと実際にオムツ交換をしたヘルパーは違うヘルパーである。オムツ交換をしたヘルパーに聞いた所顔には触っていない。オムツ交換をした時にマスクがずれたかもしれない。退室時にマスクの確認はしなかった。と曖昧、ウソばかりであろう報告を受けました。 こちらとしては特に報告をして欲しいと言っていなかったので、逆に気持ちを逆撫でされる報告を受け苛立ちや悔しさ、腹立たしさばかりが込み上げてきています。 施設の言い訳、ウソを聞く度にモヤモヤが増して行きます。事を大きくしたく無いと思っていましたがウソをつかれると言い返したくなってしまいます。この気持ちは時が解決してくれるのでしょうか。気の持ち方を教えて頂きたくお話しさせて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。

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生後3週間の猫を踏んで殺してしまいました

生後3週間の子猫を誤って踏んで殺してしまいました。 私は猫が大好きです。 子猫が最近産まれました、とても可愛くて愛おしかったです。 しかし里親に出すつもりでいたため、気持ちが入ってはいけないと、名前をつけたりせず感情移入することをしませんでした。 でも本心はとても大好きで可愛くて手放したくありませんでした。 もうすぐ1ヶ月になる頃で今とても可愛い時期でした。 昨日、パソコンでゲームをしていて、そろそろ家のことしないとなと思い椅子をひきました。 いつも足元に猫が居ないか確認し大丈夫だったら立って歩いていました。 しかし昨日は、猫居ないかな?大丈夫かな?と、軽くしかみず、いるはずのない場所に子猫がいました。 全く目視せず、子猫の感触が足にありました。 しまったとその時一瞬でわかりました。 子猫を踏んでしまいました。全体重で。 その時子猫は苦しそうにしていて息が出来ないような感じでした。 私は死なないで死なないでとただ叫んで泣くことしかできませんでした。 私のせいで子猫は死にました。 さっきまで生きていたのに。 あんなに可愛い子を苦しめてしまいました。 足の感触、苦しんでる姿が忘れられず、申し訳ない気持ちと、私の命と引き換えに生き返って欲しいとばかり考えています。 とても辛いです。辛いのはあの子の方なのにこんなふうに現実から目を背けようとしている自分も嫌です。 これからどう償っていけばいいでしょうか。 本当にわからないです。 あの子のことを考えると申し訳なくて、苦しめてしまったと、本当に辛いです。 あの子は成仏できますか、恨んでますか、どうしてあげたらいいですか。 私は本当に悪い人です。命をあげたいです。 もう生きている意味がわかりません。 ごめんなさい。 どうしたらいいかわからず、途方に暮れています。 辛いです

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子犬の死 罪悪感

先日、家に迎えて5日目の子犬が急死しました。この子が亡くなる前、最後に触れていたのは私でした。 夜ご飯をあげた後、少し構ってあげてからゲージに入れて、おやつのボーロを1つあげて直ぐに部屋を出ました。 (先住犬がおり、子犬のワクチンが終わってないため一時的に別室で隔離していました) その後、2時間後ほど後に部屋に入ったらもう既に息をしておらずぐったりした子犬を発見し慌てて両親を呼び、人工呼吸、心臓マッサージを行いましたが息を吹き返すことはありませんでした。 ちゃんとした死因は解剖を行っていないので不明です。火葬も翌日には執り行い、現在お骨は亡くなった先代の子達と一緒に置いてあります。 私は最後にあげたボーロが喉に詰まってしまったのではとずっと後悔しています。なんであげた後にちゃんと飲み込むまで見てなかったのか、たった3ヶ月の子犬を苦しめて殺してしまったのかとずっと考えてしまい、罪悪感で涙が止まりません。 両親は自分のせいでは無い、みんなが家にいたのに見ていなかったのが悪いと励ましてくれていますが、発見した時のぐったり横たわり、目から光が無くなったこの子の顔が頭から離れません。 それから数週間が経ちましたが、未だに子犬が亡くなった時間帯や夜布団に入った時にボロボロと涙が出てきてしまいます。 自分はのうのうと生きているのに、あの子はもういない…その現実が受け止められません。 罪悪感と悲しみ、これらを私はどうしたら良いのか、どうしたらこの子の魂は幸せになるのでしょうか。 長文になり申し訳ありません。よろしくお願い申し上げます。

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捨て猫だった9歳の2匹の猫を殺されました

1匹目は腸の手術で、何度もした事のある簡単な手術なので大丈夫だと言われ、 亡くなったと獣医から電話があり、難しい手術で研修で1回しただけだと騙されました。 2匹目は違う病院に通ってましたが呼吸困難になり、 他も当たりましたが、何処も断られ仕方なく前の病院に行きました。 胸水を抜く為に入院になり、後日電話すると、肺癌だと言って 抗がん剤を打ったと言われました。 検査も相談もなしに信じられませんでした。 勝手に鼻チューブを入れてありました。 数日後、迎えに行くと痩せてガリガリでした。 連れて帰りましたが、呼吸困難になり翌日再び胸水を抜きに行きました。 車での帰り、戻るよう電話があり、胸水を見せられ癌細胞が溶け始めている、腫瘍が離れてるので手術すれば取れる、このままだと1週間で死ぬ、治れば5年どころか10年生きられる、 治療費は十分戴いたのでタダで手術させて欲しい、と言われ、 弱っているのに治ると信じて預けてしまいました。 連絡がないので数日後電話すると 冷たい口調で、手術しましたけど、この猫はもうウチの病院の猫です、返しません、死んでも連絡しません、タダで人間並の最高級の治療をしてる、 私は手術で治るとはひと言も言ってません、連絡するんだったら治療費が掛かりますよ、今までで1番元気なんですよ! 手が震え動悸が止まりませんでした。 何度も頼んでお金を払う事で返して貰う事になりましたが、 翌朝迎えに行くと亡くなっていました。 骨と皮でした。お腹と肺に大きな傷が2つ、カテーテルと点滴と胸水の長いチューブで管だらけでした。 鼻は吐き戻したミルクで石膏のように固まり塞がっていました。 鼻の軟骨に糸でカテーテルが縫い付けてあり、血が滲んでいました。 右目はカテーテルを縫いそこねて針で突いて腫れ上がり、下瞼がうっ血して皮膚はちぎれていました。瞳は白く失明していたと思います。 左目は開いたまま、口も歯を剥いたまま閉じませんでした。 末期の肺癌で開けても無駄だったと。 入院費は手術代と合わせて2週間で40万円でした。 謝罪もありませんでした。 翌日車火葬した業者に肺癌どころか肺も綺麗だと言われました。 2回も騙された自分が悪いんですが、この獣医をどうしても許す事が出来ず 殺してやりたいです。 お水やお線香を遺骨にお供えしていますが ちゃんと成仏出来るでしょうか 毎日辛いです。

有り難し有り難し 18
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私は幸せを感じてはいけませんよね

先日飼っていたモモンガを死亡させてしまいました。原因は分からないのですが、水容器が空になっており水分不足によるものかも知れません。この子は全く懐かずいつも人を怖がって震え、一匹さみしく檻に閉じ込められて暮らしポシェットの中で哀しい顔で薄目を開けて息を引き取り固くなっていました。 狭い檻では可哀想かと蚊帳を貼り、檻の扉を開放し、遊び場が欲しいかとキャットタワーを設置し、大食漢でしたのであらゆるご飯やおやつを与え、旬の果物を与えご飯もポシェットも手作りしたり。仲良くなれる方法を調べてみて試みたり…。でもそれは全て私の自己満足、エゴだっただけで、あの子はずっと震えていました。群れで生活する習慣のあるモモンガだと知り一緒に飼える子を何度も探したのですが、金銭的にまだ買えない、遠方で迎えに行けないなど、勝手な私の都合でずっと寂しい生活をさせてしまいました。夜中に寂しいと鳴くと出てくるのは怖い人間なので鳴くことも少なかったように思います。 懐かない、私が近づくと怖がる、そんな状況で少しずつお世話が足りなくなり水容器が空になっていることに気付かず死に至らしめてしまいました。 私などペットを飼う資格などなく、そんなことが出来るほどの人間ではないのに、私の癒しのため、私のエゴ、私の傲慢さで一つの命を奪いました。ずっと怖いよー寂しいよーと訴えていたのに…。8年ほどは生きると言われているモモンガを1年8ヶ月しか生かせてあげられませんでした。 少し混乱していますが、肉を食べ魚を食べ、害虫と呼ばれる虫を殺し生きている私はなぜペットを生かせてあげられなかったことにこんなに苦しむのか…。いろいろ考えた時、私は幸せになってはいけないという思いにいきつきました。喉が渇いても何も飲まず出来るだけ苦しみモモンガのことを思い、楽しい人付き合いを避け、可能な限り休む時間を割いて苦しい仕事に時間を使い私の命の終わりを迎える。ここ数日そんな生活をしていますが、少しでも懺悔になるでしょうか。

有り難し有り難し 12
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愛犬の死を受け入れられないです

初めまして。 宜しくお願いいたします。 愛犬は茶色のトイプードルで女の子でした。 先月12月23日に、動物病院で抜歯手術をしました。 16歳の高齢犬でしたが、術前検査は問題なく、リスクは当然ありましたが、先生も大丈夫だろうと判断頂き、手術をしたら、次の日に急変、誤嚥性肺炎を併発して、2日後の25日に亡くなりました。 面会中、酸素室で呼吸が荒く苦しむ愛犬を見ながら何も出来ず、息が止まった瞬間、先生に叫びました。 「息を止まった!!助けて!!」と、 先生と看護師が慌てて心臓マッサージをはじめました。 愛犬が亡くなる現実を受け入れられず、1時間の心臓マッサージで更に苦しめてしまったんじゃないか、苦しい思いをさせてしまった。 ご尽力頂いた先生や看護師には感謝していますが、だんだんと、酸素室で苦しむ愛犬を見て本当に見てる事しか出来なかったのか、もっと他に出来る治療はなかったのかと、責める気持ちにもなっております。 手術をするんじゃなかった、また元気にご飯が食べれるようになってほしい、まだまだ元気でいてほしいという思いで手術をしたら、取り返しのつかない結果になってしまい、何より自分が一番 許せません。 愛犬が亡くなって、何度か愛犬が夢に出てきてくれました、最初は顔がぼやけていたり、でも触るとしっかり愛犬の感触があったり、こないだも甘えてきてくれる夢だったり、たまに部屋で愛犬の匂いがフワッとしてきたり、まだそばにいるような気もしてなりません。 愛犬は私の判断を恨んでいるんじゃないか、まだ死んだ事を理解出来ずに彷徨っているんではないか、知りたいし、愛犬の死と、どう向き合えば良いか、教えていただきたいです。宜しくお願いします

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ