hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

名前を言う時のことについて

回答数回答 1
有り難し有り難し 5

初めまして。
私は10年ほど前から、電話等(電話が一番機会が多いのですが、その他、玄関のインターホン、名刺交換、会議での自己紹介など)の時に自分の肩書きを言った後に続けてサラッと自分の名前を言うことができなくなってしまいました。名前で詰まります。
確かに、例えば「伊藤」のような発音しやすい名前ではないです。
肩書きを言って、一度止めてから名前を言うということならまだできても、続けて言うと早口で言葉が流れて聞き返されて恥ずかしい思いをするということを繰り返していて(実際、自分でも聞き取れないくらいですし)、今では続けて言う勇気が出ない感じです。知っている相手ほどサラッと言わないとと思い、余計に言えないようなことで変な感じになってということで。
いっときは本当に悩み疲れて家内や両親に大変な苦労をかけてしまいました。
最近はそもそも電話で最初に名乗ることなどしょうもないことだと思うようになってきて、少し気は楽ですが、特に子供に対して私の本来の顔を向けられていない思いがして、ずっと申し訳ない思いがしています。
何かアドバイスなどありましたら是非お願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

反復練習をしましょう。

仏道修行のもっとも厳しいことは「退転」することです。
たくさん修行してたくさんお徳を積んだのに、フッと息抜きをしたらそれら全てがなくなってしまう。
また初めから修行しなくてはいけなくなるのです。

私たちの生活の中の話では、何事も練習すればある程度できるようになります。
そして多少の退転はしても、その努力が0になることはありません。
だから何事も練習です。

仏道修行ならやめてしまえば0ですが、日常の行いなら必ず身になります。
自分の名前を練習するなんて今更恥ずかしいと思うかもしれません。
でも地道な努力が実を結ぶのが、私たちの日常です。

どうぞ頑張ってください。

{{count}}
有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。

質問をしてから今日までの間、自分との対話の中で「肩書きから名前まで、相手が知っている人であるほど、サラッと、早く、小慣れた感じで言えるのが当然なのだ、言えなければいけないのだ」という執着が元にあることに気づきました。
それからは気分が随分和らいできているように感じます。

お釈迦様の教えは本当の心に響きますね。

ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ