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曹洞宗・49日に納骨したくないと言う母

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有り難し有り難し 26

大動脈破裂にて、70歳で父が急死しました
ほんの10分程、母が父の側を離れた時に倒れ、帰らぬ人に…

でも、顔は穏やかで、納棺師の方からは「体が硬化せずに滑らかです!苦しまなかったと言う証拠ですよ〜」といって頂いたのが何よりの救いです

ですが、母には後悔がひどく自分ばかり責めて、どうにかなりそうです。

周りから呆れられるほど、一日中どこに行くのも一緒だったので、ショックも計り知れません。

しかもお店の1つもない田舎で、父にあちこち連れて行ってもらえていて暮らしていたため一人では厳しい…のに、私(娘)や孫と小さい家でも借りて、一緒に住もう!と提案しても、田舎にいるの一点張り!お骨もずっと手元に置きたいというし

現実、墓を買わないと行けませんが、すぐに買える余裕がなく49日には間に合いませんが、どのくらいまで手元に置いても良いものなのでしょうか?

そもそも父は、死んだ事に気付いているのでしょうか?(私は若い頃、心肺停止で臨死体験をした際に、暗闇の中から祖父が現れ、付いて行こうとしたら子供が居るんだから!と言われ、ハッ、として戻されました、あの世には、その続きの世界があるのかな?)

日々の生活の中で仏様とは、どう接したら良いのでしょうか?

とにかく、私が父と母に出来る事、言ってあげられる事がありましたら、ご指導よろしくお願い致しますm(__)m

初めての仏壇で、日々のルールさえ、あまりわかっていません。父に何をしてあげたら?
仏様が、喜ぶ事、悲しむ事などなんでも教えて頂ければさいわいです

お忙しい中恐れいりますが、よろしくお願い致しますm(__)m

2016年7月18日 6:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死は終わりではないという目覚めが死苦を療ずる

人は自らその死によってすべてを消滅させます。
誰の死であっても死はこの身心に映じられることの全ての生滅です。苦しみも痛みも悲しみも迷いもすべてを消滅させてくれます。よろこびも楽しみもすべてを滅するがゆえに大安楽、大安心、涅槃寂静。人間の是非善悪の無い法界に安住するのです。死ぬまでの間も師のことをいくら考えても死は実際にこの身の上に起こることはないですから死ぬ瞬間までも死はまさに死ぬ直前まで死なないですし、死と共に上記のようにやすらいの世界に入るのです。
お骨は本当は執着を離れ無くす為にも49日ぐらいを目安にもっと広い世界に目覚めるためにも手放すのがよいですが、どうしても長年連れ添った方への愛着が強いものでしょうから、そうもいかないものです。百ケ日を卒哭忌と申しますので、49日で手放せられない人は百日、もしくは一周忌をもって納骨されると良いでしょう。
愛する人、伴侶の死というものは親の死よりもつらいと言います。
ストレス度も数々の苦しみの中で最上位に挙げられます。
あなたにとってはさほどの事ではないとしてもお母さんにとっては❝実際に❞想像以上の苦しみなのです。
「まったく、もう、おかあさんったら…」と思われる所を、
「ああ、そうか、そうなんだ、お母さん、本当に苦しいんだ…」という同調、くみとりの気持ちに変えてあげてください。
一日で咲く花はありません。
悲しみも超特急でなくなるものはありません。
ですが、それでも悲しみをゆるめる方法があります。
終焉、終局、終わり、という思いを無くすことです。
お母さんにとってお父さんの死がおそらく今は「終局・終焉・おわり」と認識されておられると思います。
そういう考えの上に立脚しているために生じる苦しみであるならば、それは考え方によって苦しみを無くす事もできます。川が上流から下流になるにつれ名前が変わっていくように今置かれている状況が終わりではなく大いなる海、大空へ向かって進んでいるんだ、そして雲や雨と変わっていくように。やがて、終焉、永続、サイクルという人間の考えも離れて生死を超えたあるようとして互いに存在しているということに少しずつ目覚めていくと良いでしょう。
摘まれた花に死や生という言葉が飾られないように人の死に終わりという言葉を飾るべきではない

2016年7月19日 9:20
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

気持ちが落ち着くまで

 お父様のご逝去に謹んでお悔やみ申し上げます。
 急なことでびっくりしたでしょう。

 さて、お問い合わせの件ですが、お骨はお母様の気持ちが落ち着くまでご自宅に安置しておけば良いと思いますよ。お母様もいつかきっと心に区切りがつく時が来ると思いますので、その時まで待ってあげましょう。
 お母様とは離れてお住まいのようですので、時々様子を見に行ってあげましょう。でもあまり励ましたりせず、そっと寄り添うようにしましょう。

 仏壇のまつり方については、お葬式をしたお寺さんに聞いてみましょう。

2016年7月18日 10:42
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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/40歳代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが...

質問者からのお礼

鳳林寺 光禪 さま。

母の気持ちが落ち着くまで、自宅で…という方法もあるのですね

母の元に出来る限り通い、寄り添えたら…と思います

ありがたいお言葉に感謝いたします。
m(__)m

丹下 覚元 さま。

[一日で咲く花はありません。]
[悲しみも超特急で無くなるわけでもありません]
本当にその通りですね!

そして、終わりという思いをなくすこと、本当に素敵な言葉だし考え方ですね。

ぜひ母にも伝え、前を向いていきます

温かいお言葉本当にありがとうございましたm(__)m

「曹洞宗」問答一覧

浄土真宗、曹洞宗、真言宗

すみません、タイトルはあるお坊さんから見られないようにするためのものです。 相談です。 私は在家出身ですが、運よく師僧に恵まれました。 その師僧と友人が、私が精神病で実家で自宅療養していることについて、私の病状もよく知らないで、障害者なのを言い訳して実家で自宅療養するな、独り暮らししろ、親が自立を許してくれないなら失踪しろ、成人したら失踪して親を困らせても構わない、と言ってきました。 実家を出て就職して独り暮らしするには、作業所の管理人や主治医の判断が必要になるのに、それを言い訳にするな、だの言ってきて。 自立しろというのはわかるんですが、そのために失踪して家族に心配かけても構わない、成人なんだから、とかおかしくないですか? 師僧も友人も上記のような意見で追い詰めてくるんです。友人のほうは子供扱いして罵詈雑言並べ立て、私は謝ったのに一切謝罪なし。 師僧いわく、本当の親孝行とは社会に貢献することであって親に心配をかけないことではないから失踪して家族を心配させてもいいんだそうです。実家で療養して働いておらず、社会に貢献していない障害者はみんな親不孝ということです。 障害者がみんな実家を出られるわけじゃありません、ひとによって病状が違うからです。 裏切られた気持ちで落ち込んでいると、裏切られたくらいで怒る私の器が小さいんだ、とも言われました。 ひとりで大泣きしました。この出来事のせいで最近まで治っていた幻聴が再発し、心もずたずたです。いまも泣きながらこれを書いています。 私が可笑しいんでしょうか? 皆さんどう思われますか?

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浄土真宗と曹洞宗の二股はだめですか

こんにちは、宜しくおねがいします。  生き方について悩みが多く、暴れる心をなんとか鎮めたいと最近、 浄土真宗の聞法に通っています。  随分昔に死んだ明治生まれの祖母を思い出したからです。彼女は封建的な夫に黙々と仕え、息子に戦死されても、一人娘に急死されても、毎日の日課を黙って静かにこなし、仏壇になんまんだを唱え、老いては子に従い、右を向いていろといわれれば右を向き、左を向いていろといわれれば左を向いているような、大切にはされていたのでしょうが全く存在感のない祖母でした。無口で静かでしたから声も覚えていないのです。すっかり忘れていたのです。  ところが、自分も老境に入り、しかしいまだ心穏やかならず、怒りや貪りに振り回され苦しむ有様で、あの諦観したのか、または阿弥陀様にお任せしきったのかのような祖母の姿が私を聞法に向かわせました。  しかしこの身はしぶとく、聞法をいただいている間は少しは素直な気持ちになるのですが、それもなが続きしません。  第一、近代教育を受けた私には、「はからいを捨て、お任せする」のは難しいです。はからうことばかりを目指し、学び、訓練してきたのですから。もしかすると、もっと死が近づいたら少しはそんな気持ちが持てるのかもしれませんが・・・  ただ、三木清が言うように「自分は最後は親上人の言葉どうり、あの世で懐かしい人たちに会えることを信じている」のは私も同じです。  問題はあの世のことでなく、日々の生活で心配や怒りや嘆きに振り回されることです。  そんな私が禅宗の教えで行住坐臥を整えることや、禅の言葉に従うことで、少しは苦しみから離れられるように思うことがあります。 子供のころ永平寺を訪れて、「こんな風に生きている人もいるのだ」とショックを受けたことから大人になって、禅林句集や道元禅師を読むようになりました。指針になります。  阿弥陀様にお任せできない私が曹洞宗に頼るのはいけませんか? 浄土真宗では一筋でないといけないと聞きます。お任せしきらないといけないと聞きます。浄土真宗と曹洞宗の二股みたいで罪悪感があります。  迷える私にお言葉をいただきたいです。  宜しくおねがいします。  とんぼ

有り難し有り難し 94
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最大の気掛かり。曹洞宗、中卒の場合の安居年数

私はおよそ1年前、曹洞宗にて在家より得度しました。  子供の頃より佛の道を志しており、僧侶としての道程に足を踏み入れ、僧籍となった得度式はいつまでも私の良き思い出です。 さて、とはいえ私の僧侶生命も始まったばかり。坐禅も正法眼蔵も法式もサッパリ、曹洞宗の組織や寺格も分からないことばかりです。  そんな宗門に無知の私には今最も気掛かりなこと、不安があるのです。それこそが本質問の表題、安居の年数です。  私は色々な事情、因縁から高校を中退、最終学歴は事実上の中卒。安居となればその期間は学歴に応じるものと云うことは流石に承知しています。私は財も時間も与えられなければこの中卒のまま、安居に入ることとなります。  私は長い期間の安居でも構わないと思いたいのですが、何処か思いきれない、雲水の雲水たるに成りきれない愚か者です。度々制中の期間が変わっていると聞いては、今日の中卒の身の安居は、一制中何ヵ月で何制中なのか、と日々気に掛けています。 達磨大師に問えばあしらわれる様な愚問ですが、どうか師の皆様に、私の、中卒の安居の現在の状況について教えて頂きたく思っております。説教、警索でも喜んでお受けします。 合掌低頭。

有り難し有り難し 10
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