恨みと嫉妬
以前こちらで相談させて頂きました。
回答頂きありがとうございます。
今回は違う件で相談させて頂きます。
私は幸せな人が羨ましいです。
私は昔から色々と大変な思いをしてきました。
学生時代はいじめにあったり、人から利用されたり、ストーカーにあってお金を騙し取られたりしました。
会社ではパワハラにあったり会社をクビになったりしました。
ナンパされて連れて行かれそうになったこともあります。他にも色々な辛い思いをしました。
何で私ばっかりと思うことがあります。
私の従姉妹は人間関係に恵まれ、頭も良く、お嬢様大学に行けて、大手の会社にも入社出来き何も揉め事もなく、安定した生活を送れているのです。
羨ましいです。
人と比べるなとか、その人達も知らないところで大変なこともあるかもしれないとか言う人もいますが生きていれば少なくとも嫌なことはありますし、いいことばかりではないと思います。
ただ、明らかに差があると思うんです。
今までは今苦労した分、いつか恵まれると思い信じてきましたがそうとは限らないみたいですね。
何も信じられません。
親も嫌だしもっと優しい親に生まれていれば人生変わっていたかもしれません。
親は一回スイッチが入ると感情的になるのでいきなり怒られたりします。
で、急に絡んできたり。
もうもっとまともな人生になりたかったです。
あまりにも嫌で空想してもっとあーだったらなとかこーだったらなとか昔から考えていました。
でも現実は違いますね。
学校卒業して出会った人とかで出会わなければよかったと思う人もいます。
既婚者の人からは性的なことで色々言ってくるしもう恨みや嫉妬でいっぱいなのです。
私は数年前から強迫観念にとらわれ、頭の中で悪く思ってないことが浮かんできてその事柄を消す為に打ち消し行為をしています。
気にしないようにしようとか考えないようにしても浮かんできたりします。
後、数字に関してもこだわったりします。
頭の中で浮かんできても考えない方がいいのでしょうか?私からすれば他人は呑気に気楽に生きてるように見え、どうしたらあんなに罪悪感もなく、気楽に生きていられんだろうと羨ましいです。
とにかく私は怖くてたまらないんです。
私はこれからどうしたらいいのでしょうか?
私は自分の人生を受け入れるしかないんですかね?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せと平安を願い求めて
拝読させて頂きました。以前回答させて頂きましたkousyou kuuyo azuma(東 好章)です。
あなたの思うお気持ちもっともに感じます。この世の中は・この社会は平等ではありませんね。恵まれて何不自由なく生きていかれる方もいらしゃいますし、生まれてきたときから災難や苦労に苦労を重ねて辛い思いをなさりながらやっと生きていらっしゃる方もおられます。
なんでこんなにも違うのかとその理不尽さを感じずにはいられませんよね。そんな中で神も仏もあるものかと怒りや恨み怨念めいた思いを抱くのもやむを得ないことかと思います。そんな中でも生きていかねばならない性が人にはありますね。
ただやはりその恨みや妬みや怒りそして怨念は決してその人をいい方向には導きません。逆にその人を負のスパイラルへとおとしめていってしまいます。つまり不幸な思いがよりその人を不幸へと導いてしまいます。それは紛れもない事実です。
人間ですからどうしても他人と比較してしまいます。人を羨ましくも思います。ですがその思いをマイナスに働かせてはいけないと思います。
やはり本当の人の幸せとはものでは計れません。その人の心持がなければその人を幸せにはできません。どんなにものがあふれ満たされようともその人の心が空虚であればなんにもなりません。
あれもこれもほしいほしいとなってしまってはその人の心は永遠にその呪縛から逃れられずに地獄を彷徨うことになります。
やはり大切なことは人との比較でなく自分自身が心を穏やかに安定させて頂くものに感謝して日々を生きることが幸せの元です。捉え方で全く逆になりますからこれは不思議な業です。
私はあなたにどうか心から幸せになって頂きたいと思っています。それにはあなた自身がご自分の幸せや心の安定を望み求めて頂きたいとということです。
あなた自身がその様な幸せを求めるならば自然に周りの方やご家族にもその幸せが伝播して参ります。
妬み恨みそして怒り・貪りのお心をできるだけ捨て去りそして心の安静を神様仏様そしてあなたのご先祖様に素直なお心で願いお祈りなさってくださいね。必ずやあなやのその願いは届き、そしてあなたは幸せに満たされて参りますので。
随喜
かなかな様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
境遇、環境への恨みと嫉妬・・人間誰もが少なからず持ってしまうものでしょう・・
拙生も・・
しかし、恨みや嫉妬などの悪い煩悩による行いは、悪い業(ごう)・カルマとなるため、やはり避けて参りたいものとなります。
それよりも、「随喜」(ずいき)と言いまして、一緒にその幸せや成功を素直に喜んであげることで、自分にもその「福徳」の分け前を頂くようにしていく方が、よほど先々へと向けた良い因縁(原因と条件)にすることができるようになります。
例えば、FacebookやTwitterでの他人の善い行いに「いいね」するというのも、仏教的には一つの「随喜」と言えます。
あるいは、他人の善い行いをシェア、リツイートするというのは、周りにもその「福徳」をお裾分けすることになり、仏教的には「回向」(えこう)と申しまして、尚、良い因縁とすることができます。
とにかく、良い結果へと向けては、良い因縁が必ずや必要となります。
原因の無いところに結果は生じませんし、原因があっても、条件が調わなければ結果は出ません。
自ら進んで悪い因縁を作るのはやはり愚かなこと。それよりも、お金も労力もある意味で全く掛からない「随喜」というものであれば、簡単に良い因縁としていくことができます。ここだけの話、実はかなりお得なのです。
是非、身近なことからでも、お試しになって下さいませ。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
東 好章様今回も回答頂きありがとうございます。
この理不尽さを受け入れるしかないんですかね?
愚痴をこぼしてすみません。
前は友達などに相談してたんですがもう相談するのも辞めもした。
お坊様なら聞いて頂けると思い、ご相談させて頂きました。
もう自分の人生に期待をしないようにしていきます。
そうしたら嫉妬や怒りも少なくなるかもしれません。
ありがとうございました。
川口英俊様。
回答頂きありがとうございます。