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義父母との同居が嫌でたまりません。

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初めまして。よろしくお願いします。
夫の単身赴任により今年の5月からアパートで2人暮らしをしています。
先月、妊娠が発覚しました。
そして昨日、夫(41歳)に仕事を辞めたいと言われました。

現在、私は無職のため生活費は夫が頼りです。
夫は次の仕事を探しながら、貯蓄を崩して生活費は入れると言っています。
確かに今の夫の仕事は頑張っても成果が上がらず周囲からも責められ心身ともに辛そうです。
そのため笑顔で「辞めちゃいなよ」と言ってあげたい気持ちもあります。
しかし私の心配はもう一つあるのです。

それは義父母との同居です。
夫が仕事を辞めた場合は恐らく再び同居することになります。
義父母はとても思いやりのある優しい方たちです。
私を「本当の娘だと思っている」と言ってくれました。
その気持ちはとても嬉しいです。
しかし実際に気の許せる親子には当然なれません。
あくまで私は嫁なんです。
同居した当初に「息子に嫌な思いをさせなければいいんだから」と言われた義母からの言葉も頭に引っかかっています。
息子には立てつくな、イエスマンになれ、と言われた気がしたからです。
義母の時代はそうだったのかもしれませんが、私は人権を無視されているような気持ちになりました。
しかし、嫁の立場で自分の意見を言える訳もなく、義父母の生活に合わせて自分も生活し、体の具合が悪くても「大丈夫」と言って家の事をやるなど、我慢や無理をすることが多々あり、居心地がとても悪く、正直しんどかったです。
無理がたたって流産もしました。

それでも仕事が見つかってからは先輩に家庭の話しを聞いてもらうなどして心を落ち着かせることができていました。
しかし今回帰るとなると仕事探しは難しいでしょう。
お金もなく居心地の悪い家にずっといなければなりません。
生まれ故郷は遠く、友達も全て県外。
この年で地域のコミュニティに入るのは、子どもがいたり仕事でもしていない限り至難の業です。
夫は実家では義母と過ごすことを好み、リビングに入り浸っており、夫婦だけの会話のチャンスがありません。
私のストレスは増すばかりです。
妊娠に影響するのではないかと思うと気が気ではありません。

うまく文章をまとめられず申し訳ありません。
もし夫が辞職した場合、どうすれば快く同居生活を送れるようになるでしょうか。
アドバイスよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同居しない ❝明日にかける橋❞

同居しちゃダメです。(笑)
あなたの場合はノイローゼになっちゃいますよ。(^<^)
ご実家がイギリスの古城みたいにデカけりゃいいですがなんせニッポンの狭い家庭事情。
子育てもあるのですから関わる人間が最小限の方がいいんですよ。
無理して同居している人なんてみんなコリン星(離婚の意か)に旅立っていきました。
夫は妻次第でいかようにでも変わります。
どんどん、仕事のやる気を出させましょう!同居を避けるために!
どんどん、夫を誉めましょう!同居を避けるその為に!
どんどん、夫に自信をつけてあげましょう!同居を避ける、そのために!
栃木県は広大な大地にめぐまれています。月々〇万円という安い家もあります。
夫が実家に変えれば夫が家庭内で親の子供かします。
力関係で一番強いのは、親たちです。ワイフのあなたを守ってくれるかどうかわかりません。
同居することで、ご両親も心労が増えます。
親孝行にもなりません。
「せっかく息子を一人前に成長して送り出して、ようやく夫婦ゆっくり生活できると思ったら…」というのが、ご両親のホンネです。なんとしてでも阻止しましょう。同居を避ける、そのために!
綺麗ごとじゃないのです。
もちろん相手によっては同居を勧めます。あなたはこの時点ですでに無理。そうおっしゃっていますから、本当に無理だと思います。(^<^)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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