寿命について
初めて質問させていただきます。
何かの番組で「若くして亡くなる人は、人間として完成されたから、神様から早く呼んでもらった証拠」という話しを聞いたことがあるのですが、反して長生きされている方も尊敬されたり、「ご長寿の秘訣は?」などとインタビューされたりしていますが、実際のところ、人間にとってどちらが本当に幸せなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【追記あり】人間にはそれぞれお役目がある
hanamamaさん
ご質問、拝読させていただきました。
確かに人間の目線で考えれば、60歳であったり100歳であったりと、寿命は千差万別です。
しかし、仏さまの目線からすれば、年齢というものは人間が勝手に付け加えた解釈のひとつにすぎません。
私たち人間が、この娑婆世界に生きる理由。それは、人生の様々な事柄を通して修行を積み、周囲と共に成長するためです。
仏さまから与えられた人生の課題や役割は人それぞれ。
だから、寿命もそれぞれなのです。
長短で善し悪しが決まるわけではありません。
自分に与えられた身体と環境に感謝し、精いっぱい生きた人であれば、寿命が何歳であれ、幸せなのではないでしょうか?
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【質問内容から少々脱線しますが、追記をさせて頂きます】
「今まで慣れ親しんでいた故人のお姿」という物理的な形では、人間が寿命をコントロールすることはできません。
しかしそれでも私たち人間は「あの人は幸せだったのだろうか?」と悩み、生前の故人との関わり方を後悔します。
それは何故か?
実は、その葛藤が「仏さまとしての故人の命」の始まりだからです。
この葛藤と向き合うことはとても大変なことです。 なんせ、新たな命の始まりに立ち会っているのですから。
しかし、この葛藤を通して自分自身の心と向き合い、悲しみや不安を癒していく過程がそっくりそのまま「ご供養」、すなわち仏さまとしての故人を生かし続ける原動力となります。
つまりは、hanamamaさんの心が癒され救われることが、元旦那さんが仏さまとして生きる幸せにもつながる、ということです。
どうぞ、自分自身やご縁ある方々を大切になさって下さい。
みんな幸せになれます
幸せと言ってもそれは人それぞれ、家族と共に過ごすことが幸せだったり、友人と共に過ごすことが幸せだったり、自分の目標に向かうことが幸せだったり、目標を達成した時が幸せだったり。
長生きしても苦しみだけなら幸せでなかった事になりますし、若くして亡くなってもたくさんの人に愛された人は幸せだったのではないでしょうか。
ですが、死は終わりではありません。
阿弥陀仏のお力で極楽浄土に行き、そこで悟りに至るための修行をするのです。
悟りとはこの上無き幸せな状態です。
ですから、誰もが例え現世が苦しみだけであったとしても、例え若くして亡くなったとしても、極楽浄土で幸せになれるのです。
なお、極楽浄土に行く方法は、南無阿弥陀仏と唱える、ただそれだけでいいのです。
質問者からのお礼
妙香さま
早々の回答、ありがとうございました。
先月の末に、元夫が自殺してしまい、
私と出会わなければ、天寿を全う出来たのでは…
とか、私が元夫を不幸にしてしまったんだ
など考え始めたら、止まらなくなり、
次いで「寿命」についても考えてしまいました。
生きることは、私にとって修行の日々なので、
正直辛くて仕方ありませんでした。
とりとめなく書いてしまい、申し訳ありません。
素晴らしいお言葉で、ありがたかったです。
聖章さま
早速の回答、ありがとうございました。
「みんな幸せになれる」
とても力強いお言葉、本当に
ありがとうございました。
最近、改めて自分の心の暗さと、
不安な将来から、行き詰まっていました。
でも、おかげで生きていく勇気が
出て参りました。
毎日暑い日が続きますので、
お体に気を付けてお過ごし下さい。