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自分の顔が嫌で嫌で仕方ないです。

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有り難し有り難し 67

18歳の女です。私の顔は、コンプレックスの塊です。

中学の頃は、普通の日常生活を送っていました。
しかし、高校へ入学して、知らない人ばかりで不安になっていました。
でも、中学の時の友達が1人、同じクラスにいて、仲良くしてくれました。
その子はすごく可愛い女の子です。
その子と仲良くしたがる子は男女問わずたくさんいました。
でも、私には話しかけてくる人もいないし、友達が全くできませんでした。
わたしはブサイクだから?気持ち悪いから?そう考えました。
人気者で可愛い友達の横に並ぶのが苦痛になり、1ヶ月程で高校を中退してしまいました。

その後1年程家に引きこもるも、母親に通信制高校へ行くことを勧められ、受験をして編入しました。
アルバイトも始めました。
ですがそれも長くは続かず、どちらも行かないようになりました。
理由は、写真を見てひどく落ち込んでしまったからです。
自分の写真を見る機会があり、それから落ち込んで部屋から出れない状態になりました。
私はこんな顔で外へ出てたんだ、と思いとても辛くなりました。

私なりに努力はしてきました。
髪型を変えたり、ダイエットをしたり、考え方を変えるようにしたり…
でも、だめでした。
どうしても、自分を受け入れられないです。

今もずっと家にいて、死ぬことばかり考えています。こんな顔で生きるくらいなら、死にたいんです。
腕を切ったり、首を吊ろうとしたこともありました。
でも、私には、大好きな父親、母親、年の離れた弟、祖父、祖母がいます。
わたしが死んでみんなが悲しむと思うと、涙が出てきます。
大好きなみんなと離れたくないです。
でも今生きていることが辛くて辛くて、もうどうすればいいかわからない状態です。

助けて下さい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

感謝の心で笑顔を絶やさない

こんにちは。埼玉の風土が生んだ顔に恵まれない奇跡のブサイク丸「かわいそうな象🐘」ならぬ「かわいそうな僧」こと丹下かくげんです。🐘パオーン(泣)
このブサイク面顔を一目見んと坐禅会に来る人たちは数知れず。皆この可哀想な顔を見るや否やみな同情、憐れみ、慈悲の心沸いて布施を納めてくれる人数知れず。
この顔のせいで、いや、この顔のおかげで。幸か不幸か。ブサイクも活用次第で毒にも薬にも。
さて、実は問題は顔じゃないです。
顔をみた直後に沸くあなたの一念です。
顔のことを思えば自信を無くす、イヤな気持ちになる、その「ヒクツな心」なのです。
今や御開帳写真流出によりその姿こそ見かけませんが、月9女優として活躍していた芸能人、香里奈さんも自分をブスだと思っていたと言います。え?と思いました。どんな美人さんでも自信が無ければそういう気持ちになるのか。そうか。…と、大きな衝撃を与えました。
反対に私のように顔に恵まれていない人でも男子女子問わずメチャ元気な人がいますでしょう。
何故でしょうか。家に鏡がないからです。はい。
そんな訳ないですよね。
気持の問題。捉え方の問題。単に思考がネガティブなだけなのではないでしょうか。
顔を整形する余地、心の整形をしましょう。それが禅です。
禅を学べばコンプレックスは無くなります。
自分が嫌いになるのは「評価」の念が生じているからです。
自分を責めたり、自分が嫌いになることばかり思っていたり、ネガティブな思い、悪い思いばかりを起こしていることの方こそ、自分を嫌いになる一番の原因なのです。
曹洞宗大本山総持寺の婦人会で私は定期的に法話をさせて頂くことがありました。
その中でいつもひときわ輝いている女性がいました。いつもにこやかで大変印象の良い方でした。
「笑顔が素敵ですね、秘訣は何ですか?」とお伺い致しましたところ「姉妹4人の中で私は一番おへちゃだったので笑顔くらいは絶やさない様にしようと思って。」といつも笑顔を大切にしてそうです。「…他に、何かございませんか?」と、お伺いいたしましたら、人とのかかわり合いの中で「ありがとう」と感謝の心を常に大切にされていた方でした。
これも秘訣かもしれません。美人女優でも不機嫌にしていれば人も寄り付きません。
機会があれば坐禅会にお越しくだささい。百万ドルの笑顔でお待ちいたしております。
ありがとうございました。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

考えてみると、卑屈になりすぎていました…。
自信はなくても、明るく笑顔で過ごし、感謝の心を忘れずに生きていきたいと思います。
(少しでも自分に納得がいくよう、綺麗になる努力もしてみます)
坐禅会、とても行きたいのですが遠くて難しいです。でもいつか必ず行きたいです。
丹下覚元様、本当に有難うございました。( ; _ ; )!

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