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毎日がつまらなく感じる

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またご質問させて頂きます。

私は現在パニック障害で休学しています。

来年には復学したいと思い、今は治療中です。パニック障害と言っても薬は飲んでおらず、暴露療法で治していきたいと思っています。

本題に移させてもらいますが、休学中なのはいいのですが休学してからは友達とも会っておらず、何処かに出かけたいと思ってもまだ一人では外出できない状態なので、家に引きこもっています…。

でも一週間に一回以上は母親と一緒に出かけるようにしています。

ただ母親は虚弱体質で体力がなくて、しょっちゅう外に連れまわすのも気が引けます。

そのせいか何なのかよく分かりませんが、最近何やっても楽しくないと感じ、憂鬱な気分です。

ストレスと言っても家でゴロゴロしてるだけなので何が原因かわからない状態で…。

あと胃腸の調子も悪いし、体もだるいです。

それにここ最近夢を毎日のように見るんです。これは何か意味があるのでしょうか?

来年には絶対と言っていいほど復学しなければなりません。
それで焦りが生じてるのでしょうか。

どうやったら充実した毎日を送れるのでしょうか?
回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

楽しいことを最初から求めないことがコツ

まず、私の回答ですが、超~ツマランですから期待しないでください。

あなたはひょっとすると「最初からチョー楽しいことを期待してしまって楽しいことがないと面白くねーや症候群」かもしれません。(ナンダソリャ)
「なにかを期待する」
そうすると、当然自分のお眼鏡にかなったことが起こらないと面白くなくなってしまう。
期待通りにならないと人間イライラしたり腹が立つでしょう。
だから、期待ということを最初からしないほうがいいのです。
私は、最近ブーデーでやせようと思ってはいるのですが、思っているだけなのでやせません。
体重計に乗るときに、結構やせたかなー♡と期待して乗るとちょっと減ってくれてても嬉しくないです。
何も期待せずに乗ると「お♡」となります。(にこやかな顔)
本当は毎日真新しいのです。今の冷蔵庫の音だって新しい。目の前のお茶だって新しい。さっきのお茶でも、口を付ければ新しい所を飲むことになるから新しい。
目玉も耳も、さっき、昨日のことを引きずって生活している人はいません。
今日も今から何が起こるかわかりません。
だから何の期待も無しに過ごしてみましょう。
そうすると毎日郵便を届けに来てくれる郵便局員さんでさえチョー新鮮に感じるはずです。
「お、赤い!お、バイクの車輪でかー。カブ?お、この暑い中、なんて大変な恰好。あ、郵便物、アタシの無い。マジウケる。チョー寂しー(笑)。山なし県?山あんのに?山なし?チョーウケる。あー、ぶどうウメー。富士山でけー、山梨サイコー。」くらい何気ない出来事にもビンビン来ます。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本を読むのはいかがでしょう。

真面目な方なのだとお察しいたします。
おそらく、「人間は外に出ないとダメだ」という考えが頭の中にあり、
「それすら守れない自分」というように、考えがひとつの方向に陥ってしまい、
悪循環を生んでいるように思います。

私なんか、「外に出なくてもいい」なんて言われたら、嬉しくて小躍りしてしまいます。
好きな時間に昼寝してもいいし、amazonで買った本を読んでもいい。
今どきは、ネットスーパーで食料品も買えますし、「何をして過ごしてやろうかな」とワクワクしてきます。

本に限らなくても良いのですが、家の中でやれる事を極めてみるのはいかがでしょう。
じっくり読書するのも、テレビゲームなどで遊ぶのも、突き詰めればけっこう疲れるものです。
そうすれば、夢を見る暇もなく、ぐっすりと寝られるかもしれませんよ。

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おきもち

浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリーマン生活ののちに、この羅漢寺にお世話になり、2014年に住職として晋山いたしました。 現在は、「ここより」というサイトの編集長を務めています。 まだまだ悩める道の途中ですが、少しでも皆さまの力となれるよう、がんばります。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

確かに何かを期待しすぎていたかもしれません。

本を読むのも好きなので、自分に合ったような生活を見つけていきたいと思います。

ありがとうございました。

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