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自ら命をたつと

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浮かばれないというのは なぜですか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。

キリスト教でも自殺は罪とされていますね。
神から授けられた命を自ら断つということが神の意志に背く、この世での責務を果たさず逃げることが罪となる、他色々と説かれるようです。

仏教を含め伝統的な教えのいずれでも自殺を認めているところは皆無なのではないでしょうか。
以前こちらでお答えしたお話ですが、
お釈迦様が御在世の砌、ある女性が橋の上で着物の裾に石を詰め込んでいるのを見て声をかけたところ、女性は泣きながら

「私には愛する人がおりましたが裏切られ、お腹には赤ちゃんもいます。到底生きていくことができないので死なせて下さい。」

と訴えるのです。それに対しお釈迦さまは

「哀れなそなたには例え話を以て話そう。

あるところに毎日重い荷車を引かされる牛がいた。牛は思った。
『どうして俺は毎日こんなに苦しい思いをしているのだろう。』と。そして後ろを振り返りこうも思った。
『そうだ、俺を苦しめているのはこの重い荷物のせいに違いない。』
そう考えた牛は大岩に突進し、荷車を粉々に破壊した。
『やったぞ、これで俺は楽になれる。』

牛がそう思い喜んでいたところ、飼い主がやってきて
『やぁこれはなんという暴れ牛だ。こんな牛にはもっと頑丈な荷車をつけなくては。』
と言って今度は鉄製の頑丈な荷車をつけたため、牛の苦しみは尚一層強いものとなった。」

というお話です。
多少にかかわらず縁のある人々をひどく悲しませたり落胆させてしまう自殺という、逃げにも似た行為には、一瞬楽になれたと思っても酷い後悔が待っているという事でしょう。

多少に関わらず縁があった方々や神仏や祖先等にも深い悲しみや落胆を与え、それが為供養の心も届きにくくなるのではと愚僧は考えます。

またこれは個人的にですが、最近は本当にぎりぎりまでの努力をせずに簡単に死ぬ死ぬと言う人が増えてきたような気がします。
正直、死ぬくらいなら一度恥も外聞もかなぐり捨てて、かっこ悪くてもいいから生まれ変わった気持ちで生きるという事ができないものかと思うのであります。

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おきもち

一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普...
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よく考えるために。

「浮かばれる」

・死者の無念さが解消されて成仏する。
・苦労などがむくわれる。面目が立つ。

無念さが解消される、とありますが、誰が解消する
ものでしょうか。
自殺であるならば、自分となりましょうか。

しかし、「無念」だからこそ自殺という道を選ぶものですし、
苦労がむくわれなかったから自殺という道を選ぶものですし、
解決が出来ないことを恐れるあまりに病い、そのチカラを
借りることで自殺という道に到ってしまうものでもあります。

それは、「だれにたいして、面目を保った」ものでありましょう。
じぶんでしょうか。死んでるのに?

解消するのも遺された遺族たちにゆだねるものになります。
自殺された家族が、果たして亡き人のやすらぎは祈れど、
それで無念さが解消するものでしょうか?

「どうしてきがつかなかった」と、家族や友人、或いは
「また自殺者を止められなかった」と、自殺した肉体を
片付ける業者たちに、どのような思いを抱かせるものでしょうか。

死者が浮かばれる
これは、死者と生者の両者が共に協力の上でなりたつ
「供養の言葉」です。

死者が精一杯いのちを生き切り、生者がその思いを受け取って
はじめて「なせなかった」ことへの無念を晴らすのです。

遺された生者に「無念」を引き継がせるのではなく、
いのちの精一杯を見せ、その精一杯を繋げることこそが、
すべての解消に繋がるのです。

自殺者はうかばれない。という激しいことばは、わたしは、
「おまえ、じぶんの命は自分のものだとでも思ってるのか?」
という問いかけだと思っています。

だれが解消されるのか。だれが解消するのか。
それは「自殺で死んだ自分」などではないということです。

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質問者からのお礼

ありがとうございます
死ぬという言葉が簡単に使われているかも知れませんね
苦しくて 辛くて あがいてもあがいても真っ暗な闇から抜けられない 見えるのは希望ではなく絶望的な現実と孤独だけ 死にたいと口に出せる間は どこかに助けを求めて ほんとうは生きたいって叫びなんだと思います

死んだ事がある人なんて居ないから 死んだらどうなるか 自ら命をたつとどうなるかなんて 馬鹿な質問でしたね

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