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妥協の仕方を教えてください

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有り難し有り難し 19

自分の理想が高すぎるのか、自分の力を過信しすぎているのか、とにかく妥協が下手です。

私は趣味で同人誌を書いています。
しかし、話を作る段階ででいつも1か月以上躓いてしまいます。拙作を読んでくださった方々からご感想をいただくことはそれなりにあるので、発想が貧困というわけではないと思います。
ただ私が、「私ならもっと良い話が思いつくはず」と、延々修正を繰り返してしまうためです。

正直、私の絵は人並み程度で、話が上手いと言われても絵が上手いと言われることはあまりありません。私自身、実際本になった自分の作品を読むと、頭の中で考えていたときは面白かった話が、稚拙な絵のせいで微妙に思えてしまいます。
なので、どれだけ自分が頑張って時間をかけて良い話を考えても、どうせ本になったときこの程度のレベルまで落ちるのだから、キリのよいところで妥協しなければと考えました。でなければ、私の今の作業ペースではとても締め切りに間に合いません。

絵に関しては、何度書き直したって下手なのはわかっているのだから、時間を優先して適当にキリをつけようという諦めが出来てきました。しかし「話」に関してはその諦めが付けられない状態です。
私ならもっと良い話が思いつくはず、私ならもっと書ける、という過信が邪魔をします。
交通費や同人誌頒布会の参加費を既に支払っていることからも、時間をかけて作品を練って今回は見送るということはしたくないです。

自己評価に実力が追いついていない私に、どうか妥協の仕方を教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

弘法筆を選ばずとも、作品、心打つ人を選ぶ。

思っていることがそのまま言葉で表現できるようになる。
それが私の理想でした。ですが、それではまだ道半ばでした。
マンガでいうところの思い描いているストーリーと画風が狙った通りになるといったところでしょうか。
説法も自分の表現欲求に自分のアウトプットする表現力が追いついていかないと、あーとか、ウーしか言えません。
キース・ジャレットというピアニストは名盤「ケルン・コンサート」の生演奏(即興)を終えた後「もっと指が欲しい」と言ったそうです。脳内からあふれ出る音がもっと無限にあるのでしょう。(演奏中にAH♨とか言ってます)
私の心酔する禅の師は講話で悟りを縦横無尽に的確に表現なされ、私のような愚鈍人間にも分るように説いてくださいます。
私も坐禅会で思った事を自分が表現したい言葉で的確に表現できるようにはなったのですが、これでもか、と言わんばかりに自分なりには表現しているつもりでも、残念な事にそれでも響かない人には響かないものです。
道元禅師も正法眼蔵95巻の中で別々の話を説いている訳ではありません。
仏教の悟りを95の角度から縦横無尽に説いておられるのです。
世間ではワンピースが人気のあるマンガです。私も勧められて読みましたが、あまり響きませんでした。私には刺さらんのです。むしろ白土三平さんの「カムイ伝」の方が私には内容も絵も強烈に突き刺さります。
ウリ・ジョン・ロスという私のリスペクトするギタリストがいます。
私はこの人のライブにCDも買わずにライブに行って生ライブを体感しました。
ライブ会場でいきなり本番の生のライブをそこではじめて聞きました。その方が、現物をいきなり体験できるから感じるものが多くあります。
ギター(ペン)一本でこんな表現も可能なのか!と、深く感じ入るものがありました。ビビビ。
翌日、私のお経は格段にうまくなっていました。(本当)
真のアート、作品には人生を変える力があります。魂が宿ります。伝えたい何かがそこにある。びびび。
そこに魂があれば観る側に魂を感じとる力があれば聴く人、観る人感銘受けざる 者無し。
あなたが何を伝えたいか!そこを外して妥協もなにもありません。
それを正当に評価するには情報に惑わされないことです。
情報を先に聞いたら騙される。実物に学ぶのです。
実物を正当に評価する感性が失われれば芸術も色を失います。

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有り難し
おきもち

心血注いだものが今の実力です

拝読させて頂きました。作品を作るという行為は本当に際限ありませんね。こうすればいいああすればいい様々試行錯誤を繰り返しますからね。しかしその過程が何より大切なことです。できあがったものは作品ですが試行錯誤や推敲の結果にしか過ぎません。それをどうこう判断されてもいいと思います。
その意味では締切は大切なものです。締切がないと延々だらだらしてしまい結果良いものメリハリのあるものはできません。なにより締切までにできたものが今の自分の実力です。それは間違いありません。
その事実をしっかりと受け止めることが大切です。それが次の制作活動につながるのです。
妥協ではなくできるだけの事を締め切りまでに誠心誠意注ぎ込む。それが大切です。
どうぞこれからも切磋琢磨制作なさってご精進なさってくださいね。
あなたがこれから制作に心血注ぐ人生を応援させて頂きます。がんばってくださいね!

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。締め切りまでにできたものが今の実力というお言葉がとてもしっくりきました。構想力、画力だけではなく、スケジュールの管理力なども含めて「実力」なのだと考えるようにしてみます。精進します!

「心構え・生きる智慧」問答一覧

生き方や考え方を変えたい

私は今就活中の大学生です。ここ数年、自分の人生に行き詰まりや限界を感じています。精神的にしんどいことが多く、このままではこのさき生きていけないという不安感があります。 私はおそらく人より不安感が強く、同じ出来事でも一般的な人の数倍、辛さや不安を感じやすいのだと思います。 その辛さにどうやってこれまで打ち勝ってきたかというと、とにかく頑張ることでした。「不安だ、不安だ」と悩む私に、「不安なら不安が気にならなくなるまで頑張るしかない!」とよく親から言われてきました。 頑張っても微々たる不安しかかき消せず、でも頑張らないよりはマシだといろんなことを頑張ってきました。 そのおかげか、周りの人からは「頑張り屋さんだね、コツコツ頑張ることができるんだね」と褒められます。だけど虚しいです。私は鈍臭いから、何をするにも頑張る必要があるだけ、簡単にやってしまえる人が羨ましいと思います。それに、頑張ることにもキャパがあります。この先、私が頑張れなくなった時、私はその人たちからなんと言われるのだろうかと考えてしまいます。実際、頑張ることの限界が近いと最近感じます。 「勉強を頑張るのは、将来やりたいことができた時に困らないためだよ」と言われて、それを信じて自分の可能性を広げるために学業に打ち込んできました。 しかし、頑張れば何にでもなれるわけではありません。就活がうまくいかず、「なんのためにこれまで頑張ってきたのか、頑張ればなんでもできる訳ではないということは理解していたはずなのに」と落ち込んでいます。 私は頑張ることでしか存在価値を示せません。だけど、頑張ることもそろそろ限界が近いです。というか、もう限界を超えています。それに私は頑張れない自分をきっと認められません。 ただ生きているだけでも人よりも多く不安を抱えて、それを乗り越えるために頑張ることもできない。 心と体を休めたくても、社会人になればそんな猶予はないはずです。 早急に私の中の何かを変えなければ、私はこの先、きっと生きていけません。というか、少しでも生きやすいように自分を変えられないのなら、もう私はこれ以上の苦しみを味合わないように消えてしまいたいとすら思います。 どうすれば、もう少し楽に生きていけるでしょうか。もう限界です。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

夫の過去の浮気が忘れられない

浮気、不倫など自分とは無縁だと思っていたら、夫が不倫していました。 夜中に自分の部屋で女と電話している所を同居の娘に聞かれてバレました。 娘も私に言い出さなくて、2ヶ月は胸に秘めていたそうです。 女と遊び始めてからは、夫は 仕事にも行かず、女のシフトに合わせての外出、外泊、3日空けずに女と昼間からホテル。私は離婚するつもりで、探偵を雇い 証拠を揃えて、弁護士も雇い、女に慰謝料請求しました。怒り狂った夫は、私と娘に恫喝まがいの暴言を吐きましたが、結局は、慰謝料請求を取り下げて欲しいと言う事。もちろん、却下するものの、女は弁護士から送られた内容証明を無視。 弁護士からもあんな酷い態度の女性は初めてで、無視を続けてる以上、どうしようもない。訴えたところで、離婚していないのなら、判決で決まる慰謝料なんて少額。 訴えれば、私が損をすると畳み込まれました。 夫とは、よくよく話し合い、許してはいないけど、謝罪は受け入れる事にし、仕事にも復帰した夫、憑き物が取れたように、顔つきも元に戻り、平穏な毎日を送っていますが、私はあの女が許せないままになっています。夫が1番悪いことはわかっているつもりですが、無視をしつづけてる女が許せない気持ちが続いてしまってます。 自宅のパソコン、夫のLINEが同機していたので、2人のLINEやりとりはずっと見ていました。見てはいけなかったのでしょうが、探偵に情報を送るために確認していました。そのLINEには女が、離婚をそそのかしていたり、泊まりをねだっていたり、私の悪口を書いていたり、別れると言いながら、夫を呼び出しホテルで仲直りを繰り返している事がわかりました。 夫はもう一年前の事、もう終わった事と自分の中では終わらせてしまってます。 夫とは穏やかに暮らしているものの、私には落とし所が見つけられないままになっています。こんな私は見苦しいですよね? 再構築を選択したとは言え、あの頃の夫の顔つきや、暴言などがフラッシュバックしてしまいます。 こんな私にお言葉を頂ければありがたいです。残りの人生を穏やかに暮らしたいのです…

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

普通の家庭への羨望、前向きにがんばれない

あまり一般的とは言えない家庭で育ちました。 親は共働きですが父親が働いたお金をすべてギャンブルに注ぎ込むため、生活費や学費がなくなり子どもの私や姉が高校に入学すると同時にバイトを始め母と一緒に生活費を工面する生活でした。高校卒業時に全部自分で責任を背負うことを決め家を出て、大学に進学しました。そして海外の大学院に進学し今に至ります。 現在私は30歳になり、海外で自分がずっとやりたかった仕事ができています。 それは子どもの頃からの地獄のようなアルバイトの生活とこれからの奨学金の返済義務を犠牲にやっとこの場所に立てているのです。なのにただ何もかも用意された環境で育ち、困ったことがあればすぐに頼れる実家や家族がいて、お金の心配をする必要なく日々を前向きに過ごせている周りの友だちが羨ましくて仕方ありません。 その上「逆境こそがんばらなきゃ!貧困を努力で乗り越えた人たちはたくさんいるよ!」「もっと賢い方法でお金を稼ぎなよ」と子どもの頃から何不自由なく育った人たちに言われても、素直に受け取れません。 周りからがんばれと言われても、そもそも子どもの頃から全部自分で稼いできた人が存在すること、親に頼れない家庭が存在することを知らない人ばかりで実際私の立場は誰にもわかってもらえないことと、周りとのスタート地点の大きな差をただただ思い知らされて心が折れそうです。 「確かにあの時もっとかんばれたんじゃないか?あの時少し怠けていたんじゃないか?」など自分の技量不足や努力不足も疑い始めました。でもこれでも立ち止まらず、立ち止まれずに心と体をぐちゃぐちゃに壊しながらも今まで一生懸命やってきました。 これからももっともっと前向きにがんばってお金を稼がなければなりません。それなのに私は今も周りの生まれた環境を羨み、比較して、なぜ私は今までもこれからもこんなに苦しまなければならないのかと絶望してしまいこれ以上がんばれないままでいます。 周りとの生まれの違いを気にせずに、どうやったら前向きにがんばれるでしょうか?

有り難し有り難し 5
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SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 3
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愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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楽に生きたい

私は物事をマイナスに考える癖があるようです。 いつも怒られるのではないか、誰かから攻撃されるのではないか、嫌われているのではないかとビクビクしながら生きている事に気づきました。 「ちゃんとしなくちゃ」とか「人に迷惑かけないように」とかいつも気が張っていて何処にいても誰といても休まりません。 常に自分で自分を追い詰めているようです。 かと言って他人にそういう自分の状態を出しているわけではなく、周りの人は私がそんな事考えてるなんて思ってもいないと思います。 そのギャップにも苦しいです。 私は繊細で、大体の人が気にもしないような事を気にしているようです。 人の表情を読み取ってしまったりします。(今この人言ってる事と思ってる事違うな。など) 私のような人間がいる一方で、適当に生きている人(例えば人の話を聞かない人とか、遅刻する人、挨拶しない人、無愛想な人など色々な方がいますが)は凄く自由に見えて、ルールを守らなくても難なく生きてる人もいるんだと疑問に思ってしまいます。 嫌われていると思っていた人に話をしてみたら、そんな事ひとつも思ってないよ?大丈夫だよ?と言われたのですが、表情を読めば私に対して良く思っていないような感じに見えるので、「本心では嫌いだけど大人の対応をしてくれているんだ」と疑心暗鬼になってしまって辛いです。 他人の機嫌を損ねるのが怖いですし、自分を否定されるのが怖いです。 死を考える事は無くなりましたが、1日1日を終えるのが精一杯です。 もっと自由に生きられたらどんなに楽しい人生になるんだろう…。 自分なりに改善策を調べ、何度も何度も実行していますが、なかなか考え方が変わりません。 とにかく生きづらいです。 どうすれば楽に生きられるでしょうか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ