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娘の死

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有り難し有り難し 49

先日娘の死に質問させていただいたものです。
御返答に涙が止まりません。
まだ気になる事があります。娘も訳もわからないまま逝ってしまったのだと思います。未練もあったりするのだと思うと苦しくなります。
どう思ってあげたらいいのですか?
それから娘もたくさん友達はおり、たくさん泣いてくれました。4月から高校生の皆は楽しそうで新たな友達もでき、楽しそうです。
周りは当たり前ですが普通に過ぎていき、皆から娘が薄らいでいかないかきになって辛いんです。
ずっと一緒、そばにいるといってくれたり、来てくれたりしていてもちろんありがたいです。
親とはもちろん感情は違うと思います。
娘を忘れないでと思いすぎるというか。
いろんな気持ちが葛藤します。
頑張ろうとか嬉しいとか感謝もたくさんします。でもどうしようもなく寂しくて会いたくて苦しくなったり。
その繰り返しが当たり前なのでしょうが、会いたいと思いすぎるのも娘には良くないことなのかな。とか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あえてその執着を“ハナス” 「話す、放す、離す」

会いたいお気持ちは、ある時から故人様と対話する力へと変わります。
お嬢様のお友達に何かを願うのは、お嬢様の友達を通して、お嬢さんが今もなお生きてくれているようなお気持ちにさせてくれるからなのでありましょう。

「話し、放ち、離つ」の3つの修行
ずっとそばにいて欲しいと思われるかもしれませんが、
①お仏壇に向かってお声かけをしっかりなさることもご供養であり、
②いつかは手放して自由にさせてさしあげること、
③距離は離れても、この世界という大海原でそれぞれに生きることも供養です。
話す、放す、離すことはハナスという言霊的にも同義です。
離すといってもこの世界という仏の海の中でご一緒なのです。
いつの日か、あなたが、この不運を乗り越えて「大丈夫よ。」と強い生き方をすることが仏道なのですから。

あなたがお嬢さんにしっかり伝えるべきことを伝え続けて、哭くのを卒業するべき忌日である“卒哭忌”に「お母さん、しっかりやっているわよ、見守っていてね」と、お嬢さん方も、ご主人も、安心できるようなご報告ができるように、毎日を疎かにしないように生活なさることです。もちろんご家族とのお話し合い、時には相手のお話を受け止めてあげることも大切です。互いの心の辛さ、寂しさの“お放し合い”でもあるのですから。
そうしてゆく中で、必ず関わり合いは明るいものに変わっていきます。

まず、冷静になられてからご自身に目を向けて以下のような正しい認識をお持ちになられてください。
「今苦しいのはこの私。娘はもう今は安らかな境に導かれたのだ。悲しいのはこの私である」と。
今苦しんでおられるのは、“あなた自身” であって、もうお嬢様はあらゆる痛みや苦しみから解き放たれて安楽の世界に入られたのだ、と。
「娘がこの世に未練があるんじゃないか」と思われるかもしれませんが、生きている我々が故人に気持ちを重ねた時、そのように思われることがあるだけです。
今はあなた自身の苦しみの縄を緩めることが第一です。

その為に以下の内容を熟読玩味いただければ幸いです。
①亡くなられた故人様のご関係者は、それぞれの立場で皆、誰もが悲しいのであって、誰が一番悲しい、とは定められない。
→お父様だって、お嬢様だって、ご友人だって皆、悲しい。

②亡き後もご自身の生活が続いてゆく以上、故人様との関わり合いはちゃんと残されている。
お墓参りやお仏壇にお手合わせをするなどお嬢様との“関わり方”こそ変わるものの、それは“関わり方”が変わっただけで、「関わること」自体に終わりは無い。→あなたに素晴らしい出会い、幸せある生活を与えてくれたお嬢様への報恩謝徳、報恩感謝の供養を通して「関わること」を続けてゆくべきである。

③人は何歳まで生きれば“これで良い”ということはない。
生ある中で、良い関わりがあったように、死しても良い関わりを続けてゆく。
これから先も家族と、故人様とで良い関わりを。
→辛い、苦しい、悲しい心を、お嬢さんが大好きだったお父さんであるご主人や、面倒を見たかったであろう妹さんである次女の為にも、母親としても妻としても、亡きお嬢さんの為にも少しずつでも闇から光へと転じてゆく必要と責任がある。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話 あけましておめでとうございます。 新しい年を迎えました...
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生きる者が亡き方を「仏さま」にする

じゅんちさま

もう20年も前になりますが、私が大学生の時にクラスメイトが手術から目覚めることなく亡くなりました。本来は生命に関わるような手術ではなかったのに、です。

私と彼は特別親しく付き合ってはいませんでしたが、それでも時々思い出します。それは私が僧侶だからという事もあるかもしれませんが、彼の存在が私にとって大切な「いのちについて考えるきっかけ」だからです。
また彼の無念や未練を考えると、自分はもっともっと頑張らなくてはいけないな、と励まされる思いがします。

長女さんの友人たちは、残念ながら四六時中、長女さんのことを思っていてはくれないでしょう。時が経つにつれ、思い出す頻度も減っていくかもしれません。でも、ふとした時、大切な時に思い出すことがあるのでは、と思います。

亡くなった方を「仏さま」と言うことがありますが、亡くなった=仏さま、ではないと私は考えています。
故人を思い出したことが、その方にとって大切な気づきや励みになった瞬間=亡くなった方が仏さまとして活躍をしている、と言えるのではないでしょうか。

長女さんの友人たちにとって、長女さんが大切な仏さまに成られるよう念じています。
またご家族、そしてじゅんちさんにとっても、時間がかかるかもしれませんが、いつかそんな日が来る事を心より念じています。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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共に生きる大切さ。

じゅんちさま
質問に私なりにお答えできればと思います。私もお坊さんになるきっかけ、ご縁は、弟の死というものでした。4人兄弟のうち2人が亡くなり今、私ともう一人弟がいます。両親は、もう30年くらいたちますが、まだまだ「あのとき~しておけば・・・」という思いは決して消えません。煩悩ですから生きている間は決して消えません。ただ、その思いを弟の分まで生きなければ・・と私自身も思って生きようとしたこともありましたが自分自身もつぶれそうになってしまいました。その“命の分”ではなく私は、亡くなった弟と「共に生きる」ことが大切なんだと感じました。私にとっていつでも共にいてくれる存在が亡くなった弟です。いつでも何か、みてくれていると思っています。何か良い回答をくれるわけではないですが、いつでもみていると思うと人生に“ハリ”が出たような気がします。ただその思いになるまでは、時間がかかりました。なのでじゅんちさまもゆっくりとその死というものを受け入れるまで時間をかけて下さい。決して納得はいかないでしょうが・・・ゆっくりとその思いと向きあえるときがくると思います。

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おきもち


じゅんち様。

以前のご質問にもお応え致しました、沙門の密富です。

その折もお返事致しました如く、今は貴女自身のお気持ちが揺らいでいるときですから、
娘さんの事の色々なお考えが出て来て当たり前です。
其れは其れで排除する事無く、受け入れておいて下さい。
排除してしまう事で、其れは後々気持ちの整理が着きにくく成りますから…

また、貴女様の仰る「気になる事があります。娘も訳もわからないまま逝ってしまったのだと思います。未練もあったりするのだと思うと苦しくなります。 どう思ってあげたらいいのですか? 」との事ですが、今は、其れも其の侭の思いで結構ですよ。

それと、こうして此処に書き込み為さる事も良いのですが、
ご葬儀の折にお世話になった菩提寺のお寺様が居られたならば、一度お話を伺われたらと存じます。または、当方(http://www1.odn.ne.jp/seiriyuji/)
へのお電話でも宜しいですよ。
書き言葉だけでは、細かなニュアンスが伝わって来ない場合も有りますので…
どうぞ、ご遠慮なくお話を為さいませ。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

祖母の死

幼い頃に母親を亡くした私を母親代わりに育ててくれた祖母が昨年の年末に亡くなりました   亡くなる約2ヶ月前に末期の癌と診断され、口から食事が取れないので、中心静脈栄養という直接体内に栄養を入れる管を作る為に一度入院しましたが、コロナ禍での入院は最後の時でないと面会出来ない事や、もう治療として出来ることは痛みが強くなった時に痛み止めを使用するしか無い状況でした   祖母の長年住んだ家で家族と過ごしたいとの希望や、私も24時間付き添う事は出来ないけれど出来る限り祖母の願いを叶えたいという思いもあり、退院して在宅で過ごす事を選択し家で過ごしていました   家にいる間は特別な事をする事は出来ませんでしたが約十日間くらい穏やかに家族で一緒の時間を過ごす事ができました   亡くなる3日前になると身体が栄養を吸収出来なくなり、浮腫んだり痰が多くなって逆に身体の負担となっていたので栄養を中止し、また呼吸も徐々に弱く途中で無呼吸も見られるようになり、言葉を発する事、自分で起き上がる事も出来なく、訪問看護の看護師さんから今日明日でもおかしくないと説明を受けました   看護師さんが帰り、祖母と二人きりになり、祖母を抱き締めながら今迄育ててもらった事など沢山の話やお礼を言い、祖母と二人で泣きました   そして次の日には意識がなくなり寝たままとなり、その三日後に息を引き取り、私が看取る事ができました    葬儀も無事終わり、もうすぐ四十九日ですが喪失感や悲しみで毎日祖母の祭壇の前だけでなく、買い物をしている時など様々な場所で祖母との思い出が巡ってきて涙が溢れてきます   とても優しく家族思いな祖母で、自分が癌で食事が食べれなくても家族の食事を作ろうとしたり、私が傍にいると口癖のように、ご飯を食べたか心配してくれる優しい祖母でした   祖母が亡くなった後もっと祖母に出来る事があったのでは無いか、こうしていれば良かったのではないかと考える日々です   知り合いから、私がいつまでも泣いていては祖母は成仏出来ない、世の中には死に目に会えない人だっていると言われました   家族の最後に立ち会えない人も居るのは分かります、でも看取りが出来ても亡くなった事への悲しみや喪失感、後悔の感情は皆簡単には割り切れないのでは無いかと思います   私は祖母を思い出したり泣く事は許されないのでしょうか

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私のせいで母は天国にいってしまった

母をくも膜下出血で亡くしました。 自宅で私と一緒にいたのですが、 朝起こされて見ると廊下に倒れていて 痛いと言っており、どこが痛いか聞いても痛いしか言わないので怒ってしまいました。あのとき病院に連れて行っていたら助かったはずなのに… 廊下で寝だしたので布団を掛けて、寒いと言うので暖房を付けて、私は母が眠っている間に家事をしていました。一度母は起きてトイレに行き、また廊下で寝ていました。しばらくして起きてこないので起こそうと思って横向きに寝ている母を起こすと、既に息はしていませんでした。救急車に運んでもらいましたが、既に手遅れ。息がなくなっていたのはお医者さんによると救急車を呼ぶ30分前くらいだったそうです。私が早く病院に連れていけば、痛いと言った時優しくしていれば、もっと母と仲良くしていればこんなことにならなかったのに。私が今まで母に優しくしてこなかったせいで、まだ60歳にもなっていない母を死なせてしまいました。 母に謝りたいし、感謝の気持ちも、大好きだという言葉も伝えたいに、もう母に私の声は届きません。母が最後に聞いた私の声は、きっと怒った声です。 母は生まれ変わっても私と一緒が良いと言ってくれたことがありますが、こんな私に対して今も思ってくれてるでしょうか、思っていてほしい。こんなひどい私だけど思っていてほしいと願ってしまいます。 母を死なせてしまった私が、今母のためにできることは何なのでしょうか。私の思いは母にどうやったら届くのでしょうか。

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祖母、母と相次いで亡くしました。

初めて質問させていただきます。 昨年10月末に祖母(97歳老衰)を、11月中旬に母(67歳病死)を亡くしました。祖母と母は実の母子です。たった二週間の間に二人も亡くしたのですが、全く悲しくありません。祖母への感情は老衰なので「素晴らしい生き様を見せてもらえた」と思い、母への感情は長らく闘病していて最後は祖母の葬儀にも出席出来ないほど衰弱していたので「やっと楽になれたのかな」と思っています。二人が亡くなる1~2か月前から両者とも危ない状況が続き、電話が鳴る度に動揺したり父と病院へ対応しに行ったり、正直その事に疲れきっていた…誰にも言えませんが、そんな思いもあります。(私自身も仕事と家事と育児と毎日フル稼働) 母とは、私の物心ついた頃から愛情は感じておりましたが、過干渉なプチ毒親で、過干渉以外にも価値観の押し付けや、意見すると見放す発言等、良い親子関係だったとは言い難いです。病気になってからは弱音を吐いたりするようになっていましたが、完全に寝たきりになった昨年夏からは「誰とも会いたくない、あんたや孫にもこんな姿見せられない!」と…近くに住んでいるのに拒絶され、祖母のことがあるまでは会う回数も減っていました。私はその時「最後まで勝手な人だな…」と思っていました。それでも体調が良い日は電話をかけお互いに色々な話をして、生んで育ててもらった感謝を伝えたり、母の過去の過ちを謝ってもらえたり、最後には今まで絶対にしてもらえなかった「褒める」をしてもらえました。その時初めて「あぁ私褒めてもらいたかったんだ…」と母に対する負の思いが払拭出来たように感じました。それから少しして、母の死を迎えましたが悲しいというよりは、むしろ今は母を近くに感じています。きっと私の中にいてくれるし、孫やその先代々まで…と考えると不思議と悲しくないのです。私の子供たちにもそう伝えています。 周りの人や職場の人からは「お辛いでしょうが…」とか「これからだよ喪失感…」とか言われるのですが、正直「???」と思って聞いてます。 そこで、質問ですが、この思いは「今」だけなのでしょうか?この後、猛烈な喪失感に襲われるのでしょうか?私が二人の死を受け入れきれていないのでしょうか?この「悲しくない」の感情は罰当たりな考え方なのでしょうか? 拙い文章で恐縮ですが、是非お答えいただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

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私はずっと父について後悔してることがあります。 現在私は母と姉の3人で暮らしてます、父は、7年前癌で亡くなりました。 亡くなる1、2年ほど前、健康診断に再検査の文字があったと父は夕食を食べながら軽くいつもの雑談という感じで話してました。 私も深刻に受け取らず大丈夫でしょ、と父に軽口のように話しました。 母と姉が検査したほうがいいと言う中、父は私の言葉を信じてしまったのです。 そして異変を感じた時には手遅れになりました。 母は時々父は検査をしなかったことを後悔していた、すればよかったと言っていたと思い出したかのように話しますが、家族は皆私が言った軽口を覚えていませんでした。 父が自分で検査をしなかった、馬鹿な父だと思っています。 あんなにも母と姉は心配し、助言したにも関わらず、父は私の言葉を信じてしまったばっかりに寿命を縮めたのです。 私が殺したのです。 当時私は成人したばかりで親孝行なんてしたこともありませんでした、そして最後までまともに親孝行できずに父はいなくなりました。 お見舞いは弱っていく父を見たくなくて殆ど行かず、20歳にもなって人が亡くなる事が理解できず父の遺体を見て笑う始末。現在、家族と墓参りに行っても墓を見るのも嫌です。 夢で時々父に会いますが、起床後は嬉しい気持ちよりも、なぜ父が死んで私が生きてるのか考えてしまいます。 現在、母にはできる限りの親孝行をしているつもりです。 しかしずっと家族の為に働き続けてきた父には何もすることが出来ず、病気で苦しんで亡くなりました。 亡くなったのは随分前のことなのに今でも父の生前話を明るくできません、どのように気持ちを整理しらいいのかわからないのです。 いつか母が亡くなることを考えると耐えられるか自分にはわかりません。 どうやったらこの気持ちが楽になるのでしょう。

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夫を自死で亡くしました まだ26歳でした 結婚して3年目1歳の娘がいてマイホームを購入し、さぁこれからと幸せな未来を考えていたとこでした。 ずっと仕事で悩んで暗い顔していていたのにどうしてあげることもできず… 今思えば助けを求めていたのに助けてあげられませんでした。 最後に家を出たときに無理に笑ってじゃあねって言った顔が常にリピートされて あのとき嫌な予感がしたのに引き止めなかった自分に腹が立ちます。 毎日後悔ばかりで夫がいないことがつらすぎて息も苦しくて生きてるのがいやで夫と同じ方法で同じ場所で死にたいと思ってしまいます。 ですが娘を1人にするわけにいかないので生きていかなくてはいけなくてもどかしいです ここ何日か泣きたいのに泣けなくなってしまって 遺骨は夫の実家のほうにあり側に夫がいないというのもありますし 両親が泣いてる姿を見ると私はたった4年一緒にいただけなのだから 悲しんではいけないと思ってしまいます 夫にとって私と娘が1番だとわかってはいますが 周りが私に気を遣い夫から離されると本当に愛されていたのかわからなくなってしまいます 悲しいのにどう悲しんでいいかわからないんです 本当は遺骨のそばで1人で夫に話しかけて泣いていたいんです 普通に仕事に行き普通に笑っている自分が怖くて嫌いです 私はずっと夫の奥さんでいたいと思っています ですが夫の両親は違う人と結婚してほしい 背負っていくのは親の役目だからと… 私はずっと背負って生きていってはいけないんでしょうか ずっと愛していてはいけないのでしょうか 夫を亡くしただけでも引き裂かれるようにつらいのに 想うことさえも奪われたら生きていけません。 夫にものすごく会いたいです…

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