主人が突然に近い形で亡くなりました。
初めまして。
昨年、主人を亡くしました。
病死でしたが、半年間の闘病生活の中で、亡くなる2日前に突然余命宣告があり、本人も私も訳が分からないまま亡くなってしまいました。
病院側にはとても不信感が残っております。
早い段階で余命の話をして貰えなかった事で、本人もやりたかった事ができず、会いたい人にも会えず、私もしてあげたかった事ができず、もっと優しく接してあげていればと後悔ばかり残ってしまっております。
亡くなって半年あまりは毎日滝のように泣いて、後追いばかり考えておりましたが、周りの兄弟(両親は既に他界)、親戚、友達が色々支えてくれ、後は飼っている家族同然の犬のおかげで頑張って来られましたが、今でも時々早く死にたいと思っていまいます。早くダンナさんに会いたいとそればかりで、この先、ダンナさんのいないこの世で楽しい事が待っているとは思えないです。
10代の頃に知り合ってずっと一緒だったダンナさんだったので、
亡くなったと同時に自分の体の一部がもがれたような感覚で、同時に過去まで無くなってしまった感じがしています。
子供はいません。ずっと2人で生きてきて、5年前に主人の希望で犬を飼っております。
今はその子の飼い主としての責任を全うする事を自分に言い聞かせていますがそれだけで、毎日ただ生きているだけといった感じがします。ダンナさんのいない空虚感と、今まで沢山時間があったのに、幸せにしてあげられなかったと言う思いでいっぱいです。
これからの気持ちの持ちようを教えて下さい。
後、納骨はまだしておらず、できれば私が亡くなった時に一緒に納骨をしてもらいたいと思うのですが、お寺さんからは3回忌までに納骨するように言われております。ずっと手元に置いておいてはいけないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生き抜いてください。お願いします。
謹んでお悔やみ申し上げます。
10代からのお付き合いとありましたが、
かれこれ30年近い歴史がお二人にはあることと思います。
余命宣告をもっと早くしてくれば、
あれもできた、これもしたかったと、
悔やみきれない想いお察し申し上げます。
また、ワンちゃんがいるから今は何とか生きていかれる、
その想い痛いほどよくわかります。
お世話する存在があることで、生きている意義が実感できる。
人は誰でも弱いものです。一人では生きていけない。
でもあなたには30年分の思い出があるはずです。
大切な大切な思い出が。それをしっかりと抱きしめて
生きていくことはできませんか。
どうか、彼の立場でお考えください。
まだまだ、人生の道半ばにして、この世の生を終わらざるを得なかった。
ご本人のお気持ちを考えてみましょう。
そして、最愛のあなたをこの世に一人残して、
極楽浄土に旅立っていかなければならなかった気持ち。
自分の分まで、この生を生き抜いて欲しい。
お迎えが来るまで、生を全うして欲しい。
早く逝ってしまったら、彼は悲しみますよ。
極楽浄土は遠いところあるのではなりません。
あなたのその胸の中に、気持ちの中にあるたくさんの
楽しい思い出が、それがすなわち極楽浄土なのです。
すかっり年を取って、おばさんになって、
私は生き抜いてきたからね。と彼に極楽浄土で、
自慢してあげてさい。
彼もそれを期待しているはずです。
どうか、お幸せに、もっとお幸せに!!
納骨のことですが、
ご自身の気持ちの整理がついた時が納骨の時だと思います。
気持ちの整理がついたら納骨しますと、お話ください。
浄光寺
質問者からのお礼
お盆のお忙しい中、早速ご回答頂きまして有難うございました。何度も何度も読み返しました。30年分の思い出が極楽浄土なのですね。だとしたら姿形は見えませんが、一緒にいてくれている?と思えて少し救われた思いが致しました。主人の最期を看取りましたが、とても壮絶なものだったので、その事もとても心に深く刻まれていて、とても辛いです。お坊さんの言われる通り、無念だったと思います。彼の分まで頑張れるか自信はないですが、一緒にいてくれていると思いながら全う出来たらと思います。