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主人は幸せだったのかばかり考えてしまいます。

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はじめまして。
毎日、自分の心をどうすれば良いのか悩んでおります。
ご助言などを頂ければと思い書き込みをさせて頂きます。

1月4日に、突然死という形で主人は眠ったまま旅立ちました。
その日の早朝5時に一度会話をして、その時に主人は体調の不調を言ってはおりました。
しかし、いつもの会話として私は受け止めてしまい何の対処もしませんでした。そしたら、主人がごめんな・・と、言ってきたのでどうしたのかなと思いつつも突き止めもせずそのままにしてしまいました。
それから3時間後に、子供が起きてきて冗談でパパ死んでるみたいと言ったのを聞き、いつも聞こえるはずのイビキが聞こえない事に気が付き主人に語りかけるも、すでに冷たくなっておりました。
あの時、病院に連れていってれば。そんな後悔ばかりです。

助けれたかもしれない主人の命を、私は見殺しにしてしまいました。
一番下の子はまだ小学1年生。もっと子供の成長を見たかったでしょう。
主人はとても無念だったと思います。
私じゃなく、病院に連れて行ってくれる違う人と結婚していれば主人は今も生きていたのかも知れない。

主人は、こんな私と結婚して幸せだと思ってくれたのか。
主人は、私を待ってくれてるのか。それとも私を見放したのか。
色々、考えてしまい夜も眠れない状態です。

こんな私に一言、お願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しみと思い出、そして如来のお慈悲

亀山純史と申します。私の宗派(浄土真宗)の立場からの回答をさせてください。
以前、*故花山勝友先生がそのご著書(『いい生き方いい死に方』 ごま書房刊)の中に次のような逸話を書いておられました。先生には六人のお子さんがおられましたが、次女が四歳の誕生日の直前になるわずか一日の出来事で他界しています。大勢の方が弔問に見える中、奥様はポツリと「子供を失ったことのない人には会いたくない。」ともらされたそうです。花山勝友先生も、同様な気持ちを持ったと言います。
そのような中、
「あなたは、大事なお子さんを亡くして、さぞ、つらくて悲しいことでしょう。しかし、その悲しみさえも、私のように、欲しくて子どもができなかった人間から見ると、大変うらやましいことなのですよ。あなたには、少なくとも四年間の思い出が残っていますが、私たち夫婦には、その思いですらないのです。」
と話された慰問者がおられたそうです。その言葉に「こんな辛いことはない。」と、自分が世界一不幸な人間のような顔をしていた自分は、なんと増上慢であったことかと思ったとのことです。

私たちは死別のその悲しみを通して気づく目覚めによってのみ、その人の死が私たちに深く係わってくると思います。私の宗派である浄土真宗においては、人の死を通して、そこにかけられている大いなる阿弥陀如来の慈悲(如何なる人も、必ず迷いの中から救うという誓願)に出遇っていくのです。阿弥陀如来の大いなる慈悲に出遇えたとき、私の抱く悲しみの感情は、亡き故人がこの私を如来の大いなる慈悲に導いてくれたという、大きな意味を持ってくるのだと思います。

記憶、思い出がなければ、悲しみも湧きません。悲しみが深いとは、思い出もそれに比例して深いということです。身近にいた人との死別の悲しみを御縁として、阿弥陀如来のお慈悲に触れていかれること念願いたします。

*花山勝友:昭和6年生まれ 花山信勝(東京大学名誉教授 巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら七人のA級戦犯の処刑に立ち会った)の息子で、武蔵野女子大学の副学長を務めたが、父信勝の後を追う形で1995年(平成7年)秋に逝去した。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

しあわせの時計の音に耳を傾けよう

人間が❝しあわせ だ❞と口にするのはいつの事でしょうか。
私は毎日がしあわせですし、振り返れば過去もしあわせですが❝しあわせだなぁ❞という事をいつも抱いている訳ではありません。
加山雄三さんだって「ぼかぁ幸せだなぁ」と口にするのは曲の中で曲の合間のセリフの一言だけです。(君といつまでも 1分25秒あたり参照https://www.youtube.com/watch?v=aLs0GTQjzXc)
友人が幸せプロジェクトを立ち上げましてね(^<^)幸せチェイサーとなって常に幸せの追求と提供をしていましたが、幸せを追求すればするほど「ああ、年がら年中シアワセでありつづけようとすること自体、不自然な事だと気づいたよ。それって、かえって今までの幸せや、目の前のしあわせをこわすことなのかもな」と言ってましたので「でかした!」とホメて頭なでなでしておきました。
私は「幸せだなぁ」とプラカードを掲げる事は、時々でイイと思っています。
幸せだったはずでしょう?そして、今も、目の前にお子さんたちがいて素敵な宝物を残してくれて❝しあわせだなぁ❞と思ってみましょう。
ご主人との過去を振り返ればきっと幸せな事ばかりだったはずです。
幸せでなかったはずはありません。
時計をみるようなものです。
今何時だろう?と時計を見ますね。
でも、ずーっと見続けている必要なんてないのです。ちゃんと時を刻んでくれて動いていれば安心なのです。
時間が分かればそれでいいのです。
同じように、時計がちゃんと動き続けている事が「幸せです」というプラカードを掲げる前からすでにあたたかな幸せ音がカチカチと鳴り響いている状態なのです。
それは亡くなられたご主人も同じなのです。どうぞ安心なさってください。

お子さんたちへ。
パパはもう亡くなられてしまって時計が動かないじゃなかいとは思ってはいけないよ。
パパは亡くなっても、みんなとパパとの関わり方が変わっただけなんだよ。あなた達がパパをを想い続けてくれる限り幸せの時を刻む音はそばでずーっと永遠に鳴りやみません。パパを感じられることがあれば、それがあなたとお父さんの幸せを続けていく時計なんだよ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

私は少なくとも16年、一緒に生活をする事ができて、その中でたくさんの思い出があるんですよね。
もちろん、その中にはかけがえのない子供の誕生や成長。
そして、肉体はなくとも魂はこれからも一緒であるんですよね。
今の私は、欲張りすぎでいました。

これからは、魂の主人との関わり方を考えていこうと思います。
主人が亡くなってからは、朝や夜、何かあった時など手を合わせて報告してました。
しかし、魂に話すというより遺影や位牌に話す感覚でありました。
子供たちと、もう一度話し合い魂に話すという事を考えていきます。

最後になりますが、私も主人も16年間という普通では短い夫婦生活ではありましたが、
その分、幸せが凝縮された日々を送ることが出来ました。
主人に出会い、結婚し、主人の子供を授かれたことに感謝し、まだ末っ子は7歳なので
主人が安心できるように、精一杯 子供と向き合い主人の宝を大切に守っていきます。

ありがとうございました。

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