人を殺めてしまうのではないか
車の運転が怖いと以前に質問させていただきました(お礼が遅れたことを大変お詫び致します)。
http://hasunoha.jp/questions/4807
あれから、怖がっていてはなにも始まらないと思い一念発起して、まずは車のハンドルを握るところから車の運転を練習しようと考えるようになりました。何事もチャレンジ、当たって砕けろの精神で行こうと。
ただ、どうしても「私は事故を起こしたら人を殺めてしまうのではないか……」という恐怖や心配が抜けません。取り返しのつかないことをしてしまうのではないかと。
過失に依って人を殺めてしまった人間は救われるのでしょうか?
極端な質問だと呆れられるかもしれません。お叱りの言葉ももちろん歓迎します。私にとっては切実な問題なのです。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思いを手放す
踊る猫さん
車がなくても生活できる場所に住むということも、1つの方法だと思います。年をとれば運転できなくなるわけですし、それも1つの選択肢だと思います。
恐怖心というのは、想像することから始まります。現実でないことを想像し、怖いものだ。事故を起こすかも。とさも現実に起きるもののように妄想することで、恐怖心がどんどんと膨らみます。
恐怖心は事実、現実、今、から離していきます。運転していても、想像ばかりになり現実、今の様子がおろそかになります。つまり、事故を起こしやすくするのです。
事実は今の様子のみです。考えの世界は妄想にすぎません。そちらを抱え込む生き方は、苦しむ生き方です。妄想の世界は、抱え込まなければ、そのまま流れていきます。手放しでいいのです。今、目の前の様子のみで生きればいいのです。
もう少し詳しく知り実践していくためには、ぜひ、坐禅をおすすめします。
質問者からのお礼
お礼を申し上げるのが遅くなってしまったことをお詫びします。精神状態が悪かったのです。最近堀江貴文さんの言葉を聞きました。「過去にとらわれず、未来を恐れず、今を生きろ」と。この言葉はこの回答に通じるものとして身に沁みます。腑に落ちなかったのがストンと落ちたような、そんな気分です。この有難味を理解するまで三ヶ月という時間が要った愚かさを恥じます。有難うございました。



ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。
◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。
◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。
◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。