5年間病気療養中。同年代への嫉妬に苦しむ。
初めて質問させていただきます。ゆきといいます。
私は5年前から内臓系の病気で病気療養中です。
本来なら大学に入学できる年齢のはずですが、実際の私は学校にいく体力なんて全く無く、そもそも中学にすら最後まで行っていません。
時々顔を合わせる同年代が羨ましく、嫉妬してしまいます。
また、私には姉が居て、姉は、今の私の年齢で、一人暮らしをして大学に行っていました。勉強だけじゃなく、身の回りのことまで自分でやっていたんです。なのに、私は、ちょっと家事を手伝えば体が辛くなってしまいます。
何も努力できなくて、周りが成長していくのを指を加えて見ているだけの現状に苛立ちます。焦らなくていいんだとわかっていても、悔しいのです。
何か言葉をかけていただけると嬉しいです。
また、私は、もしかしたら仏教に入信したほうが幸せになれるのかも、と思っています。私が読むといい本などあれば、教えていただければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなただからこそ 気づける世界が必ずあると思います。
ゆきさん
悔しいですね
苛立ち、悔しい気持ちが伝わってきます。
周りの友達やお姉さんが
大学生になったり、一人暮らしをしていく
かたや自分は
ちょっと家事を手伝えば体が辛くなり
努力することも出来ない
悔しいと思います。
成長とはなんでしょうか
何かが出来るようになったり
新たな世界に行く事もそうですが
私が思うに
自分自身を引き受けて
生きて行けるようになることも
含まれているのだと思います。
なりたい自分がある限り
なれない自分を突き付けられます。
なぜ自分は出来ないのかと境遇を恨むしかありません。
そうではなく
都合のいいことも、都合の悪いことも
全て自分を成り立たせているものだと
引き受けていく
与えられた自分を生きていく
事実からメッセージを読み解いて
自分にかけられた願いをあきらかにしていくことが
本当に成長していくことなのではないかと思います。
あなただからこそ
気づける世界が必ずあると思います。
本ですが
『妙好人と生きる―親鸞の他力信心の要をつかんだ人々』
亀井 鑛 (著)
はいかがでしょうか
人間の作ったものでない川の流れに乗る
私は高校時代バレーボール部に入っていましたがある理由でやめざるを得なくなりました。
胸の骨が普通の人より出ているためダイビングレシーブをするたびにどうしても胸の骨を打ち付けるのです。友人に聞いたらそんな事は無いと言われ、これは私の特有の骨格なのだと感じました。
身体的欠陥のように感じました。部活をやめてギターを始めました。それは今でもやっていて、ギターと法話をセットに琵琶法師まがいのような事をしています。
ギターだって説法だってもっとうまい人、出来る人はいます。でも私には私にしかできない個性、カラー、キャラがあります。それを生きる事でコンプレックス(疎外感)やら劣等感やらから解放されました。
修行道場時代、一日2時間~5時間睡眠を三か月生活するという最も過酷な侍真寮という部署にいた時もとても周りの方々に追い付いていけませんでした。こんな生活とてもやってられない!早く解放されたい!友人と愚痴ばかりこぼしていました。
その中で一人、黙々と作業する同安居の方がいました。
苦労をものともしない様子でした。
我慢している様子もさほど感じられないのです。
私と彼との違いは何だろうと思いました。
彼は言われたことを私のように反発的に捉えることなくただ淡々とするばかりでした。
人間は自分の身を守ろうとするき、誰か他者に攻撃的になったり反発的になったりします。
今与えられている環境の中で自分が本当に自分の目の前のことをたんたんとやる。
私見を交えずにやる。反発をせず、時間や状況、与えられている現実など人間の変えられない川の流れに乗る。
私はある時1000枚を超える精進料理の皿洗いを一人でやりました。
数年前だったら先の事をみたり、こんなのムリだよと思っていたと思います。
気が付いたら終わっていました。これは仏道のおかげです。
自分の思いをアレコレ加えないように、ただ、淡々と生きるのです。
コツをつかむまで何か好きな事をやってみて下さい。
劣等感も、不平不満も、自分を嫌いになる気持ちも根底は同じなのです。
その思いに曇らされないように、を心がけてみましょう。
質問者からのお礼
ありがとございます。
成長とは何か。都合の良いことも悪いことも全て自分を成り立たせている。
今まで気づきませんでした。
本の方、読もうと思います。
今よりも少しでいいから楽になりたいです…。
ありがとうございました。