仕事と自分の目指す生き方がうまく合わない
4月から社会人になり、5ヶ月がたちました。
私の仕事は全国転勤があり、現在生まれ育った東海を離れ、中四国で一人暮らしをしています。
私は特に向上心があるわけではないので、仕事について生きてければ内容にはさしてこだわりはなく、お給料や人間関係が程々であればよいと考えています。
それよりむしろ、趣味の追っかけや、友人や家族、恋人と過ごす時間をとりたい。それが満足にできないなら働く意味はないとすら思います。
ところが現在、中四国から東海・関東があまりに遠く、思うように余暇を楽しめていません。休日も不定休のため、友人とも時間が合わず、知り合いのいない土地で1人で過ごす休日になっています。
会社自体はまったく不満はありません。お給料も同じくらいの学歴の新卒と比べて良い方ですし、残業が多いということもない。反りの合わない上司はいますが、心をやられるほどではないので、ただの相性と割り切っています。年間の休日も、他社と比べて多い方です。
ただ、連休が取れないために、趣味や会いたい人に会う時間だけが作れないのです。
今ではふと転職の二文字が頭をよぎります。
しかし、私の経歴では十分すぎるほどの会社に勤められているし、今が社宅住まいなので転職するなら家探しからになる。親も心配するだろうし、何より入社前から予想できたはずのことで何をへこんでいるんだとも思います。
それでも、今後こんな状態が何年も続いていくのかと思うと、私は何のために働いているのかと感じてしまいます。
私はどうしたらいいんでしょうか。
せめて心持ちだけでも変えられたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「工夫」(くふう)
あめ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「工夫」(くふう)という言葉がございますが、実は禅語の「動中工夫」という言葉が語源の一つとなっています。
修行僧も坐禅ばかりをしてるだけでは、当然に生活ができなくなってしまうため、坐禅以外における、作務や托鉢、食事の支度などの動作中においても、坐禅をしている時と同じような心境において修行ができるように、状況、環境に併せて、臨機応変に修行しているつもりで対応していきましょう、といった意味合いになります。
あめ様は、今の状況、環境において、どこかまだ「工夫」するような余地はないでしょうかね。
「趣味の追っかけや、友人や家族、恋人と過ごす時間をとりたい」というお気持ちも誠に理解できますが、一方で、転職というリスクを取った場合、安定した職場、給与等を維持できなくなってしまう可能性もございます。そうなると、更に余裕が無くなり、余暇やレジャー、リフレッシュも楽しめなくなってしまう可能性もございます・・
もちろん、まだ一年目であり、これからの頑張り次第では、転勤願いや配置換えを出せるぐらいまでにまでなれることも、先ではできるのではないかと思います。
とにかく、今は今の状況、環境で、ネットも最大限活用するなどして、無駄なく、うまく効率よく休みを「工夫」して、余暇やレジャー、リフレッシュも楽しんでみることも。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌