hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

仏教では詭弁は

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

仏教では詭弁にひっかからないためにどういう方法を教えていますか?

昔から詭弁を使って間違ったことを真実だと思わせようとしている人はいたと思うので、お釈迦さんは詭弁を見抜く方法を弟子に教えていたと思うのですが


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そこに救いがあるかどうか

言葉たくみに立派な事を言っても、救われる中身が無ければ死に禅、死に仏教です。
詭弁や、たくみな論、深遠な教理と称する立派な言葉を並び立ってたとしても、実質的にそこに救いが無ければ役に立たない教えと言えます。
明治の禅僧栴崖奕堂禅師は「仏魔同相の時、如何が真偽を見極めん」という公案を弟子たちに与えています。
仏と悪魔が同じ姿でやってきた。僧侶の姿をしているからといってもあてにはならぬ。
さてどうやって、その真偽を見極めるべきか。
先日たまたま、キリスト教系の信仰宗教が押しかけ布教にやって来られました。
口では立派な事を言われるのです。
毎月布教の冊子を置いていかれるので、当方のも目を通して頂きたいとお渡ししようとしたのですが、
彼らは聖書以外を読んではいけないという制約があるというのです。
本当にそれが神ならばそんな料簡の狭い制約、縛りが必要でしょうか。
洗脳を深めるための都合の良い教義と言えます。
もっと緩やかなキリスト教の宗派もあります。
それを見抜けなければ、神仏の格好をした魔であるかどうかが見抜けないのです。
健康食品と称する、有害物質もあれば、今やしょう油風調味料、みりん風調味料、酢もほとんどが醗酵していない、酢❝風味❞の調味料です。
世にはびこる教えも仏教テイスト(風味)、仏教フレーバー(香料)だけで、上記の❝風味❞だけで中身が無いものも存在します。
ラベルはラベル。
中身にきちんとした薬効成分があるかどうか。救いがあるかどうか。
詭弁はあくまで詭弁。救いのための方便として、用いられることはあるでしょうが、仏教のメインはあくまで本人が救われることですので、論や詭弁にはたして、救いとしての薬効成分のある仏の教えが内在しているか、どうかです。

{{count}}
有り難し
おきもち

仏教以外の教えを「外道」と言います。

外道とは仏道の外ということです。
仏教から見れば、世の中に溢れるさまざま教えや格言は外道となります。
例えば「夢は必ず叶う」というような言葉。
確かにそのように背中を押されることは大切です。
しかし言っていることは真実ではありません。
老いたくないと願っても人は老いますし、死にたくないと願っても必ず死なねばなりません。

仏教はお釈迦様(仏様)がおっしゃる真実まことの教え。
外道は人が作った詭弁・嘘が多い教えです。
つまるところ、人が言うことは信用できないのです。
お釈迦様がどうおっしゃったかを聞くことが一番安心できます。

追記:おっしゃる通りですね。お釈迦様はもうおられませんし、現代は末法の時代なので悟られた仏様もおられません。ですので今は過去の仏様が説かれたお経に依るしかありません。そのお経の中には『真実経』『方便経』『偽経』があります。『偽経』は仏様のお経ではなく人が作った詭弁と言えるでしょう。どのお経がどれにあたるか、それが宗派の違いになります。何が真実で何が方便かは、教学的な見地による裏付けと信仰の上における理解が必要です。そして最終的には信仰の問題になってきます。やはり『私にとって○○は正しい』ということになってくるのが『見分ける』ということになるのかもしれません。

{{count}}
有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

釈心誓さん、いつも回答ありがとうございます。
しかし御釈迦さんが死んで直接聞くことができない今、どうやってそれが正しい御釈迦さんの教えを見分けるのでしょう?

丹下 覚元さん、いつも回答ありがとうございます。

なるほど、正しいかどうかではなくて役にたつかどうかを見るんですね。これなら自分にもできそうです。ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ