承認欲求
よろしくお願いいたします。
今カウンセリングを兼ねてといいますか、友人に誘われて、引き寄せ術の講座に通っています。
自分を変えたくて。
その講座のSNSの中に、先生と生徒が引き寄せた出来事があったり、達成したりしたことを共有するためのSNSがあり、「自分がやりたい事やりました」という風に投稿して引き寄せを共有、そこに投稿して、先生がコメントをつけるのいう形です。
先生は基本的に、自分から気づかないと意味がないからとあえて指摘などしたりありません。
自分から質問したら、先生も「前から思ってた」という返答がかえってきたりします。
しかし、自分で気づかないかぎり何も言ってもらえないので急に自分的には達成した事をSNSに報告して先生のコメントなどを待っていても、あえて自分の投稿のみ無視をしてほかの人全員にコメントしたりします。
何も教えてもらえず、会っても無視に近いです。
話しかけても、じっと見つめられて何?という感じで、好きに生きていると先生が感じている人にはすごく優しいです。
その辺がもやもやしてきたりして、先生にさぐりのメールをいれたりします。
気づけていない私が悪い。と思いながらドキドキしながらです。
最近先生に認めてもらう為に人生を歩んでいる様な気がしてきています。
思考のプロに承認してもらえないと生きていけない。と
これはいったい何なのか、引き寄せとはなんでしょう。
自由に生きるとはどういう事でしょう。
講座代金も結構高額なのですが、自分への投資と思っています。
(頭の中)
先生も何かあるならその場ではっきりとその思い方は違うと言ってほしい!
やり方間違ってるなら言って!無視しないで!
お金をとってそういう商売をしているならビジネスとしてきちんとメンタル面と思考を整えて頂きたい!というのが本音です。
私かなりやさぐれてます><;
自分のこういう所がダメなのもわかってますが、あたまの中で爆発がとまりません。
まわりの顔色をいまだに伺って自由に動けない、それを見透かされているのかもしれません。しかし、どうすれば良いかわからない。
教えてほしい、アドバイスほしいが溢れてしかたないです。
本当の自由に生きるとはなんでしょう。
私はこういう所ではなく、病院の方が良いのでしょうか。。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
冷静に講座の真意はなんであるかを見据えて
拝読させて頂きました。かなりあなた自身も感情的になっておられその感情を抑えられなくなってしまっている様に読ませて頂きました。
先ずはそれは商売ですから冷静にご対応なさってください。あなたが求めるサービスを受けられるようにリクエストなさってください。あなたは顧客ですからその点は要求できるはずです。もしもそうでないあなたの要望が叶わないのであればしかるべき説明を受けてるべきかと思います。
様々なセミナーや教室や書籍が出ていますのでとやかく申し上げることはいかがかとは思いますが、その講座の真意はなんであるかをよーーーくお考えなさってじっくりと見てください。
人の心を操り商売にすることはままあります。ですからその点を鑑み冷静になって見据えてくださいね。
そしてご自身でご判断なさってみてください。人の世で真に値することにめぐり会い信じる事ができるのはなかなかありません。利害が絡みますからね。
あなたがその講座や先生の真意を見据えてあなたにとって必要な選択をなさり、心穏やかに成長なさって頂けるご生活を迎えられます様心よりお祈り申し上げます。
「求める心」に支配されないように。
かのん様
こんにちは。拝見いたしました。
自分を変えたいとの気持ちで講座に通っているはずが、変えるどころかどうすればよいのかわからない状態にあるとのこと。
タイトルに承認欲求とあるのでご自身が何を求めているのか気づいておられるのだと思います。講座の先生に認めてもらいたかったはずが、その気持ちを見透かされて振り回されてしまっているというところではないかと思います。その講座の先生が問題なのではなく、かのんさんの中の心の「認められなければ価値がない」「認められるはずだ」というルールが自分自身を苦しめ、そのルールを破った他人を責めるきっかけになっているのではないでしょうか。
厳しい言い方で失礼になりますが、役に立たなければ価値がない。それは他人にも向けられ、あなた自身もまわりをそのように見ているところがあるのではないですか?その価値観から抜け出す、自分から自由になることこそ仏教の教えでございます。
まずはまわりのもの、小さな事に感謝する生活を心がけることです。全てのものは相互作用によって成り立ち、独立して存在するものなどこの世にはありません。花が育つためには、空気、日の光、水など様々な条件が必要なのと同じで、それはあなたにも私にも当てはまることです。お陰様の生活を心がけることで何かが手に入るわけではなくて、手に入れようという「思考」に縛られていた自身に気づくためのことです。
「求める心」を責めるのではなく、その心に支配されていた自分に気づくことが大切だと思います。そのためにも自分の役に立つものだけに手を合わせるのではなく、自分の近くにある当たり前を見つめてみましょう。
「ないものねだり」の人生から「あるもの探し」の人生へ。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
そうですね、私は今の私ではダメだと、今すぐに変わらなければ、と焦っていたのかもしれません。
それに縛られ今ある幸せや出来ている事、周りにいる人達への感謝の気持ちを忘れていた様に思えます。
何の為にこの講座を選び、私自身がどうなりたいのか?をもっとじっくり焦らず自分自身に聞いていきます。
出来ない事より、出来てる事はなにかに目を向けていきたいです。