お金の話
知り合いの住職の話です。
田舎に帰省した際に、時々会います。聞いた話では、なにか兼業を始めたようです。
でも。。会うたびに、そういったお金の話ばかりします。私も気持ちよく帰省したいので、あまり住職さんからお金の話は聞きたくないのですが・・・うまく気にせずにいるには、どう心を持っていればいいでしょうか?」
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感情は自分では変えられません
その兼業住職さんは、おそらく、浄土宗系か、浄土真宗系の宗派のお坊さんなのでしょうね。
(前質問をみました)
私が卒業した、浄土真宗、真宗大谷派の僧侶養成学校(大谷専修学院)のスローガンは、「選ばず、嫌わず、見捨てず」です。
われわれ(私自身も含むし、それを話している先生自身も含みます)は、どんな人でも、自分の都合で、人を選びます。
都合の悪い人は、嫌います。
手に負えないと思ったら見捨てます。
これが、人間の現実の姿です。
しかし、人を選び、嫌い、見捨てる生き方は、自分自身を苦しめ、また他者をも苦しめます。
私達の、本当の深層心理には、「選ばず、嫌わず、見捨てずに行きたい」という願いがあるのです。
この私の文字の説法を聞いたからといって、あなたが、その兼業住職さんを嫌いであることを変えられるとは思いません。
ただ、「選ばず、嫌わず、見捨てず」があなたの本当の願いなのだということだけは伝えさせていただきます。
それなのに、「選び、嫌い、見捨てる、現実の自分のあり方」を、思索することはできます。
浄土真宗の宗祖、親鸞は「聞思」という言葉を使っています。
聞は、「聞法」
つまり、真実の教え、仏の教えを聞くことです。
思は、思索です。
私のこの短い文章を通じて、「相手を嫌うあなた」にすいて、少しだけ思索してみることは可能だと思います。
決して、無理に好きになれといいたいわけでもないし、人を嫌わない、見捨てない立派な人間になれといいたいわけでもありません。
ただ、相手を嫌う心によって、あなた自身も苦しいのだという事実を、ちょっとだけ考えて欲しいだけです。
「宝くじ先輩」
こんばんは。前回の質問も併せて拝読しました。
そういうお坊さんもいるのですね。とても残念な事です。同時に同じお坊さんとしてお詫びしなくてはいけません。申し訳ありません。
さて、少し前、テレビで「ニーチェ先生」というドラマをやっていました。題名は哲学的ですが、内容はコンビニエンスストアの店員さんの様子をコミカルに描いたものです。
そのドラマの中で、「もし宝くじが当たったら」とか「大儲けする方法を思いついた」などと、お金の話ばかりをするアルバイト店員さんが出てきます。ドラマの後半にはその彼が他の店員さんから「宝くじ先輩」とささやかれる始末(笑)
あなたも、その方の話をまっすぐまともに受け入れず、「また始まったぞ『お金さん』の演説」くらいに思って聞くようにしたらいかがでしょう?