人生に飽きてしまいました
はじめまして。
さっそくですが、人生に飽きてしまいました。
私は今19歳の女子、美大を目指していて
只今浪人二年目です。
愛知で一人暮らしをしています。
バイトも去年から続けています。
やることも、目標もあります。
ですが、もう自分の人生に飽きてしまいました。
はやく終わらないかな
何もしたくないな
どうやったら楽になれるだろう
そんなことばかり考えてしまいます。
もともと私は悩みを溜め込んでしまうタイプなのですが
それを周りに出さないが故、バイト先や予備校でも
強いキャラ、いじってもいいキャラが根付いてしまい
楽しく接してくれるのは本当に嬉しいのですが
たまに自分が本当に傷つくようなことも言われてしまいます。
自分が我慢すればいいことだし、空気を乱したくないし
何も言わずにいましたが
最近は受験がダメだったこともあり余計ダメージが大きかったのか
些細なことで酷く傷ついてしまい、情けないことですが
バイト中に泣きそうになってしまいました。
更に追い討ちをかけるように恋愛関係でも悩んでいます
去年から私のことを好きだと言ってくれていた方がいたのですが
その方は今大学4年で、同じバイト先。
そして彼には彼女がいました。
私はそのことを知っていたし、私自身もともとその人が別に好きではありませんでした。
しかし多くの時間を過ごすうちに私の方が彼を好きになってしまっていました。
ですが最近では彼女とうまくいっているのか、それとも勉強が忙しいのか
LINEも冷たく、バイト先での扱いは周りと同じで雑で…
なんだか裏切られたような、見放されたような、そんな気持ちで
本当に嫌で辛いです。
今までほとんど恋愛経験も無く信じ込んでしまった自分が情けないうえ
やはりちゃんと愛されることなんて私では無理なのかも
と思ってしまいました。
ついこの間姿を見かけただけで吐きたくなるような悲しみと苛立ちに襲われてしまいました。
こんなに一喜一憂するのももういやだし
同じ日々ばかりでつまらないし
信頼できた友達は今年から無事に大学生になることができ、
今は上京してしまい近くにいません。
なんだかもう今の自分の性格だと
どれだけ生きていても何も良いことなんて無いんじゃないか
そう思うと、もう、考えるのもめんどくさいです。
自分が弱いだけなのですが。
こんな小さいことで、すみません。
人を信じきれない 自分を好きになれない 悩みすぎてしまう 頑張れない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの出す結論はそれではない。
人生飽きるのはまだ早いです。
大きな建物、広い世界に住んでいながらも、心が小さければ、それらを小さく、つまらないもの、台無しにしてしまいます。
その「小さくする心」は何によって生まれるか。
飽きた、イヤだ、つまらない、弱い、自分が口にしている言葉に目を向けてください。
そこにこそ涙するべきでしょう。
すべてを小さくしてしまっているではありませんか。
何かがキッカケとなって、そんな風に、すべてを小さいものにしてしまう様になってしまったのでしょう。
そのきっかけになった事というのは、実は、例のあの事が、
①「ただ、その事がそうあっただけ」なんです。
➁そこに、あなたは不運にも、あの事、その事を「自分を傷つけるように捉えてしまった」のです。
私は、学生時代に、はたの人から見れば、そんな風に悪くとらえなくてもいい事を、❝悪く❞とらえてしまったのです。
それは、本当に本当に、今考えれば、なにも悪くとらえるべきことではなかった。
ところ私は、それを「悪くとらえる事」をしてしまった。
それが、自らが傷つき、傷ついたという事の始まりです。
いつの頃か、私たちは、人や出来事、楽しかったはずのあの事を、悪しざまにしてきてしまったはずです。
何によって、私どもは、そのように悪くとり扱うようになっていたのでしょうか。
それは自らの「都合」なのです。
心の中に都合によって「闇」が生まれた瞬間を思い出してみましょう。
その数秒前までは、あなたの心は曇ってはいなかった。
自らの都合というマーラ=思いの雲があなたの世界を闇にさせたのです。
仏教の救いとは、その自らの思いの雲の正体を見抜き、思いの発生源、発生の根源を自ら知覚することです。それが悟り(覚)なのです。
私が出した結論は「思いを重ねる前の世界は輝かしい、美しく光り輝やかしい」です。
飽きるどころか、毎日が真新しいことだらけです。
すぐ結果の出せないことを、今すぐに結果を求める事をやめましょう。
それが、あなたの人生の最終結論を悲しい結論に行きつかせるのです。
それも、あなたが思いを発生させ思い通りにならんことを思い通りにしようとしているのです。
あなたの、都合が、あの事を悪いものにしてしまった。その瞬間を思い出してください。
もう一度、自分に負けてあげましょう。
ゼロになれば、やり直しはいくらでもできます。
「人生に飽きる」という意味
小鳥遊さん、ご質問ありがとうございます。
明るいキャラの下には、いろいろな悩みがあるのですね。
受験の悩み、対人関係の悩み、恋愛の悩み。
こんなことを書くと、もしかすると反感を買うかもしれませんが、人生の悩みがつきないのは、当たり前かもしれません。
だから、人生は味わい深いのかもしれませんね。
あなたは、「人生に飽きた。」とおっしゃいます。
「飽きる」という言葉の元々の意味は、「充分に思う」とか「満足する」という意味です。
あなたは、本当の意味で、「人生に飽きた」のでしょうか?
「人生に飽きる」ことを心に置いてみてはいかがですか?