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ご縁は仏さまが与えてくださっているものか?

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突然の質問ですが、ご縁とは仏さまが私に与えてくださっているものなのでしょうか?
仕事で営業をしています。
辛いことが8割、感動が2割というところでしょうか。今日はお客さまが私のことを慕ってくださり、あぁこんな私を大切に思ってくださって嬉しい、と感じました。お客さまが幸せでありますように、と心の中で強く強く願いました。

営業はイキナリ叱られたり、怪訝な顔をされたり、辛いことが多い仕事ですが、時々出会うこのご縁に涙が出そうになるくらい嬉しさを感じます。これは偶然かそれともご先祖の導きではないかと不思議な気持ちになったのでご質問させていただきました。
皆様のお考えや仏教としての解釈のようなものがあれば教えていただきたいです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いまの一当は、むかしの百不当の力なり、百不当の一老なり

すみません。難しい言葉をタイトルにいれてしまって。でも、味わって見ると、有り難い言葉だと思います。

「菩提心をおこし、仏道修行におもむく後よりは、難行を懇ろに行うとき、行うといえども百行に一当なし。しかあれども、或従知識、或従経巻して、ようやく当たることを得るなり。いまの一当は、むかしの百不当の力なり、百不当の一老なり
            道元禅師 『正法眼蔵 説心説性の巻』  」
( 語訳  弓で的を射るが、いっこうに当たらない(百不当)。しかしその当らない矢を何本も何本も放って練習を重ねると、その練習の蓄積の結果やがて的に当たるようになる。その的を射抜いた一当は、それまでの百不当の力であり、百不当の一老(蓄積)である)

 努力して頑張って、営業努力して、身を粉にして働いて、善き結果が出ることもあります。一方で、頑張った割に、結果が出ないこともあります。仏教では、そういう現実を説明する上で、「因縁」と言う言葉で説明します。

 因とは、りかさんが為さって来た営業活動のことです。行為・行動のことです。営業のための直接の行動です。縁とは、あなたを取り巻く「条件」「状況」「環境」という意味です。努力が営業成績に反映される。結果を残す。それは、因(この場合は、営業活動のこと)だけでは成り立ちません。りかさんを取り巻く条件によって、凶となることもあれば、吉となることをあるのです。残念ながら、すべてにおいて「努力すれば報われる」とは限らないのです。

 「じゃあ、努力は無駄なのか?」と聞き返したくなると思います。決してそんなこと有りません。何故なら、いい御縁・いい条件を得るためには長年の「良い種をまく」という行いが必要だからです。そういう背景があっての、「いまの一当は、むかしの百不当の力なり、百不当の一老なり」という言葉です。
 
 頑張って良い結果が出た時は、大いに自分を褒めていいですよ。但し、今回はたまたま良い御縁に恵まれた。調子に乗るなよ。」と自分に言い聞かせましょう。
 思ったように結果が出なくても、落ち込まないでください。「頑張ったけど、条件が揃わなかったんだ。良い御縁、良い状況を得るために、「種蒔き」に努めよう。と、自分を励ましてください。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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ご縁に生きることは心地よいこと

私は元来気が小さい方で、よそでQ&Aを始めたばかりの駆け出しの頃は回答を書き終わって胃が痛くなり、推敲しながら胃が痛くなり、投稿ボタンを押そうとして胃が痛くなり、返信を待つ間に胃が痛くなり、返信を読んで胃が痛くなっておりました。つくづくよく続いたなと思います。

hasunohaは例外ですがQ&Aとは荒れやすい場で、カルトや盲信者、変な人とドンパチやりつつ気付けば10年弱…途中ブランクはありますが、なぜ続いているかと思えば、やはり人との出会いに他なりません。初めてネットで仏法を説く背中を見せて下さった大先輩、辛い質問から逃げるなといつも叱咤してくださった大先輩、別れ際に、ここでの出会いが無ければ今の私は無かったと書いてくださった方、いつまでも風狂のお坊さんでいて下さいと願って下さった方…色んな方々の温かく声、厳しい激励が忘れられません。その1つ1つが私を動かして下さっています。

人は全て、そのような他者からいただいた要因の集まりで成り立っています。それこそがご縁という名の『おのれの生命』です。そう考えると自分というものが違って見えてきます。禅っぽい表現では、そこに感謝と敬意を持って生きることを「仏足を頂戴する」と言います。そうして大きな自分観の中で生きることは人生を豊かにします。その上で、そのご縁に恥じぬよう、自分の足でしっかりと歩いて行くのです。

>おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措(お)きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべぞをぞ獲ん
(友松円諦『法句経』第160偈)

これは最も古い層の経典に見えるお釈迦さまの言葉です。お釈迦さまの言葉と、TV番組ぶっちゃ寺のお坊さんのとても素敵な言葉をセットで、私から辛い日のための応援プレゼントとさせていただきます

>仏様の救いって何かと私も本当によく聞かれるんですけど、仏様っていうのは自分の足で歩かない限り助けてくれないんですよ。だから仏さんの救いって何ですかっていうことを、ある弟子が聞いたら、仏はあなたの苦しみを拭い去ることもしない、あなたの手を引っ張って悟りへ導びかない、あなたの苦しみに同情もしない、私はただただ真実を説くだけだと。つまり、真理・真実を説いてあなた考えなさいと。だから自分の足で歩けるかどうかをやっぱり仏様は見ている。
(5/18放送 東賢性(けんしょう)師)

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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仏様も私もご縁

ご相談拝読しました。営業という大変なお仕事お疲れ様でございます。
人との出会いのご縁は時に私たちを勇気づけ、不思議な感動を覚えずにはおれない瞬間がありますよね。
辛いことが8割も2割の感動で救われているのではないでしょうか?

さて、ご縁は仏さまが与えてくださっているものか?

とのことですか、私という実体があって、さらには仏様という絶対的な実体があって、その仏様が私たちを見ていて

こいつは頑張っているから良縁を与えてやろう
こいつは最近調子に乗っているから悪縁を与えてやろう

と采配しているわけではありません。
言うならば、私も仏様もご縁それ自体とも表現できます。他の方がおっしゃるように原因があり、条件がととのって結果が生まれる。その結果としてたまたま存在している、縁によって生起して(成り立って)いるのが私です。私も仏様もご縁による縁起的存在なのです。

その私がこれは良縁、これは悪縁と時に選び、時に嫌い、一喜一憂する姿を教えてくれる働きをもつのが仏様です。

具体的には

何かを努力し成功した時に、その成功は私の力だけによるものではなく、数限りないご縁がととのってくれたおかげなのだと感謝する

思う通りに行かない時には、このご縁すらも私を成り立たせるものなのにそれを嫌い、それで苦しんでいる私がいるなあと懺悔を促す

そうしたはたらきを「仏様があたえてくださる」と表現するのも信仰の一つでしょう。

ただあくまでも、仏様はご縁を支配しているような絶対者としての神のような存在ではなく、仏様すらも縁によって成り立つ縁起的存在なのです。

これは先祖のお導き、これは仏様が与えてくださった試練、あるいはご褒美

そう一つ一つ私の思いで分別するのではなく、全てがご縁であり、ご縁が私を私たらしめているのだと目覚めるならば大慈様のおっしゃる「心地よい人生」が開けることでしょう。
なお、「全てがご縁」とはもちろん運命論ではなく、私の主体性は認めつつ、その私も私の歩みもご縁に支えられているのだと感謝する生命観・人生観であります。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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仏教は、因果、縁起の教えです

すべての出来事には、直接的な原因、間接的な原因や、それを可能にする条件があります。
これを、因果、縁起の教えといいます。
直接的な原因を因、果は結果、間接的な原因や、条件を縁、ととらえて下されば、よいかと思います。

また、その出来事は、また別の出来事の因となり縁となります。

このように、この世界には単独で存在しているものはなにもないのです。
みな、因果、縁起で相互に結びついているのです。

「仏」とは、われわれの邪見を破り、真実に目覚させるはたらきのことです。

浄土教では、亡くなった方は、浄土に往生し、成仏し、また、この世界に戻ってくると説きます。
なんのために戻ってくるのかというと、われわれの邪見を破り、真実に目覚めさせ、われわれの苦悩を救うために戻ってくるのです。
これを還相回向とか、還相の菩薩といいます。

あなたのご先祖様も、浄土に往生し、還相の菩薩として、なんらかの働きをしているはずです。

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浄土真宗、真宗大谷派です。
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我、常に仏と共に王道を歩む者なり。

営業のお仕事、楽しそうですね!
あなたにとってもお似合いのお仕事
だと思います。
感動2割とのことですが、実に運がいい、やり手なんだなと、思いました。
営業は千3つ、内容によって変わるでしょうが、千のアプローチをして、
3ついいことがあると言われます。
それを2割の感動というのは、
凄まじい強運、
ご加護の賜物だと思います。
あなたからは、積極性や誠意、
そして、何よりも神仏や
周りの方々に対する感謝の気持ちが
伝わってきます。
そんなあなただから、
ご加護があるんだと思います。

できれば、もう一歩お進めいただいて
私は常に仏さまと常に一緒にまします。
私には何1つ悪いことは起きない。
何故なら私は常に仏さまと、
王道を歩ませているからです。
悪いと思われることは、すべて、
この娑婆世界における学びなんです。
そして、精一杯生き抜いて、
年老いてお呼びがかかった時は、
仏さまのお導きで、そのまま、
極楽浄土に向かわせていただくんだ。
とお考えいただけたら幸いです。
その仏さまとは、
阿弥陀如来ともうしあげます。

今後のさらなるご活躍とご多幸を、
心からお祈りもうしあげます。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

沢山のお返事ありがとうございました。
○大慈様
ご縁という名のおのれの生命、とっても心にしっくりきました。私がこうして頑張れているのはお陰様なんだと。一生懸命になれるのは、ありがとうがいっぱい詰まっているのだと。hasunohaでは誰にも言えない不安を、一つ一つ真剣に考えてくださり、救われた方がきっと沢山いらっしゃると思います。これからもよろしくお願いします。

○吉田俊英様
因と縁の関係。吉田様のおっしゃる通り、努力してもどうにもならない時やすんなりと全てが上手く行くときがあります。30代になって初めて、上手く行くときもいかない時もどちらも自分の成長に繋がっていることに気付きます。感謝の気持ちを忘れずにしっかり生きようと思います。

○吉武文法様
仏様も私もご縁、本当に今、生きている事が嬉しく感じるくらい辛い事も楽しい事も受け入れれるようになってきました。仏教の教えは、今まで身近に感じる機会ぎ少なかったですが、hasunohaを通してとても身近に、そして色んな人に伝えたい気持ちになりました。ありがとうございました。

○佐藤精徹様
浄土の教えに近いものを最近、心から感じておりました。私の先祖はきっと何か伝えるために喜びと苦しみを交互に与えてくださいます。いつか喜びが訪れるのを信じれば、苦しみも自分を責めずに乗り越えれます。おじいちゃん、おばあちゃんに会いたくなってきました。

○三浦康紹様
仏さまと一緒に歩むこと、私も是非仏教の教えを学びたく感じました。実のところ、あまり知識がなくこちらにご質問させていただいておりましたので、皆様のご回答を拝見し、私もそう在りたく感じました。
仕事では普段お会いできない方々にお会いでき、色んな話を伺うことができ、私も天職と感じる時があります。でも辛い時は涙を流し、歯を食いしばって頑張っていることもあります。
因と縁、私が素直に取り組み感謝の気持ちを忘れずに、そして仏様のことを傍に感じながら今後昇進したいです。

皆さま、とても為になるお言葉をありがとうございました。こんなに沢山のお言葉をいただけるとは思っていませんでしたのでとても嬉しくありがたい気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

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