これも試練なのでしょうか
現在、うつ気味で休職中です。
ここ数カ月、思い悩む日々が続いています。
すべてが悪い方に転がっているようで、苦しくて気が滅入ります。
家族の怪我、突然の体調不良、体調が悪いときに限って起きる家族の喧嘩、親族同士のいざこざ、息抜きの外出でのアクシデント、
少しでも元気を出そうと好きなものや人を見てみたら、なぜか酷いバッシングを受けていたり・・・なんだか空回りばかりです。
自分のせいで悪いことが起きている気がして落ち込みます。
いろんなものから距離を置いて休むべきなのかもしれないと思い、休もうとするのですが、
今度は過去の失敗や嫌なことばかりで頭が埋め尽くされ、まともに眠ることもできません。
次から次へとしんどいことばかりが起き、日々過ごすことに疲れています。
これも人生においての試練なのでしょうか?
悩んで苦しんで、自分を見直す機会なのでしょうか。
少しでいいです。楽になりたいです。
どうか助言を頂けると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生は苦しいのが普通。
何か特別な試練というわけではありません。
人生はもともと苦しいものなのです。
夏に、「こんなに暑いのは何か試練なのだろうか」と言う必要はありません。
夏はもともと暑いのです。
人生はもともと苦しいのです。
たとえば、もしも酸素が不足しても苦しくなかったら、私達は呼吸しようとしないので、すぐに死んでしまいます。
呼吸をしないと苦しい、だから呼吸する、結果として生きている。
苦しみがなくなれば、生きていられないのです。
苦しいから行動する、その行動(苦しみを回避しようとする動き)が、生命活動です。
苦しいということは、何か行動して苦しみに対処しなくてはいけないということです。
人生は、その繰り返しです。
次から次にしんどいことが起こるのが、普通なのです。
世界も肉体も変化しますね。
その変化に対処しつづけなくてはならないのだから、生きることの一切は苦しみなのです。
食べ物を見たら「食べたい」という苦しみが発生します。
しばらくしたら「トイレに行きたい」という苦しみが発生します。
目をずっと開けていたら、「目を閉じたい」という苦しみが発生します。
目を閉じていたら、「目を開けたい」という苦しみが発生します。
生命には、どこかに落ち着いてまったく動かなくてよい、ということはないのです。
必ず、すぐに、何か次の行動をしないといけない苦しみが来ます。
それが、生きとし生けるもの全てに共通する真理なのです。
先ずは心を落ち着けて
拝読させて頂きました。今大変苦しみに囲まれておつらいご様子ですね。あなたのそのつらい思いをお察し申し上げます。
生きることは苦しみであるとお釈迦様はお説きになっておられます。生老病死は常に私達について回る苦しみであります。もとから私達はその苦しみの上に今を生きているのです。それは受け入れざるを得ない事実です。
又人生は山あり谷ありです。一寸先は闇であり、光でもあります。あなたは今心も身体も疲れて追い込まれていらっしゃるのでしょうから。その苦しみについてはとりあえず置といてできるだけ心も身体も疲れを癒してください。
明けない夜はありません、去らない嵐もありません。あなたの中でその荒波が過ぎ去る時は必ず参ります。
それは外的要因かもしれませんし、あなたの内面的な変化かもしれません。
今は大変難しいかもしれませんが、心を休めてじっくりと落ち着いて、それから自分こと周りのことそしてこれからのことをゆっくりと追い込まずに考えてみてください。
そうしているうちにまた状況は変わることもあります。
あなたがこれからの未来苦難を乗り越えて皆さんと共に助け合い、共にお健やかにお過ごしなさって頂きます様にと神仏に心よりお祈りさせて頂きますね。心を落ちつけて穏やかに。
質問者からのお礼
願誉浄史様
お言葉をありがとうございます。
苦しみというのは、何事にもあたりまえについて回るもの。
苦しみの例を読んでなるほどと思いました。
あまりにも連続してつらいことが起きたので、なんで自分ばかり・・・という気持ちでした。
試練でもなんでもなく、生きている以上、みんな苦しんでいるのですね。
周りに起きた変化に、何か行動しなければいけない時なのかもしれないです。
なかなか切り替えるのは難しいですが、少しでも今の状況から抜け出せるよう、考えてみようと思います。
kousyo Kuuyo Azuma様
お言葉をありがとうございます。
やはり、生きることは苦しみなのですね。切り離すことはできないのだと改めて気づかされました。
今思えば、過去にもいろんな苦しいことがあったなあと思い出します。でもそのたびに乗り越えてもきたなと思います。
疲れ過ぎて、あまりにもネガティブに考えすぎているのかもしれません。
お気遣いいただいたとおり、できるだけ休んで、落ち着くのを待ってみます。
それから少しずつ、できることをしていこうと思います。