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自分が無価値に思える

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有り難し有り難し 26

最近何もやる気がでません。食欲もなく、ご飯を食べる事すら億劫で、夜しっかり寝ることも出来ず、朝方に寝て、起きて学校に行き...自分でも何をして過ごしているのかあまり覚えてないです。学校へ行くという学生の本分は一応こなせていますがその他は最低限の事すらできません。昔から面倒くさがりではありましたが、まさかここまでではありませんでした。少し片付けや掃除が苦手な程度で(これも自分の嫌いなところなのですが)。食事すらまともにできず体調を崩すのは避けたいのですが。
周りの人は勉強、将来のこと、趣味何かにおいて一生懸命だったり普通にこなせていたりするのに、最近何も出来ない自分が嫌で人が頑張っているのを見るだけで憂鬱になります。良くないことだと思います。
バイトを再開しなければならないのですが、やりたくなく、かといってお金もなく、自分ではどうやって一日を過ごしているか覚えてないのですが確実に無駄な時間が多いのに、心にゆとりがありません。
何かストレスがあるのかと言われればよくわかず将来への漠然とした不安があるくらいで、何が原因なのかはわかりません。ここまで考えて本当にただの甘えだと思うし、それで自己嫌悪ばかりです。
自分が無価値に思えて、誰にも必要とされていないような気持ちになります。昔から自己評価はあまり高い方ではなく自信もありませんでしたが、最近はもっと酷いです。自分がつまらない人間に思えて、自分の好きだったところも分からなくなって、他人ばかりが良く見えてしまいます。恐らく何もやるべき事を出来ていないからだと思うのですが。
友人に話を聞いてもらい落ち着いても、しばらく経つとすごく気分が落ち込みます。独りで過ごす時間が多いのも原因でしょうか...。

こういったことはどうやったら克服できるのでしょうか。やはり、自分の心の問題だと思うので相談しても自分が行動しない限りどうしようもないのかなと思うのですが...。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マイナスワード ネガティブワードの使い過ぎです。

以下、引用します。
どれほどネガティブワードが連発されているかをまず知ることです。
そして「ああ、だから私ダメなんだ…」と、さらにネガティブワールドに行くのではなく、
ポジティブに「ああ!そうか!それが原因だったのか!」と思いましょう。
1自分が無価値に思える
2最近何もやる気がでません。
3食欲もなく
4ご飯を食べる事すら億劫
5夜寝ることも出来ず
6自分でも何をして過ごしているのかあまり覚えてない
7最低限の事すらできません。
8昔から面倒くさがり
9まさかここまで
10少し片付けや掃除が苦手
11これも自分の嫌いなところ
12食事すらまともにできず
13~のに
14自分が嫌
15憂鬱になります
16良くないことだと思…
17バイトやりたくなく
18お金もなく
19心にゆとりがありません
20自己嫌悪ばかりです。
21自分が無価値に思え
22必要とされていないような気持ちになり
23自信もありません
24自分がつまらない人間に思えて
25自分の好きだったところも分からなく
26他人ばかりが良く見えてしまいます

結構、スゴイですね。学生時代の私のようです。
実はこの発言が良くないのです。
ご安心を✄取り除きましょう。
まず、自分を悪く扱っておられることがお分かりになりますか。
人間は考えた事が心身に影響します。
言葉にしたことが心身に影響をします。
ジョークや冗談半分で口にするならば言葉の切り離しがありますから、自身に災いしません。
ですが、距離感の近い言葉、
自分の思い入れを込め過ぎた言葉
完全同期している言葉は、この身に真実として作用します。
今日から、この事を深く自覚して自分を苦しめる言葉、想念、態度を
STOP!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!( °д゚)☞(°д°:)!!!
させることです。
人間は口にする言葉、アウトプットする言葉を、外に表されるその前に脳内で想起する。
悪しきを念ずれば悪しきところに赴くのです。
良いことを考えましょうということではありません。
まず、自分の悪癖に気づいて直ちにやめること。
これで劇的に人生変わります。
奴ことはたった一つだけです。
集中してやってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お礼が大変遅れてしまい申し訳ありません。
お言葉を頂いてから、自分なりに色々考えて行動しましたところ、少し前向きになることが出来ました。
気持ちがとても軽くなりました。
ありがとうございました。

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