負の感情の手放し方がわかりません。
初めて投稿させて頂きます。
宜しくお願い致します。
私は3年ほど前に子供を堕ろしました。
当時は何も考えておらず、子供を育てる自信もなく、当時付き合い始めたばかりの彼と結婚する覚悟も無く、安易に堕してしまいました。
少しづつ事の重大さに気づき今はずっと後悔しております。
誰にも相談せず軽々しく堕してしまった自分が許せません。
シングルマザーの友達を見ては辛くなり、1人でも覚悟さえあれば育てれたのに…
赤ちゃんを見ても涙が出ます。
あの時何故こんな気持ちにならなかったのかと。
そして、パートナーとも上手くいっておらず、喧嘩ばかり。
その背景には降ろした子供に対する価値観があまりにも違い過ぎて…ずっと我慢していました。
彼は生まれてないものは命では無いと言い、お寺で供養すらしてくれません。
彼は2人の問題と言うものの、私ばかりが辛い思いをしているように、どうしても思ってしまいます。
この先、喧嘩ばかりで2人に未来は無いのだけれど、離れたら子供の事も彼の中で無かったことにされてしまいそうで、悔しく思い、離れたく無いという、執着みたいな気持ちがあります。
このまま離れたら彼の思う壺のような気がしてなりません。
でも、自分の幸せを考えれば離れた方が良いのだと思いますが、彼に対する気持ちが手放せません。
離れても辛いのは私だけ、体を傷つけたわけでも無い彼には、本当に何も残らないのです。
それが許せなくて。許せなくて。
これから先。自分が犯してしまった罪から逃れたいとは思いません。
それは忘れようとしても決して忘れれるようなものではありません。
私がしてしまった事は最低です。
でも、それに同意した彼も同じだと思うんです。
でも前に進むにはこのままではダメだとも思っています。
彼への気持ちをどう処理して良いかわかりません。
この気持ちを処理しなければ本当の意味で前に進めない気がしてなりません。
本当に自業自得なのは分かっているのですが…
お言葉頂けると嬉しいです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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祝福される結婚と出産が、亡き子への一番の供養
喧嘩ばかりで2人に未来は無いのだけれど、離れたら子供の事も彼の中で無かったことにされてしまいそうで、悔しく思い、離れたく無いという、執着みたいな気持ちがあります。
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この言葉の中に、既に答えがあると思います。
時折、流産や中絶した方から、水子への供養を頼まれることがあります。読経をしますが、通常考えられる水子供養ではありません。
1、懺悔文(さんげもん)を唱えていただき、同じ過ちを繰り返さないことを仏さまと亡き子へ誓う。
2、般若心経・消災妙吉祥陀羅尼を唱え、大般若理趣分を転読し、邪心を捨てて強く清い心をも持って生きることを祈願し、祈祷札を渡す。
3、「亡くなった命は戻ってきません。亡くなった子供のためには、祝福される結婚をして宿される出産をすることです。そういう結婚出産のためには、それにふさわしい相手を選ぶことも大事です。妊娠や中絶という時に、あなたを労りあなたに寄り添ってくれるかどうか、彼氏という人間を良く見極めましょう。」という趣旨のことを申し上げています。
大事なのは、あなたの人生です。共に歩んでいく気もない相手に執着するのは、貴重な時間の浪費です。
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このまま離れたら彼の思う壺
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彼が変わるなら、彼を変えられるなら、付き合いを続けても良いのかもしれません。でもね、「彼の思う壺」なんてことに拘って自分の人生を無駄に過ごしてしまったら、もっと大きな後悔をするだけです。そんな生き方をすることは、亡き子に対して最も失礼な生き方です。