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善い行いをしたい!というのは煩悩ですか??

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私は最近、仏像が好きになりました。
そこで、仏像の理解を深めるためにも仏像サイドから少しづつ仏教に触れようとしてる初心者です༄

質問ですが、タイトル通り、
「善い行いをしたい!というのは煩悩ですか??」

時々ムラムラっ!と性欲の様に善行がしたいと思う時があります。
他人から気遣いをいただいたりした時に、善い事をしたい、規律ある生活をしたい、と急激に思います。
これはいけない事なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ムラムラっ!菩提心

pennyさん、初めまして

「善い事をしたい、規律ある生活をしたい」と思い、ムラムラっ!と湧き上がってきたものは性欲ではなく「菩提心(ぼだいしん)」です。
つまり悟りを求め仏道に入ろうとする心です。
専門用語で「発心(ほっしん)」とも言います。
仏教は哲学や学問として勉強することも可能ですが、仏教は悟りを求め、実践することに意味があります。本当の意味では「発心」しなければ始まりません。

仏像が好きなようでしたら「天部(てんぶ)」という言葉を聞かれたことがあるかもしれません。例:弁才天や大黒天や鬼子母神など
これは異教の神々が発心し、仏様に仕えるようになられた神様のことを言います。

また、「〇〇菩薩」でお馴染みの「菩薩」も本来は菩薩行、すなわち悟りを求め、衆生(他の人々)を救おうとする行に邁進される存在の総称です。

「善い事をしたい、規律ある生活をしたい」と思い、実践されるのもまた菩薩行。

素晴らしいことだと思います。

ぜひ、そのお気持ちを大切に。また気持ちだけでなく、ぜひできるところからでいいので実践してみてくださいね。

あと、性欲と同じく瞬間的なムラムラっ!も重要ですが、継続力、持続力も大切です。
そして何より、独りよがり、独善的な自己満足で終わらないようにご注意ください(笑)

合掌(^人^)

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未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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OKです

拝読させて頂きました。何のために良い行いをしたいか、でしょうかね。人から良く思われたい、自分の評価を上げたいとかでしたら煩悩ですかね。
でも結果良いことに結びつく、人々の為になるならばOKではないでしょうかね。
飢えに苦しむ人々を救うことや恵まれない環境の子供達の為に学校を作りみんなが学ぶことができるように施す等、たとえそれが売名行為であっても良いことですからOKですね。
あなたもどうか良い行いを心がけてこれからの人生を充実してお過ごしくださいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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普通に良いことだと思います

>他人から気遣いをいただいたりした時に、善い事をしたい、規律ある生活をしたい、と急激に思います。

これは、普通に良いことだと思います。

悪い行いをなるべくしない、なるべく良い行いをしよう、というのは仏教の出発点だと思います。

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おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
わかりました!シンプルに考えて生きます。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ