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感謝

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有り難し有り難し 28

感謝の方法がわかりません。
人に何かをされたり、日々のこの生活に口ではありがとうと言っても、最近いまいち実感がわきません。
どうすれば人に感謝できますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天よ我に七難八苦を与えたまえ

「悲しみを、怒りに。」
これはおじさんが小さい時に読んだ「ほくとのけん」という本の中に出てきたセリフです。
人生辛いこと哀しいこといっぱい。
それを怒りのエネルギーに転じなさいと言う教えです。
「怒っちゃイカンだろ」とかお坊さんなら突っ込みたいところですが、そうではなくて(僧ですが)
怒りも活用次第でエネルギーにもなるものなのです。
皿洗いなんかすぐ終わります。焦げ付いたプライパンも金タワシでコーティングまではげるくらいの力が沸きます。(そりゃだめだろオイ)
オリンピックでも怒りや競争心があるからいい成績とれたりするもんです。あたた
「災い転じて福となす。」
これはおじさんが小さい時に読んだ「ことわざ大辞典」という本の中に出てきたセリフです。(ことわざね)
自分の中では良くないもの、望ましくないことであっても、それを肥やしに、薬に、マリオのジャンプ台にしてびょょ~んするのです。次の結果へ向けてのステップにしてしまえば、もうそれは過ぎたに等しいこと。ぴょーん
「天よ、我に七難八苦を与えたまえ」これは戦国武将の山中馬之助とかいう(鹿だ)人の言葉です。この誓願を持ちましょう。私はこの言葉が好きです。
あなたに感謝をもたらせることでしょう。
どんな災難も超えていくという決意、誓願、菩提心を持つことです。
人間、物質的経済的に満たされていても、精神的な満たされがないと感謝の気持ちが沸かず、当たり前にしか感じません。私も頼んだわけではないのですが、一難去って、また一難、七難さってまた七難。
災難が終わらない災難困難人生です。
だからこそ、その苦しみは、助けを必要とします。
人は助けられてその助かり、助けられによって、人は感謝の気持ちが沸きます。
何でもあって当たり前だと思っているからありがたみが感じられない。
ありがたみを感じるためには「コンナン君」になることです。
困ることです。自分一人じゃ何もできないことを知るべきです。
関係性によって自分が成り立っていることを知るべきです。
その為には自分にとって便利なものをちょっとの間使わない様にしてみましょう。
「苦しみを感謝に。」

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

一息の呼吸にも感謝は宿る

感謝は感じる力
自分の心の弱い部分を乗り越え本当の強さを得て
相手の苦しみに敏感になり
慈悲というものが生まれます
そうした、精神的な成熟と注意深さが磨かれると同時に
感謝を感じる力というものは不動に変わっていきます

当たり前にしている呼吸を止めてみれば解ることがあります
呼吸ができなければ苦しくなる
即ち空気がなければ
自分が生きていられないという事が嫌でもわかります
ほら空気にすら感謝する価値があるという事が解るでしょう?

良い歳の重ね方を意識されているのですから
これだけでも十分素質があるという事
今足りないのは経験だけです
あまり迷わず研鑽なされますよう
余計な事を考えてしまったら言葉から離れ
ただ呼吸を見つめると良いでしょう

合掌

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おきもち

個別相談可能
山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロップアウトするなど金銭的にも苦しみ多面的な貧困を経験。 それらを乗り越えた事は、今では自身を照らす灯り。 色んな社会的活動をしてますが、 自然の中で遊ぶことが大好きで、子供達に体験活動やイベント、木工教室などを催しております。 お寺では草花葬墓地などの永代供養も宗派問わずお迎えしております。

質問者からのお礼

お礼が遅れてしまい、申し訳ありません。

ご回答ありがとうございます。
すべてのものに感謝が宿ること、今自分が生きていることもすべて周りのおかげだと思いました。
大切なことに気づかせてくれてありがとうございました。

追記です。

お礼が遅れて申し訳ありません。
ないことが普通で、今のこの生活も人の支えにより成り立っていることを感じました。

すべては当たり前じゃないということを忘れたくないと感じました。
身の回りのものや人に対して、ありがたいと思いました。

大切なことを教えていただき、ありがとうございました。

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