しんどい
毎日、しんどい生活を過ごしています。
しんどいって感覚、そもそも何なのでしょうか?
他の生き物にはなく、人間だけにある感覚なのでしょうか?
運動をして、疲れるのと、同じなのでしょうか?
死にそうに疲れたと良く言いますが、しんどいと言う感覚は、死を意識しているから、生まれてくるものなのでしょうか?
苦悩が、あるからしんどくなると言いますが、では、苦悩とは、何なのでしょうか?
悩みに苦しんで、心がしんどくなるのは、言葉では理解出来ます。
上手く言えませんが、
そのまえに、苦悩と言う感覚が何なのか、何故、苦悩と言うか感覚が生まれるのか?
しんどいと言う感覚が何なのか、何故、苦悩すると、しんどいと言う感覚が生まれるのか?
教えて頂けれは、有難いです。
お坊様のように、修行を重ねると、見えてくるものなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
オーバーヒートで頭フル回転
あーしんどい。かったるい。疲れたー。こんな感覚誰にでもあるでしょう。
一日中立ち仕事で、足が棒のようだ。こんな日はぐったりです。
早く寝たい。お風呂に入ってゆっくりしたい。こんな感覚になるのでしょう。
こうした感覚は体で感じるしんどさではないでしょうか。
もう一つは、頭フル回転で、あまり体は動かない、使っていないけど疲れているような感覚になる時、これはある意味病の一歩手前、もしくはすでに病にかかっているのかもしれません。
現実、目の前のことよりも思考ばかりがマコトのように思え、考え方で解決しようとしているうちにオーバーヒートしてしまうのです。
考え方では、マコトの解決には出会えません。一瞬気持ちが軽くなることはあっても、またうまくいかないことがあるたびに、思考してしまうのです。そうした癖を無くすため、真実、現実、事実中心にシフトして頭を働かせないのです。
その代わりに、5感(眼・耳・鼻・舌・身)の機能のままに生きるのです。
物事と出会ったら出会ったまま。そのままにしておくのです。頭でどうこう取り扱っても現実は何も変わりません。ジタバタしても意味がありません。思考は置いておくのです。
事実は頭を熱くしません、クールでスッキリ、させます。これを禅というのです。
心がしんどさを感じている時は要注意です。
お疲れのようですね
どんな人でも休まず働き続けたら、心も身体も疲れます。
働かなくても、ストレスを感じ続けていたら疲弊します。
あなたが、何にストレスを感じ、何について思い悩んでいるのかは分かりませんが、あなたを疲れさせている原因は、一つや二つでは無いはず。
それなりにお歳を重ねている方ですから、ご自分でもそれが何なのかはおわかりになっていらっしゃると思いますが。
疲れた時は、どうするの?
やっぱり休憩して、リフレッシュするのが良いですよね^^
苦悩があるからしんどいのではなく、四六時中、その苦悩の事ばかり考えているからしんどいのです。
たまには頭を空っぽにして、気持ちを切り替えてみてはいかが?
私が修業時代の老師は、いつも「活潑潑地(かっぱっぱっち)じゃ」と仰っていました。
修行はしんどいけれど、自由闊達に気持ちを切り替えてゆけということです。
しんどい、しんどいと、頭の中で同じ言葉をくり返していては、元気なんて出ませんよ。
質問者からのお礼
邦元さま、
回答ありがとうございます。
考えてても意味がない、現実を生きろと理解しました、
林さま
回答ありがとうございます。
活潑潑地、心がけたいと思います。