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生きて行く上で充足感が得られません

回答数回答 3
有り難し有り難し 15

先日ある方の講演会で、人生には縦軸に充足感と孤独感不満で横軸に病気貧困と成功名声。
いくら成功名声を手に入れても、本人には孤独感や不満感が顔の表情に出て、何故か満たされない雰囲気がある人になるくらいなら、たとえ貧しくても病気を抱えていても人生に充足感が出ている人になりたいとおっしゃいました。

おっしゃった意味はよくわかります。
私には勿論、地位や名誉も有りませんし、今迄生きて来て人に話せる事も何も無く、人生に充足感が全くありません。
そして今は仕事も辞め、親の介護を担っています。
人様には介護をしてると言いながらも、私の心の中は心配を掛けた親だから介護をしなくてはいけないと言う気持ちと、もういい加減にして欲しい、今すぐに親から距離を置きたいと言う気持ちがいつも交錯しています。

知り合いからご両親が介護する事無く亡くなられたと聞くと、「羨ましい」「どうして私ばっかり」などと思ってしまいます。

何事にも一生懸命やれば充足感は得られるものでしょうか?
それはその人間性によって違うものでは無いでしょうか。

すみません文章がまとまっていませんが、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親の介護は善行です、あなたは偉い^^

介護の問題は、誰もが関係することです。
おひとりで抱え込んでしまうと、あなたが倒れてしまいます、頼れるものには頼って、利用できるものは何でも利用しましょう。

辛い時、どうしても「なぜ私だけがこんなに苦労しなくてはならないのか」と、考えてしまいがちですが、それはやめたほうがいい。
老いも死も、必ずすべての命に訪れます。
どんな人でも、それぞれの立場で何かしら苦しみを抱えているものなのです。
他人の幸と自分の不幸を比べて、愚痴ばかりを垂れ流している間は、充足感なんぞ得られるわけがありません。

法句経のことば
「ことが起こったとき、友があるのは楽しい
どんなことであろうと、満足することは楽しい
いのちが終わるとき、善を積んでいるのは楽しい
あらゆる苦しみが除かれるのは楽しい」

よき友人が居ること、小さな事でも楽しみ、満足できること、善に生きること。
そういう生き方ができれば人生は楽しいと、お釈迦様は説いておられます。
環境や立場は、自分の思い通りにはなりません。
ならば大切なのは、その中でどう生きるか。なのではないでしょうか。

「置かれた場所で咲きなさい」
なんて言葉もあります。

今の介護の苦労は、善を積んでいるのだと信じ、小さな喜びを見つけてゆきましょう。

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様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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我欲ではなく感謝から

拝読させて頂きました。充実感ですか・・・おっしゃるように人により差がありますよね、どんなに貧しくとも充実した毎日を送っていらっしゃる方はおられますよね。世界中見渡せば恐らくその幅も広がりますね。
逆に自分が不満充実していない、或はもっと自分にはものもなんでも満たされるべきだ、と我欲に走ると、人のものでも奪い取って満たされようとすると争いになり、ひいては戦争になります。

思うに今与えられていることに真摯に向き合い、そして感謝しながら自分の生きる道を真正面に生きていくならばそれはどこでも充実感に満たされるのではないかと思います。

かつて戦争があった時には皆貧しかった、肩を寄せ合いながら必死に生きていたはずです。それでも人と人とが支え合いながら充実した人生を送っていらっしゃった方々もたくさんいらっしゃいます。

どうかじっくりとご自分の身の回りを見直して頂き、まず我欲ではなく感謝から始まるとだいぶ違ってくるのではないでしょうか。

あなたがこれからの人生に於いて心も身体も満たされて充実した日々を皆さんと送って頂きます様心からお祈り申し上げます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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死後に持っていけるものは・・

とらのこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、死後に持っていけるものは、自分の行いの集積(業・カルマ)だけであるとされます。

「世間の八法」(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)と言われているものに惑わされず、真なる心の平安としての悟りへと向けて、より善き行いに努め励んで参りたいところでございます。

孝行もその一つであり、誠に感謝申し上げます。

仏教では幾重も輪廻を経る中において、もしかするとあの人もこの人も、いや、あの虫もこの動物も、過去世における母(父)であったのかもしれないとして、慈悲を滋養することがございます。

もしか致しますと、とらのこ様の親御様も、過去世では私の母・父であったのかもしれません。過去世での母・父であったのであれば、その恩に報いる行いをして頂いているとらのこ様に対して、深く感謝致さなければなりません。

とにかく、皆、支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いが必要であるのが、この世のありようでございます。しっかりと慈悲を滋養しての善行に努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
今自分が親の介護が出来るのも周りの支えや、健康である事に感謝をしながら、毎日の生活に向き合いたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ