母の死を経験し、生きていく意味が分からなくなりました。
2年前に母を交通事故で亡くしました。
3周忌の法要を今月します。
2年間、なんとか頑張って生きてきました。
あっという間の2年でした。
毎日毎日母のことを考える2年でした。
私が死ぬまで一生この悲しみは続くと思います。
母を亡くしてから、生きる意味って何だろう?生きててもいつか死ぬのになんで生きなくちゃならないんだろう?と考えてしまいます。
母と過ごした毎日がとても大切だったと実感すると同時に、二度と戻れないんだ・・・と悲しくなる毎日です。
人はなんのために生きてると思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
共に生きる
拝読させて頂きました。
お気持ち、大変よく理解できます…。
個人的な話ですが、私も母親が突然お浄土に往生し、今月で三回忌になりました。看護師という職にも就いておりましたので、母親に日常の身体管理をしてあげれなかったという罪悪感を感じずにはおれず、また単身者であり独り残されたという孤独感から、この世に留まるということや生きている意味が解らなくなりました。
僧侶の先輩から、生きている意味は誰にも解らない。生きていくということは、日々御念仏を申し上げ、阿弥陀仏の世界と共に生きていき、仏恩報謝していくということと話されました。
自分を支えて下さる方は周りに存在します。その皆様からは有難い御言葉を沢山頂きました。
そうした中で実感が湧いて来たのが、「救わずにはおれないという仏様」の理であります。そうして周りの皆様から生かされている命なのです。ですから、皆様と共に歩まさせて頂き仏恩報謝の中で生きていくことなのだと思いました。
姿は目には見えませんが、母親との記憶を思い出すのは、今も一緒に生きている証拠。見えなくても、共に生きているのです。一方通行のように思いますが、思い出や母親が生前口にしていた言葉が、そのままよみがえって来ます。それは、母親が私のもとへ帰って来ているんだと思うのです。
そうした思いの中で、仏様と共に生きていきませんかぁ?
川の流れのように
仏教は生きる意味なんて説いちゃいないんです。嘘でしょ?って思いますでしょう。でも説いていない。だって、諸法無我ですもの。そもそも生きている我が無いんです。何言ってんだか意味わかりませんね。
永平寺の門柱にこう書いてあります。
「杓底一残水、汲流千億人」(しゃくていのいちざんすい、ながれをくむせんおくにん)
柄杓で水をパシャッとやった後、柄杓の底に残ったようなチョロっとの水でも、川に流れ海に至り、蒸気になって天に昇り、また雨になって地上に降り…という大きな流れとして見た時、その流れに関わる存在は無数である…そんな意味です。
これをちょっと深読みしますと、手の平に載せるほどの一塊の水であっても、その本体は大きな大きな流れなのですよ…そういうメッセージになります。こういうのを色即是空と言います。
あなたも同じです。
あなたという1人の人間は、柄杓に一杯の水のような形のある存在です。でも、本当はお母さまから受け継いだ大きな大きな流れこそが、あなたの本体であり、生命なんです。お釈迦さまは「そこに気付こうよ!1人の人間としてなぜ生きるかではなく、その大きな流れに気付こうよ!」と説いていたのです。
あなたが前を向いて生きれば、その流れを生かすことになる…それはお母さまから授かった生命を生かすことに他なりません。確かにもう、形あるお母さまと一緒の日々には戻れません。でも、お母さまの存在感が消失してしまった訳ではないんです。大きな流れとしてのお母さまを、あなたが抱えて生きているんです。あなたが生き続ける限り、あなたの中のお母さまも息づいているのです。そこに目を付けて下さい。それを生きる意味と呼びたいなら、それはそれで1つの表現ではあります。
前を向いて生きましょう。お母さまはあなたを絶望させるためにあなたを産み育てた訳ではないでしょう。あなたが前を向いて生きれば生きただけ、あなたの中のお母さまがあなたを生かしたことになる。しっかりなさい!
素晴らしい。
「母と過ごした毎日がとても大切だったと実感する」なんて素晴らしい事でしょうね。
世の中にはその過ごした日々が苦痛でならなかったという人も多いというのに。
そして、その過ごされた素晴らしい日々は未来永劫変わる事は無いのですから。
思い返してください。あの素晴らしい日々は変わる事無くありつづけるのです。
あなたが思う時、お母様はそこにいらっしゃいます。
お身体を御仏にお返しした分、どこにあってもあなたのそばにいらっしゃいます。
人は二度死ぬと言うそうです。
一度目は身体を御仏にお返しした時。二度目はその方を思い出す方が居なくなった時。
あなたはお母様を生かすために生きておられます。
質問者からのお礼
大慈様
ご回答ありがとうございます。
なるほど・・・と思いながら文章を食い入るように読みました。
とても納得しました。
私は母から生まれ、母の命と共に、今この人生を生かされてるのですね。
宇多田ヒカルの「道」という歌に同じようなことが書いてあります。
「はじまりはいつもあなただった」
涙を最近流してなかったけど、久しぶりに涙があふれました。
江月寺 芦川宗念様
ご回答ありがとうございます。
私は母を生かすために生かされてる。
そっか、そうなのか・・・お母さんのためにも頑張って前を向いて生きるか。
と思いました。
久しぶりに涙が出てきました。
消えてしまいたい。と思うこともあったけど、消えたらお母さんまで消えちゃう・・・生きることの意味が分かったような気がします。
西田通慧 様
ご回答ありがとうございます。
「共に生きる」
三回忌の法要で住職が同じようなことをおっしゃってました。
生きていると死を経験することはないけれど、身内の死を経験することによって自らの死を経験する。あなたの中にお母様は生きておられる。お母様のために生きなさい。と
「共に生きる」それこそが生きる意味ですね。