今後
事故を起こしました。
私は車に子どもを乗せてました。
普段通りの運転でしたが、私が悪かったのです。
奇跡的に全員が骨折等もありませんでした。
用を済ませ家の駐車場にとめて様子を見ると子どもが眠りそうだったので、家に入るのをやめて、車でそのまま寝かしつけにいきました。いつもの近所を回り、なぜか初めて通る道に曲がってしまい、そこで事故を起こしました。
いろいろあり、ずっと夜が怖くて、夫が不在の時などは夜はなかなか眠れません。
いつも被害にあったらと心配してきましたが、こんなにも、そんなつもりがなくても加害者になり得るのかと怖くて仕方ありません。
相手の車が自分だったら子どもが死んでいたかもしれない、相手にもしなにかあっていたら、相手が後ろにうちのように子どもなど乗せていたら、そんなことばかり考えています。
とにかく怖くて仕方ありません。
中途半端な都会田舎なので車がないのは難しいです。
どうするのがいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたたちは無事だった。今はもうその事故はどこにもない
無事で何よりでした。
もしかして、あの時こうだったらと考えただけで事実は無事だったのです。
そんな考えの世界を言い出したら、世の中の事件事故をすべて自分に当てはめ、外を歩くことさえできなくなります。
今回は無事であった。次から気をつければ良い。それだけの話。悪いことを想像してもただの想像にすぎません。もし、あの時、の思考は全く無意味です。
苦しむための思考はやめておきましょう。
今の事実に目を向ける
私も昔、事故を起こした時、しばらく事故状態が続いていました。
もう、その事故はとっくに終わっているのに、砂漠を歩く亀の尻尾の如くにずっと後を曳いていました。
ある時、師(父)が「交通事故はぶつかった瞬間だけで後は片付けだ」と言って目が覚めました。
なるほど、私は想念の方を相手にしていたのだ。
もう、その事故はとっくに終わっていた。
終わらせていなかったのです。
どうすれば終わらせることが出来るか。
想念では思い返すことが出来るけど、それは思い返しているだけ。REPLAY、追憶、追認、想念であって、現実の事実ではないことを知るのです。
あなたの肉眼は、たった今、この文字を見ている。
これは、想念ではなく実際の事実です。
この文字を見ている時に〇△☐、他のものが見えたらおかしなことです。
それは他のものが見えたのではなく、アタマの中で思い描かれた想念です。
そこの区分けがあなたの中でキッチリついていないのです。
今の事実は今の肉眼で見ているもので、その時限りでもう二度と見ることが出来ないものであると、知ってください。
今、目の前に車が一台通り過ぎて行ったとします。
窓の外やテレビの映像などをみてください。
それは、その時限りです。巻き戻しても、それを見ている時間は異なります。
その透り過ぎた車を思い返すのは、想念であって実物ではありません。
質問者からのお礼
皆さまお答えありがとうございました。取り返しのつかないことがある、ということを強く強く感じました。
悪い方へと考える思考を止め、しっかりと今後につながる意味があるように考えたいと思います。本当に車は凶器だということを常に肝に銘じ、運転を今一度見直します。