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遊びだったのでしょうか

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SNSで出会った人を好きになりました。会うなんてきっとないだろうって思っていましたが、わざわざ会いにきてくれました。『今度はこんな所に行きたい』なんて彼から言ってくれて、また会えるんだなんて淡い期待もしてました。

会ってからどんどん話もしなくなり、連絡もありません。先日、私から嫌いになってしまったの?もう、私からは連絡はしない。今までありがとうとメールしました。未だ連絡はありません。

これは遊びだったのでしょうか?
そうは思いたくない自分がいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夢がさめた。お互いの現実を見た。

人は自分の幻想をエサに生きているものです。
自分の理想とする、あらかじめの夢の方が、現実より好きなのです。
彼はそういう人だったのではないでしょうか。
あなたを好きでいるようで、自分が好きな人だったのかもしれませんよ。
そういう人とは一緒にても、その人の自分欲の奴隷にされてしまうだけ。
あなたには子供も亭主も居る。
浮ついたことをしないためにも、彼の方から身を引いてくれたのだと思う事です。
「実物をみるとさめる」という事があるものです。
「マボロシが滅する」と記してまさしく「幻滅」。
何のまぼろしが壊れたのか。
彼自身のまぼろしが壊れたのではないでしょうか。
あなたのまぼろしが壊れたのではないでしょうか。
それがプチ・ロス感情を引き起こしている。
そのマボロシとは厳密にはマイストーリー、マイワールド。
みな自己という頭なの中の夢ものがたりにて。
それが真実によって、照らされて、ちゃんとした現実を初めてみた。
それが自分の願うものではなかった、という事をお互いにやったのでしょう。
想念の世界でお互い夢を膨らましているだけの方が、心地よかった。
「目覚まし」にするべきです。
いろんな意味で。
頼り、よりどころとするべきものは人間ではない方がいいのです。
この人は私の理想、と思っていたでしょう。
それもあなたのマイストーリー、自分の夢物語というマイワールドだったのです。
それが、壊れた、幻滅した、ロスした。
ですが、それは、新たな世界の再生なのです。
あなたが渡るべきは、その壊れやすい橋ではなかったという真実を示してくれたのです。
「お帰りなさい」という家族の声を聴けるようになってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
その後彼からの連絡もなく終わったことを改めて自覚しました。家族を大切にしていきたいともいます。

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