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していいこと、悪いこと

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

息子の仏壇に、義母がお地蔵様を買ってきました。さりげなく置きたいのに
私が見ていない間に、置場所がきにいらないのか移動させます。
大切の物なので、そんなに動かさなくてもとおもうのですが。
同居していないし、先祖代々の仏壇でもない。どうして、勝手にいじるのか私には理解できなくなりました。
今日は、私が部屋を一瞬開けた時でした。
移動させてありました。どうしても
一番手前におきたいようです。
息子の写真の隣におきたいようです。
お地蔵様の顔が息子に似てるから買ってきたようです。
こういう事で、私がこんな気持ちだと息子に怒られそうです。

本当なら、お地蔵様は、仏壇のどこ辺りに置けばいいですか。教えて下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当の成仏

私があなたならばお子さんを「わたしのこども」と思い続けたいと思うでしょう。
ですが、それでは本当はお互いの為にならない。お互いの成仏にならないのです。
たとえばあなたのお母さんは、あなたのお父さんにとっても奧様です。
あなたがあなただけで、自分だけの母親だ、と周りの関わってきた人間を排除したくても、あなたのお母さんが関わってきた人はあなただけではないわけですから、色んな方を照らす必要がある訳です。
今は義理のお母さまも、血のつながった孫を失って本当に悲しいのです。11年間、それなりに関わってきて本当に悲しいのでしょう。何とかしてあげたいという気持ちからお地蔵さんを見つけてこられたのです。
何故なら自分の息子の子供ですから、目に入れても居たくないほどかわいいのです。
あなたも比較にならないほど苦しかったでしょうし、悲しかったでしょう。
自分だけのわが子にしたい気持ちもありますでしょうが、同じように悲しんでいる人たちもいるというだけで、そんなにお地蔵さんを嫌う必要はありません。
月は誰のものでもありません。
みんなを照らしています。
亡くなった人は月です。月のようなものです。
誰のものでもなくなって、姿形こそは見えずとも精霊、仏様として一家を見守り、照らしてくれているのです。どうぞ、その光をお孫さまとお婆ちゃんとのご関係であった義理のお母さまにも、お互いの立場を捨てて照らしてあげてください。月の光は減るものはありません。
今もあなたにも照らしてくれています。
人の命は無くなりません。身体としての命が亡くなっても、今も語りかけてくれているという確かさが、ここに質問という形であなたにお子さんが働きかけてくださったのです。
お子さんからの問いかけを、み教え、導きとして、菩提心をもって今後もご自身の人生を豊かなものになさってください。みな様が心安らかなることを御祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大切なことは

拝読させて頂きました。あなたも、そしてお義母様も息子さんを心からご供養なさりたいお気持ちでいらっしゃるのでしょうね。
お仏壇の中でどこに置くことが望ましいのかは宗派によっても違いがあると思います。またご住職様のお考えによっても違いがあると思います。もし可能であるならば一度ご住職様にお伺いなさってみてくださいね。

大切なことはあなたもお義母様も心清らかに息子さんにお向き合いなさり、真心込めてご供養なさって頂くことです。目先のことではありません。

息子さんにお向き合いなさりじーっと耳をすませてくださいね。きっと息子さんの心の声が聞こえ参ります。
息子さんが望む思いが心に響いて参ります。

あなたがこれからも息子さんを思いご供養なさり、そして心も身体もお健やかにご生活なさって頂きますようにと心からお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
気持ちが落ち着きました。

ありがとうございました。
私がこんな気持ちのだと、笑ってくれませんね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ