不安障害と瞑想
毎度お世話になっています。
私は不安障害を患っています。
不安、思考に取りつかれて気が狂いそうになり、気が休まらず、苦しくて仕方ありません。
歩く瞑想や瞑想などやってきたのですが、やり方が間違っているのか余計に苦しくなってきます。
向精神薬は飲みたくないので、なるだけ避けて参りましたが、そろそろ本当にきついです。
どうしたら良いのでしょう。誰か助けてください。お願いします。
生きるのが苦痛だが死ぬのは怖い なんとか良い人生を歩みたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「戒・定・慧の三学」
だみや様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
不安障害をお持ちであられますこと、誠におつらいことでございます。
もちろん、誰もが人間生きていく中で、何らかの不安を常に持ちながら過ごしているものではありますが、その度合いが強く、色々なことに支障が出てしまうほどとなれば、やはりしんどいものでございます。
向精神薬による副作用に対しての嫌忌もおありのようですが、最近では、副作用のかなり少ない薬、漢方を取り扱っているところや、あるいは、代替医療を利用した統合医療を取り入れている病院もございますので、興味がございましたら是非情報を収集なされてみられて下さいませ。
さて、先日、ネットに下記の記事が出ておりました。
【これは意外】瞑想が躁病やうつ病の引き金になる可能性ありと専門家が警鐘
http://irorio.jp/sousuke/20150526/232000/
とにかく、昨今、心の病を治すために、瞑想やマインドフルネス、ヨガなどが注目され、その良い面ばかりが強調されてしまっておりますが、これも状態、症状、場合によって合う、合わないがあるものでございます。
そのやり方の正誤によることももちろんあるかとは思いますが、まだ取り組める段階に至っていない、あるいは、そもそも合っていないという可能性もございます。
余計に苦しくなってしまっているというのであれば、少し様子を見られて、別の方法を探されることも一つであるかと存じます。
仏教における学びの基本に「戒・定・慧の三学」がございます。このうち瞑想は定、つまり、禅定の分類にあたりますが、仏教では、定も、戒、慧もバランス良く平行して修習を進めていくのが肝要なことになります。
仏教を不安障害の克服に活かされたいとなりましたら、やはり三学をバランス良くに取り組まれることもお勧めさせて頂きます。
特に不安の原因としては、この世におけるモノ・コトの真実なるありようをなかなか理解できていないことから生じてしまっていると考えることもできます。そのため、仏教の智慧の部分もしっかりと学ぶことで、その原因や過程を探ってみられるのも良いのではないだろうかと存じております。原因や過程が何とか分かれば、具体的な対処法も分かってくるのではないだろうかと存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
お寺坐禅やお寺ヨガに・・・
だみやさん
結論からお話をしますが・・・
「しっかりした指導者がいるお寺で、瞑想・坐禅・もしくは寺ヨガなどを一度体験されてはどうでしょうか?」
リフレッシュという意味なら高野山参拝、宿坊体験で阿字観。 京都旅行で坐禅を体験など。
最近はお寺さんなどでも色々取組を行なっているので、ネットで情報を集め顔をだされては如何でしょうか?
合わせて・・お話を聞いている限り、信頼できる病院を見つけ今の状況をご相談するのも大切に感じます。もし病院が不安なら心理カウンセラーなどもよいかも知れません。
仏教のコンテンツに合わせ、医療や心理が加わればきっとだみやさんのお力になるはずだと思います!
だみや様
少し補足させて頂きます。 現在の状況を考えると・・・市役所の窓口への相談は可能でしょうか? カウンセラーへの相談、生活保護など国や自治体の支援があれば、金銭面、治療や生活の助けになると思います。
質問者からのお礼
お金がありません。
クレジットカードで借金をしています。
働こうにも面接で発作が起こり、まともに働けません。
家族は援助してくれません。
気のもちようだと甘えだと言われます。
そうなのかもしれません。
どうしたら良いのでしょう。どうしたら。
もう一つ、私のような精神障害者を寺は受け入れてくれるのでしょうか。
人前では余計に瞑想できないということもあり得ます。ご迷惑をおかけしてしまいそうです。
有難うございます。
ここ最近うつ状態も少し酷いです。
今まで何とか薬を飲まずとやってきましたが、もうそれしかないのかもしれません。