生きていく気力がない
何の為に生きているか分かりません。
今日は休みでしたが、何もする気力がありません。一日無駄に過ごしてしまいました。
仕事も辛いし、主人とは家庭内別居状態、10年間ニートの二人の息子達は煩わしく感じます。
体力不足で、「疲れた」が口癖です。
満たされません。この鬱々した気持ちが晴れる時がなく、最近は笑った事もありません。
これから先、生きていて良い事がありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生は淡々と生き苦しみも喜びも見る日々の陰りに
もも猫さんの疲労感、短い記述ながら想像がつきます。大変だろうと思います。
ご主人も子供さんもあなたが願うような状態ではなく、あなたから見れば、いわば人生のマイナス方向に向かっている。こんなはずではなかったと思われるのでしょう。
苦しい状況を如何に切り抜けて行くかというのは、簡単ではありませんが10年間もニートの息子を抱えて生きてこられたのです。昨日までやってこられたことが、今日いきなり出来なくなるということではないでしょう。あなたが自分で選んだ人生をあなたはいま生きているのです。
逃げたら負けですね。
先日わたしが書いた詩の一部ですが、どんな状況であっても、前向きに生きる術はあるものです。ニートの息子さんに楽健法でもやってあげたら、笑顔がもどるだろうと思います。
誰かが病むのは、なにかに出会うためだといってもいいのです。
気持ちを開いて自分を見直せば、解決の糸はおちているものです。
マイナス思考で嘆いていては暗くなるばかりですね。
墓参をしたり、神社や寺院にお参りすることでも、こころを再発見できるでしょう。
楽健法に取り組んでみるか、というような気持ちをもてば、あなたが変われば状況は変わります。
昨日の続きのように
今日を生きる
一昨日の続きのように
昨日も生きた
先週の今日のように
先月の今日のように
去年の今日のように
今日を生きる
もしかすると
日々新しく生まれ変わり
昨日にはいなかったぼくが
今日をいきているのかも知れない
後 省略
以下は詩のリンク
http://iwaresantokoji.blog.fc2.com/blog-entry-148.html
以下は楽健法のリンク
http://www.begin.or.jp/~ytokoji/rakkenho/index.html