毎日、胸が締め付けられます
以前、娘を亡くした悲しみをどう乗り越えていいのかわからず、
違うカテゴリでお坊さんに助言も頂きましたが…
あれから日も経ち、亡くなってから4か月が過ぎました。
生き甲斐だった一人娘を失い、シングルなのでたった一人になってしまって、絶望から這い上がろうと思って頑張っている矢先、まだ気持ちが引きずってどうしようもない寂しさが夜襲ってきます。
夜は眠剤に頼って寝るのですが、効かずにすぐ起きてしまったり、朝はボーっとして一日中頭が重くて。
人目を避けて夜はウォーキングに外へ出ますが、無で歩いてます。
人にも会いたくないし、できればこのまま朝起きた時に自分の息が止まっていたらいいのにって思います。
娘も、こんな弱い母親を見たら悲しむと思うのもわかります。
でも、何も手に付かない。
趣味も持てない。癒しになる動物も飼えない。
どこに目を向けて、この先をどうしたら生き続けられるのか…
月命日には毎月行っても、お墓の前では泣き崩れてしまう。
自分を変えていかないとダメですか?
もう、本当に辛くて辛くて…
息もするのも苦しいくらいです。
時間が経つと気持ちに変化が出る…なんて嘘です。
酷くなる一方です。とても苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しみ中は悲しむことがお役目です。
さおり様
こんにちは。拝見させていただきました。
毎日胸が締め付けられる中生活されているとのこと。心中お察しいたします。悲しみの中にありながらも、こうして文章を書かれている気丈さに頭が下がる思いです。こうして文章にして書き出してみるというのは心の安定にとってとても良いことですから、愚痴でも結構ですのでまたハスノハに投稿していただけたらと思います。高尚なアドバイスは私にはできませんがつらつら書いてみたいと思います。
「悲しみの深さは、与えられていたものの大きさである」という言葉があります。失ってはじめて気づくことが多いですね。私もそうです。人間の愚かさですね。若さでも健康でも失わなければ有り難さがわからない。今ここにある幸福に気づくことをお釈迦様がお説きになられたことがよくわかります。
文面から私が気になったのは「悲しみは乗り越えなければならない」「絶望から這い上がらなければならない」「こんな弱い母親だと娘が悲しむ」「自分を変えていかないといけない」
などの言葉です。悲しもう悲しもうとする自分を否定しているのではないかと思いました。悲しみとは受け入れる心のプログラムです。例えば飛行機をイメージしてください。飛行機が着陸する時はいきなり急降下したら墜落です。ソフトランディングしていきながら着陸します。心も同じです。現実を「はいそうですか」と受け入れる程私たちは悟った人間ではありません。
ですから、悲しみを乗り越える必要はありません。時が来れば勝手に乗り越えています。今は悲しみ中であり、悲しむことが大事です。這い上がろうとすると絶望が起こります。今はまだ這い上がってはいけないのですと心が教えてくれています。悲しみはたくさんの優しさに変わりますので、決して娘さんが悲しんでいるとは私は思えません。娘が亡くなって悲しむのはむしろお母さんとして良いお母さんだと私は思います。娘さんより長生きしているんだもの、娘さんの分も悲しんであげましょうよ。そうしてあげられるのが大人であり親なのではないかなぁなんて思います。
ウォーキングは続けてください。身体を前に進めると心もまた前に進みます。心の赴くままにしましょう。何もしていないのは「何もしないことをしている」ということです。無駄ではありません。さおりさんは本当に良いお母さんですね。共に手を合わさせていただきます。
合掌
まずは亡くなった事実を受け入れる
娘さんを亡くされた後、あなたの生活は、ずっと娘さんの姿を追って探し求めている、そんな生活だったのではないでしょうか。
残念ですがもう亡くなってしまいました。触れることも、お話することもできません。
その事実を受け入れ、認めてあげることが必要です。事実に向き合い、拒絶することなくありのままに受け入れるのです。これがあなたに課せられた修行だと言えるでしょう。
今目の前の様子には、娘さんの姿はありません。しかし、きちんと生きることができています。そこに問題はありません。食事を口に運べばその味がします。目を開けてものに触れればそのものが見えます。お香を焚けばお香の香りがします。全てそこに問題はありません。
そうした機能のままに生きるのです。
あなたは今の様子、目の前の様子を受け入れること、そこに娘さんが生きている頃との比較もなく、本当に今ココに生きることができるのかどうか、そこが成仏できるかどうかと言うことです。思い出せば記憶の中に娘さんは生きています。時折思い出しつつも、しかし、事実はそこにありません。今目の前の様子に生きるのです。
質問者からのお礼
邦元先生へ
ありがとうございます。
子供を失くして、生きる事がどんなに辛い事か…。
いないとわかっていても、ふっと、目の前に現れてくれるような…そんな感覚が離れません。
今は、辛くて辛くて この現実をどう乗り越えていくかこの先の課題です。
けんじゅ先生へ
ありがとうございます。
今は、薬で気持ちを抑えている為 少し安定してきましたが
薬がないと不安で不安で仕方なくなります。
あの事故が起きなければ今だって普通に生活できていたのに…
生活が一変してしまって、何もかもが私の中から崩れ落ちていきました。
今まで以上に頑張ろうという気持ちになんてなりません。
ですが、娘の為に娘が亡くなった年の一年だけ多く生きようと思うようになりました。
19歳で亡くなったので、私はあと20年も生きれば充分です。
その20年を生きる目標にしていこうと思います。