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生きている実感

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有り難し有り難し 13

お世話になります。

最近の世の中が少し悲しく感じます。街に出ればスマホ片手にうつむく人々、テレビをつければ新しいアプリがどうのこうの・・・

かくいう私も、私用電話はガラケーですが、仕事の都合上タブレットを持ち歩き、タブレットがないと仕事ができない現状が悲しく思うことがあります。
手持ちぶさただとネットサーフィンしたり。そしてその玉石混合の情報を鵜呑みにしてしまったり(自称ライターの人たちの記事が、嫌でもトップ画面に表示され、つい見てしまいます)。

大河ドラマをみていて、こんなふうに五感で人間を、自然を、感じられる生活ができたらと思って今の日本と自分を比べてしまいます。

メールで人間関係を崩してしまったことがあるのは、私だけではないと思います。昔だったら、顔をみて話すのがコミュニケーションだったのに、そうではない手段が増えすぎて、それによるトラブルも増えてきて、なんだかとても残念なことに思えます。
命には限りがあるのに、たとえば1日1時間スマホの画面をみていたとして、50年に換算したら、2年間ずっとスマホの画面だけ見て過ごしていたことになります。命の無駄に思えて仕方ないです。でも、どこか中毒性があり、あれば見てしまったりします。

大河ドラマのように生活するには今更難しいと思うし、あの時代は時代で、別の壮大な悩み苦しみがあったと思います。

でもやっぱり、現在の、スマホ人間(勝手に命名)の増える社会にはとても違和感があります。

お防さまは、どう思われますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭の上に「?」を振ってみる

拝読致しました。

そうですね。りりーさんの仰る通りだと思います。特に我々の世代では、現在の物質文明のあり様に戸惑う人も多いのではないでしょうか。

スマホの件とは少し違いますが、ずいぶん前にコンビニで買い物をしていたら、レジの方から大きな怒鳴り声が聞こえたんです。「おい!いつまで待たせんねん!」って、40代くらいの客が列の後ろで叫んでいました。レジの店員は、買い物の他に公共料金の払い込みをする客の対応に、少々手間取っていたようなんですが、10分も20分も待たされている訳ではなさそうだったし、列を作っているのも3人くらい。間もなく別の店員が慌てて出て来て、「申し訳ございませんでした!2番目でお待ちのお客様どうぞー」と促していました。
コンビニ業界の「レジに列を作らせない」「利用客を待たせない」というスタンスは、急いでいる時には助かりますし、過当競争から生き残るための必須事項なのでしょう。
でも、そんなお客さまサービスが浸透し、客の満足度・好感度アップに成功すると、今度は逆に3分待たされるだけで「ん?!どうなってんのかな。」って、イラッとしてしまうことってないんでしょうか。ひと昔前の5分が、今では10分にも20分にも感じられてしまい、トントンと物事が進まないと損した気分になってしまう。
「便利」でなきゃ、「不自由」に感じてしまう。
「不自由な時間」は、「無駄な時間」に思えてしまう。
「不便さを楽しむ」余裕が無いというより、そのものの価値を放棄している。
身近なところでも、そんなことがずいぶん増えたように思います。

とりあえず、立ち止まることから始めてみる。心を自由にして、りりーさんのように、世の中の流れを客観的に眺めてみる。頭の上に「?」を振ってみる。そんな個々の気付きが、豊かな精神社会シフトへの第一歩になるんじゃなかろうかと。
だって、世の中の仕組みに振り回され続けるばかりじゃ癪じゃないですか。

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有り難し
おきもち

初めまして。桑木茂光と申します。 大阪最北端に位置する能勢町にございます...
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質問者からのお礼

『癪じゃないですか』・・・かっこいいです(笑) ほんと、その通りですよね!
自分の関わりないとこで合理化の波が押し寄せ、いつのまにか自分の周りでもそれが当たり前の価値観として浸透している、そんな世の中はやっぱり疑問です。

指先一つで進む世の中だけど、
自分の頭で考え、自分の感覚を大事にする、そういうあり方はいつまでも忘れないようにしたいです。

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