飼っていたハムスターを死なせてしまいました。
一昨日、飼っていたハムスターを死なせてしまいました。
私が部屋を散歩させているとき、クローゼットの隙間に挟めてしまい殺してしまいました。
あっけなく死んでしまいました。
飼って日も浅かったのですが、とても可愛がっていたのでとても悲しく、罪悪感と後悔で一杯です。
ネットでプランター葬というものを知り、鉢に植え、苗を植えました。
私はハムスターの死期を早めてしまったのでしょうか?ペットショップにいた方がまだ元気に生きていけたのでしょうか?
殺してしまった私は、あと何をしてあげられるでしょうか?
何をしてあげたらいいでしょうか?
人を信用できない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「縁」となって生きる
風癲さま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。
風癲さんの文を読み、だいぶ前に買っていたミニウサギを、自分の不注意で死なせてしまった……いえ、殺してしまったことを思い出しました。
もちろんそんなつもりは全く無く、良かれと思ってしたことが原因でした。
私も飼って日が浅かったけれど、とても可愛がっていましたので、悲しかったです。
その時は箱に入れて庭の隅に埋めましたが、ハムスターのサイズだと、プランター葬というものがあるのですね。プランターだと庭よりももっと身近に感じられますので、風癲さんも植物の生長を見守りながら偲んでいけるのではないでしょうか。
死期の件ですが、それは誰にもわからぬことです。
ペットショップにいた方が、長生きしたかもしれない、そうじゃないかもしれない。
仏教では、全ては縁によって成り立つと考えるので、なんとも言えません。
「風癲さんが悲しんで供養をすれば、ハムスターも浮かばれますよ、あの世で喜んでいますよ」などとは言いません。不注意で命を奪ってしまった事実を曲げてしまうような気がします。
「罪悪感と後悔で一杯」とありますが、どうぞその気持ちを大切になさってください。この経験が記憶にある限り、命の尊さを想い慈悲の心を育む「縁」となって生きてくれるのだと思います。
命が継承されていると考える
プランター葬をされたとのこと。生き物の生命が終わると、その死体が残るわけです。その死体が、栄養となり植物がその命を受け継ぎ生きる。植物が育てば光合成をする。作られた酸素は、相談者様のすぐそばで作られもしかすると、あたなの体の中に入りあなた中で命として継承されるかもしれない。
命が次から次へと継承される。
そのように考えたら少し寂しさもやわらぐかもしれませんよね。あなたのすぐそばで、その命が働いているのです。
質問者からのお礼
浦上哲也さん、邦元さん、御回答本当にありがとうございます。
また涙が溢れてきました。
花を大事に育てたいと思います。