愛猫を不注意で亡くしました
長文ではありますがお読み頂き、何かしらのお言葉を頂けると有り難く思います。
今月、私の不注意で十一と半年一緒に過ごした愛猫を亡くしました。
あの子が寝転んでいる近くに物を落としてしまい、すぐ後ろに落ちたこともあってそれに驚いた愛猫は心臓発作を起こしました。
元々、心臓に欠陥がありあまり興奮させないように獣医師から指導されていたのに、私が驚かして殺したんです。
おもちゃで遊ぶのも少しだけ、ご飯だって結石が出来ないようにするために療法食フードで、たくさん我慢させての最期がです。
結婚して一ヶ月半ほどしてから飼い始めた子で、子どもがいない自分にとっては子どものようにも思っていた子へ自分がしたことが信じられず、後悔しましたし何より自分自身に怒りが込み上げてきてどうしようもありません。
動物霊園をされているお寺で葬儀をし、共同墓地ではあるものの納骨をしました。
あの子のために何かできるのは、もうそれぐらいしかないと思っていたからです。
私の不注意で殺したようなものなのに、生あるものの生き死にはどうしようもないことだからと夫は私を責めず、お寺へも運転していってくれ、当人も落ち込んでいるだろうに色々と慰めてもくれ、助かりました。
ですが、夫が言った一言が許せないんです。
火葬場で骨になった姿にショクを受けたというようなことを言った後に「肉の焼けた美味しそうな臭いがした」とも言ったんです。
私の中に今回のことで、それまであった申し訳なさや感謝の気持ちが怒りに変わりました。
あの子の生前には、私自身が冗談で食べちゃいたいくらい可愛いと言ったこともありますが、思ったとしても言うようなことではないだろうと。
でも、今回のことは私自身によって起きたことです。怒る資格なんて私にはないのだとも思います。
あの子へ自分のしたことが許せず、夫の一言が引っ掛かり、心の整理をつけられそうになく、十二月から始める予定の本格的な不妊治療も不安ばかりしか感じられず、延期をお願いしようと考えていますがそれ以外は何も考えていません。
心の整理には時間が必要だとは知ってはいますが、あまりにも今は感情が混乱しすぎて、心の整理かつくまで夫へどう接すれば良いのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな毒ある毒として聴くのではなく薬として聴く、効かせる。
🐈つーか、夫婦で愛し合って結婚して私を飼ったのに私がきっかけで夫婦仲が悪くニャるなんておかしニャことにゃ。ダンニャ(旦那)の言葉だって、そう感じたから思ったことを素直にそのまんま言っただけニャ。少しでも気持ちを和らげようと思っただけニャ。他の女性なら、それがきっかけで救われる人もいる場合もあるニャ。
要はあなたの中の「あなたルール」が強過ぎるから許せニャかっただけのことニャ。😺人は無自覚に自分ルールをつくり、その自分ルールが偉くニャってしまう事があるもんニャ。
世界の王様にニャろうとしている悪い政治家もイスラム国もみんな自分のマイルールを人に強いているだけニャ。誰にも、自分の願う姿、理想、ルール、そうであってほしい世界観を持っているニャ。でも、それは全部自分が作っているだけのものニャ。😺
オラが死んだのだって、病気が殺しただけニャ。外に出ていれば他の事や誰かにできっと驚いて死んだニャ。
でも、そしたらあなたのことだからその人のことを今度は怨むことになるニャ。だから、十一年半も一緒に過ごして、人生の中でまだ怒りを卒業できていニャい貴女の為に、どのみち死期が近づいていたから一役買ってあなたのところで死んであげただけニャ。じゃニャかったらきっと、誰かをあなたは呪ったと思うニャ。それをさせニャイために最後の恩返しとして貴女のもとで死んだのラ。
怒りが抜けニャイ?まだまだ人として怒りを克服できとらんからニャ。せっかく愛し合って子供に恵まれなかったから夫婦愛を深め合うためにもオラを飼ってくれたのに、ケンカしてどうするにゃ。
アナタの悪い癖は自分を責めたり人を責めたり、する猫の爪が時々見え隠れする事にゃ。
もっとにくきゅー🐾みたいなぷにプ二した心を持つことニャ。
そうすれば旦那の言葉もヒョイとかわせるニャ。
夫婦は仲良くするべきニャ。
だから、今夜「最後まで聞いてね。アナタに対して実は凄く怒ってたんだけど、今日二人のお坊さんに諫められたの。行くべき道を誤るところだったわ、ごめんなさい。」とお詫びすることニャ。それが仏教の説く、人間性の向上、菩提心。仏の心を行ずる事だからです。
「アタシを傷つけたんだから、謝るのはアンタの方よ!」とかいうのはまだまだ怒りを卒業できていニャいニャ。自我、エゴ、プライドという猫の爪が伸びすぎているのです。この回答で心の爪を研いでください。
🐈
本当の供養はあなたが立派に幸せに生きること。
ひぃさん、こんにちは。
大切な、愛猫をなくされたのですね。お悔やみもうあげます。
亡くなったのはあなたが原因ではありません。
つらいことですが、生きることは苦しみを伴うと仏教は教えます。寿命まで生きることは人間であっても簡単なことではありません。その子の運命だと知るべきです。
心が落ち着かないので、夫の一言もいらいらすのだと思いますが、そこにひっかっかってはいけません。夫の言葉は不謹慎ですが、それが愛猫の供養とは関係ないからです。それよりも一緒にいてくれた夫の行動に感謝してください。
これからのあなたの最高の愛猫への供養はあなたが幸せに生きることです。それは愛猫の生まれた使命でもありました。あなたが幸せになれば愛猫は霊界で喜ぶことでしょう。
不妊治療はつらいことではありますが、仏さまと愛猫のご加護を念じて、努力してください。仏さまはもとより、愛猫も守護霊になって、必ずあなたに幸せが訪れるはずです。
合掌
質問者からのお礼
ご回答をありがとうございます。
貴重な時間をお二人に割いて頂けたことを感謝致します。
染川智勇様
お心遣いありがとうございます。
あの子の死を受け入れるのには、まだ時間は掛かるとは思いますが自分の幸せを捨てるような真似はしないようにしたいと思います。
愛猫の供養について夫の言葉は関係ないということに、貴方のお言葉で気づかせて頂きました。
別々のことと考えれば、心の整理をつけることが出来そうです。
別の考え方に気付かせてくださり、ありがとうございました。
丹下覚元様
貴方のお言葉で気づいたのですが、私は今回のことで気づかってくれている夫に謝って欲しいわけではなかったんです。
ただどうしても納得できない一言のために、素直に感謝できなくしてしまった自分の中の苛立ちと折り合いをつけたかっただけなんだと思います。
今回のことがなければ夫はそのようなことを言うようなこともなかったはずでしたから、それを責めるのは理不尽だと思っていたのです。
愛猫に関してですが結婚前から猫を飼うことは決めていて、新婚一ヶ月半で我が家に迎えた子です。
子どもに恵まれず子どものようにも感じるようになったのは長年の結果です。
また外に出して亡くなったのなら、外に出すことを許容した自分を責めたと思います。
そして、これこそマイルールなのでしょうが、あの子の真似をするようなことはしないで頂きたかったです。
私にとっての宝物でした。いいえ、今でも大切な子です。
私の命であの子が生きられるのなら交換したっていいとすら、冷たくなっていくあの子の身体を撫でながら強く思っていまし、今でもそう考えています。
貴方は私の相談へ真摯に考えて下さったのだと思いますし、そのことにはありがたく思っています。
ご回答をありがとうございました。