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浪費・モラハラ・無関心夫と向きあい、問題解決に繋げたい

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こんにちは。夫が年間でオンラインゲームへ250万円つぎ込んでいたことがわかり、近々夫実家を交えて話し合いです。
実は二度目。前回も同じ様な額を浪費しており、「もうやめる」との言葉を信じ、更正を誓っていたのですが、この有様。
13歳上の夫はモラハラ傾向があり、私を軽んじています。今も、夫実家の呼び出しの理由を、夫に正しく伝える勇気がありません。
出来ることなら、オンラインゲームとの関わりを一切たち、ギャンブル中毒の自覚を持った自律的な行動を誓わせたい。でも、無視されたり、睨まれたり恫喝されたり…と考えると足がすくみます。
勇気を持って、冷静に場に臨み、こちらの気持ちを余すことなく伝えるには、どうしたらよいでしょうか。
どうかお知恵をお分けください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは旦那様とどうしていきたいのでしょうか。

お話を伺っていますと、KNさまが、旦那さまに思いを伝えることができず、悩んでいるようすがよくわかります。

今回の件を伝えられたらすべていいのでしょうか。その後の、生活でまた、ちょっとしたことも言えなかったら何も変わらないように思います。

よく、ドメスティックバイオレンス、などの問題のなかで、目に見えない部分で依存してしまう問題がありますよね。
そうならないためにも、このまま、旦那さまと夫婦の関係を続けていかれるなら、相手が何を言おうが、自分の意思ははっきりと伝えるべきです。言えないのであれば、距離をあけるしかないでしょう。

旦那さまの強い言葉や態度は、弱い心の表れです。あなたに甘えているのかもしれません。

伝える時には、間に入ってくれる信頼できる人がいるといいですね。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

子供にも真実を話す

父親の自覚がないのだと思います。
現実逃避としてゲームに逃げつつ、子育てに加わっていない。
父親と子供だけで、過ごさせる機会を増やしてみてください。
ひょっとすると、あなたも、夫に預けてもしょうがないと思って、自分で責任をしょい込み過ぎている事はないでしょうか。
奧様が、ダンナに対して、警戒心、嫌悪感を抱いている夫婦間では、奥さんが、夫に子供に関わらせるのも好ましくない、ということで、全部子供の面倒を見ようとするような家庭も多いです。
夫は父親としてやることが無いと、妻、母親に委ねっきりになってしまいます。
最初は嫌がろうが、まず、子供の世話をさせることです。
そして、そこにあなたがいない方が良いのです。
居る事で、子供は普段なついている貴女に頼ってくる。
そこにあなたがいないことで、父親と二人だけの関係が作られる。
そこで、あなたの夫が、父親としての自覚を深め、ああ、この子供たちをオレが食べさせていかなければいけないんだなぁという自覚を持たせることです。
そうでないと、人間子供ができても、自分を優先させてしまうのです。
250万円×2とは、大金ですね。
二人のお子さんを大学に入られてあげられるはずだった額です。ところが、父親の自覚がない父親は、それをいくら説明しても響かないのです。だからこそ、子供と二人で過ごさせることです。目的は、父親に子供を愛させることです。
人を変えるためには、責めてはいけません。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答いただきましたお二人の僧侶様に、心より感謝申し上げますとともに、その後のご報告をさせていただきます。
家族会議はどうにか行われ、ゲームの決済に使用されていたメインのクレジットカードを解約させることに成功しました。
しかし、ゲームから完全ー離れることはできない夫の姿に、憐れみすら感じました。
今回のことで、私自身が夫と将来を歩んでいけるかどうかを改めて考え、専門家への相談を開始しています。
こちらでご質問させていただき、有り難い御回答を得たことが、私の背中を押しました。
誠に、ありがとうございました。

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