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別れるべきなのか

回答数回答 2
有り難し有り難し 52

14歳年上の方と9カ月程お付き合いしています
私には3歳の息子がおり、シングルマザーとして
出産し、2歳半の頃教習所で出会いました
出産してからは、初めての恋愛です

すごくすごく好きでこの人だ!と感じ
猛アタックしたのですが
最近私の方が、気持ちが冷めてきたのかなんなのか、彼に会いたいと思えず、連絡もしてません。
先日久々に2人きりのデートの予定があったのですが、息子の体調が良くないから、と当日の朝にドタキャンしてしまいました。
彼は、「仕方ないね」とだけ私に言いました。
そのやり取り以降ほぼ連絡はしてません。

彼とSEXをしたいと思えず、2人きりになるのは完全に私から避けてます。
彼は、息子や私をすごく大切にしてくれるし
堅実で真面目な人です。
結婚すれば幸せな家庭になるだろうし、奥さんとしても大切にしてくれるだろう。と思える人です。そう思ってるのに、私の中で、会いたくない
と思ってしまっているのです。
彼とこのまま一緒にいて、息子の中でも彼が大切な人になれば別れるという決断もしにくくなります。
けれど、彼と結婚し、子どもを授かり一生…という想像が湧かないのです。
彼は33歳ですから、結婚前提に私といると思います。

別れたいとは思っていません。
思っていないだけに、すごく戸惑っています。
この気持ちの正体がわからず
彼に伝えるにも伝えられず、自分でもわからず
どうしたらいいのかわかりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そして母になっていく そうして母になっていく

これは実際はそうではないにしても、敢えて「そうなのかも(´-`).。oO」と思ってみましょう。
お子さんが念力を送ってあなたに「母親」から「彼の恋人👠」にならないために、力を送ってくれているのだと。
ここでいう「彼の恋人👠」とは、子供を持つ母親として母親の立場を忘れて、自分の色恋に走ってゆく事…。
なんとなーく察してください。
そして、その念力がこの坊さんたちを動かしてあなたとお子さんの親子関係を壊さないために、あえて母親でいることにとどまらせているのだと。
人間というものは寂しがりやな一面があり、ちょっと容姿が自分のタイプであったり、やさしくされるとそれを「恋」とか「愛」と錯覚するものです。そこにお互いの都合や求める条件がぴったり一致すると、男女関係の車輪はゴロゴロいい感じに転がっていきますが、ずっと転がっていく間に、やっぱりサイズも製造年月もデザインも異なっている訳ですからだんだんそれに気づく。時には変な方向に走っていくのです。
世の男女関係でお子さんがいる方の再婚や交際はなんとなく泣いている存在がいます。
お子さんです。
小さい声です。
声しか信じない人には心の声は聞こえません。
お子さんの声にならない声を聴くことが出来る母親になってあげてください。
子供が14歳くらいになった時、その過程を除外していきなり14歳の子供の心の声を聴くことは出来ないのです。
「いじめられてない?」
「大丈夫。(本当はいじめられているけどね)」
「本当に大丈夫なの?」
「うるせぇな。大丈夫だよ。」
「そう。ならよかったワ。」
「…うん。(´-`;).。oO」
こんな風にならない様にしましょう。
ぶっちゃけ夫婦や恋人なんて「他人」なのです。血のつながりはないし、どんなにホれてもすぐあなたのように冷めてしまう。
どんなに頑張っても最高のパートナーどまりです。
カンタンな話、今あなたの愛を必要としているのが、その彼と実のお子さんであるとしたら、どっちを優先的にあげるべきでしょうか。あとはご自身で決めることです。他人の色恋沙汰には誰も何も言っちゃくれないものです。本当にこうした方がいい、ということはみんな分かっていても言ってはくれないのです。
それが何かをご自身で感じられるようになることが、子供の心の声を聴けるようになることです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

冷静に考えてみて

拝読させて頂きました。なぜあなたの中でその様な感情に至っているのかはわかりませんね。
しばらくの間様子を見てしばし冷静に考え直すことも良いのではないでしょうか。
ご自分も相手の方も落ち着いてそれぞれに自分に向き合うことも今は大切かと思います。
そうしているうちに自ずとそれぞれに答えは出てくるように思います。
本当に大切なのは何かも見えてくることでしょう。
あなたの気持ちが整理がついてこれからの未来どの様な生き方を選んでいくかはあなた次第です。どうかあせらずにじっくりと冷静に見定めてくださいね。
あなたの未来が明るく開けていくことをご祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
今だに揺れ動いていますが、冷静に考えてみたいと思います。

考えた結果、お別れをしました。
なんだか心が軽くなっている自分が悲しいですが、決断をした以上前を見て息子と2人笑っていたいと思います。ありがとうございました

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