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生きてる人間の方が怖い

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有り難し有り難し 62

タイトル通りです。

他人を傷つけて平気な人、裏切る人、騙す人。

傷つけられる人、裏切られる人、騙される人。

何故、この世に両者が存在するのでしょうか。

私は、傷つけられた人です。
あまりのショックに驚愕し、訳が分からずその時、身体の震えも止まらず。悲しみに追い討ちをかけられました。

この件に自分はどう向き合えば良いのでしょうか。
立ち直り方がわかりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今日は今日の映像を映して生きていきましょう。

人間は生きている時に2つの世界を生きています。
たとえで申し上げれば、
❶ MOVIE📹 ビジョン
❷ DVDプレイヤー ビジョン

ひどい被害に遭われたようで大変でした。
思い返せばセカンド・ダメージ受けますのでなるべく思い返さないことです。
思い返したり、何であんなことが、あそこに行かなければ…などと思い起こすことで私たちは心が苦しくなります。
それが❷のDVDビジョンです。
気持ちを切り替えましょう。
コツは5感覚を用いるだけです。
見る、聞く、香る、味、感覚。
今日はココを生きている。
今は私はここにいる。
カメラもビデオカメラもムービー録画は過去のことを記録することは出来ません。
未来の事も記録することは出来ません。
お手持ちのスマホを起動してちょっとお手数ですが30秒、目の前を記録してみてください。
記録が終わってから、ココを読んでください。
さて、その動画を再生してみましょう。
それを見ている時あなたは、もう一つの生きるべき世界を見失っています。
もう一度ムービーで撮った世界は、よほどのピコ太郎的な映像でもない限り、何度も再生回数を増やす必要はありません。
あなたは、今、リンゴもペンも持っていません。
無いものをあると思ってはいけません。
今、あなたの肉眼が映し出している、今日の今の目の前の世界が、今のあなたの真実です。
そこを見逃して、さっきREC◉した映像を見返したり、それを評価して気分が悪くなることはいかに無益なことでしょうか。
あなたの為にもそのDVDプレイヤー思考は辞めるべきです。
お礼の回答欄で約束してください。
「気持ちを切り替えて今を生きていきます」と。
仮にフラッシュバックが起こっても、大丈夫です。
消そうとせず、払おうとせず、右から左に流してください。
あなたに今必要なのは、自覚と自分の過去の記憶に負けない強い決心、決意です。
被害者のままでいることは敢えて離れて見てください。
でないと被害者意識がかえって永遠にループして、セカンド被害、サード被害、どんどん心をむしばみます。
もう一度、息を吹き返して、周りを見てください。
今のあなたの眼は、今を映している。
今のあなたの耳は、今の音を聞いている。
あなたは、いま、ここ、そこを、咲いている。 📹 🌺

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

少し時間をおいてみましょうか。

たしかに、この世には、だます人、だまされる人がいます。
何故?と人を信じられなくなります。naoさんは今、だまされたと深い苦しみにあります。
許せないですよね。その気持ち分かります。
もっとみんな素直に生きればと思いたくなります。

少し理屈っぽくなりますが、この世のバランスは、プラスとマイナス、陰と陽、男と女など、二面性で成り立っています。
暑いから寒いが分かる。上があるから下がある。右があるから左がある。当たり前のことですが、人間関係においても、悪があるから善が分かる。苦しいから楽が分かる。無視されるから愛が分かると。
だまされることにおいて、naoさんは何を感じましたか。何が分かりましたか?
許せない、相手は悪い奴だ、だまされた自分が情けないとか・・・
でも、そういうことを今回は、知った、学んだとも思えませんか。

そんなきれいごとで、それこそ、だまされないぞ!と思うかもしれませんね。
でも、究極、相手を恨んでも何の解決にもなりません。
すべての出来事には意味があり、単なる出来事です。ただ、どのように反応するかだけです。

でも、許せないことは許せない・・ですよね。
立ち直り方を知りたいとのことでした。
少し時間をおいて、ちょっと冷静になられた時、もう一度考えてみましょう。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

質問者からのお礼

丹下様 鈴木様

ご回答、有難いお言葉に感謝いたします。

ムービー録画、早速試してしました。日中と夜、録画をしました。
何度も何度も見返しても、そこに映し出される映像は、たった今、自分の肉眼で見ている今の現実、いつもの見慣れた風景そのものでした。

過去の出来事は、一切見えません。見ることもできませんでした。

動画再生から出た私の答えは、心の傷は残ったとしても自分の身体でありながら、それを見ること、確かめることはできませんでした。

自分の目に見えないということは。無に等しいのではないか、すなわち存在しない物、と言うことでした。

時間を置き、違うことに目を向け冷静になるためにも、読書に集中してみました。

気付くと、あっという間に3冊を読み切り、本屋へまた買いに行こうかな、と思った自分がいました。

読書に集中する前までは、確かに被害者意識が強くありました。

ですが、ちょっとしたきっかけ一つ、今回はたまたま読書でしたが気持ちの切り替えが案外、簡単にできてしまったことに気付きました。

今回の相談内容には全く関係ない3冊ですが、読み終わった時には既に違うことを考えていたので、読書に集中していた時間は良い意味で、そんな自分に向き合うなんて余裕もなく、本の内容に次々と引き込まれていき余計なことを考えずに済みました。

そして今、気持ちが穏やかになった自分がいます。

許す許さないの気持ちはなく、これも自分が今後を生きていく上での一つね経験に過ぎないのだ、と学びました。

もちろん。

"気持ちを切り替えて今を生きています"

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ