人に執着してしまいます。
以前、気になる人の音信不通を受け入れられないと相談したものです。
先日、その人が女性と一緒にいるところをすれ違いました。お互い、車だったので本当にその人だったのか、助手席が女性だったのかはわかりませんが、70%間違えないと思います。車の車種や色、雰囲気、すれ違った場所など。
その状況を目の当たりにしても受け入れることが出来ない。執着してしまうとは、、、どのような感情なのでしょうか。
何故、私は受け入れることが出来ないのでしょうか。私は、どうしたら、いいのでしょうか。
周りに出会いがないとかではなく、いまも仲良くしている男性(付き合ってませんが)がいるのにも関わらず、その人に執着してしまうのは、何故でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
冷静になってもう一度考えて下さい。
前回、回答した僧です。
そうですかぁ・・・目撃されましたか。
「様々な形でその人に関することが出てきて思い出してしまう」と書かれておられましたが、、、
悲しいことですが、出てきてしまいましたね。
70%間違いないとすれば、ほぼ事実という事でしょう。
助手席の人が誰だか分かりませんが、、
なんか嫌な方向に考えてしまいますよね。
ですが・・・
目撃されたのが事実であろうとなかろうと、、、
今のきのこりんさんは熱くなられていると、私は感じました。
確かに、音信不通になり、その事実確認が出来ない状況になると、様々な事を考えてしまうでしょう。
「あの人、あの人」と意識すればするほど、気持ちが舞い上がってしまって・・・
でもその感情が、平静では思いつもかない判断を招きかねないです。
実際あなたは、その男性から、様々な「幸福感」を与えられました。
しかし今はどうでしょうか?
もう「その男性」から与えられることもなく、あなたからも与える術がないのが現実です。
百目鬼師が書いておられるように、あなたが想う「その男性」は、、、
すでに自分の中でどんどん膨らませていった「幻」ではないのかと、私もそう思っています。
きのこりんさんは、その「幻」に対して執着されているだけかもしれません。
冷静になってもう一度振り返り「その男性」との関係性を考えられてはいかがですか。
この経験を基に自己成長されることを願っております。
「逃した魚は大きい」ということわざがあります
「逃がした魚は大きい」ということわざがあります。
一度上手くいきかけて逃したものは、実際よりも素晴らしく思えてしまうものです。しかし、実際にはそれは自分がふくらませた幻なのです。
幻をふくらませてしまう原因は、音信不通になった彼の事が忘れられないのではなく、「逃した」という経験、アプローチしたけれども無視されたという経験の悔しさが尾を引いているだけです。
実際に確認したわけではないのに、チラッとそれらしい人影を見ただけの情報から、相手が女性と車に乗っていた、という生々しいイメージを持ってしまうのも、その一例ではないでしょうか。
もし仮に、音信不通になっていた彼が突然、戻ってきてお付き合いが始まるとしましょう。
おそらくは、それまで大きくなりすぎた幻とのギャップが気になって、「あれ?こんな人だったっけ?」と落胆することになるのではないでしょうか。
今は「忘れられない」と自分で自分のふくらませた幻にとらわれていますが、これから別のお相手と新しくお付き合いする機会が訪れれば、すぐに忘れてしまうことでしょう。
あまり、気にする必要はないと思います。
質問者からのお礼
お礼が遅くなりすみません。
ありがとうございました。
生活圏内が少し被るのは仕方がありませんが、何故こうも偶然が重なるのか。本当に分かりません。
こちらで質問してからもその人に関することがありました。音信不通には変わりませんが。
気持ちの整理つき始めていたのですが、ぶり返しました。
偶然とはいえ、私の執着心が招いているのか。外的要因で起こっていることなので、訳が分からなくなります。
何か行動するとその方とすれ違ってしまうではないかととても怖くなりました。それと同時に、この縁はとどういう意味があるのだろうと思ってしまいます。