名前
お父さん、お母さん、じいちゃん、ばあちゃんからの最初の贈り物。私は自分の名前が大好きで最高の贈り物をもらったと思っています。だから家族皆に感謝しています。ここでほんとの名前を公表出来なくてほんとに惜しいです。私は自分の名前のように生きていきたいです。これが私の究極の生き方なんだと思います。いつか私にこどもが出来たら素敵な名前をつけてあげたいです。←できねーよ(泣)
お坊さんには2つの名前がありますよね?魅力感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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名前に誇りを持つことは素晴らしいことです。
ま。さん、こんにちは。
名前に誇りを持っているのですね。素晴らしいことです。
私の出家前の名前は「雄二」でした。父からは昔の芸能人からとってつけたと聞いて、どんなに素晴らしい俳優さんからの名前なのかと思つていたら、大学時代に、ラジオで、漫才師の「ミヤコ蝶々、南都雄二」からとったことがわかり、漫才師かい!と突っ込みをいれてしまいました(笑)。でもいつも人を笑わせられる人になることなのだと思い直し、さらにお笑い道に精進した次第です(笑)。
そして法名の「智勇」は、尊敬する僧侶の方からつけてもらいましたが、私の希望を入れてくれまして、
「智」は天台大師様の血脈を。「勇」は私の一番尊敬する日蓮聖人の信仰心を表す法華経の一句「勇猛精進」からとってあります。智勇の法名に恥じない僧侶として生き方を目指しておりますが、いつも無精進をしてしまい、反省ばかりです。
名前は自分の人生の目標が書かれていると、姓名学では教えます。ま。さんの名前も素晴らしい名前だと思います。名前にふさわしい生き方をしてくださいね。合掌
人間に、最初につく言葉
こんにちは。名前に目を向けるなんて、鋭いですね。
名前って、願いや期待だったり、時には呪いになると思います。イヤそれは人名に限らず言葉の働きとしてね。文字のない頃から、恐らく名前はあって、ほかと区別するために使われて来たと思います。「名は体を表す」の通り、言葉であっても本人そのものの、結構宗教がかった存在だと思います。
特に私たちは、お戒名を考えることもあり、宗派としても「南無阿弥陀仏」という、仏様のお名前を全面に押し出したトコなので、貴女が「名前」について書かれたのを見て、何だか嬉しくなったほどです。あぁ、自分の名前をこんな風に捉えている人がいるんだ、って。
名前をつける人は、大概「つけられる」人よりも先に死んでしまいます。ということは、既に遺言を貰っているようなものかも…と思ったこともあります。「私がいなくなっても、この子を守ってくれる言葉」として。
でも、自分の娘の名前を見ると、「あー力入ってますね(笑)という感じです。
因みに私の名前、「良文」は坊さんとしては「りょうぶん」と読みますが、濁音が入っているところが好きで、「よしふみ」より気に入っています。
雅号
こんにちは。
お坊さんはふたつの名前を持ちます。
私がここで使っている「光禪」は、「号」といって、戸籍上の名前とは別に私がお坊さんになったときに私の師匠である祖父からいただいたものです。
でもこの「光禪」という名前になかなか馴染めなかったのと、戸籍上の名前がお坊さんっぽくないため、hasunohaではこの「号」を使用することにしました。おかげさまでここで何回も使っているうちに慣れてきました。
そういえば、森鴎外とか夏目漱石の「鴎外」「漱石」は「雅号」といって、本名とは異なる名前です。(「漱石」は、俳句の師匠である正岡子規の雅号を譲り受けた。鴎外については不詳)
また、お葬式のときにお授けする「お戒名」も「ふたつめの名前」ですね。お戒名は、仏さまの弟子としての名前で、本来は生きているときに授けてもらうものです。
あなたも「雅号」みたいにご自分で新しい名前つけて名乗るようにしてみてはいかがでしょう?新しい自分になったみたいで良いものですよ。
ご自分のお名前が気に入っているって良い事ですね。また「贈り物」って良い表現ですね。確かにその通りだなぁ。お名前に誇りを持ち、お名前の通りにご精進ください。私も名前のように、また号のように精進していきます。
そしていつかきっとあなたもだれかに素敵な名前を贈ることができると良いですね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
遺言と思っていきます。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
あっ、私にも雅号ありました。思い出しました。
お返事ありがとうございます。