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私は修行できるのでしょうか。宗派を決めるのが難しいです。

回答数回答 5
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こんにちは。 初めて質問します。
私は、いろんなことがよく頭の中で渦巻いて、ごちゃごちゃしています。
”空”にすることはとても難しいです。

6、7年前に自律神経系を著しく崩して、死がそこまで来るほどに患いました。 いろんな人たちの援助やさまざまな治療方法で、細かい不調はありながらも何とか今、生活できています。

生きていることの毎日が修行のようですが、頭(心や魂でしょうか)の部分で、改善はしていますがどうしても”何か”を越えられません。

現在、私にはもう仏教修行の道しかないのか、或いはその道が最適、ぐらいの考えにあります。

インターネットでいろいろ調べましたが、そのうちに宗派や修行内容など、考えると訳がわからなくなってきました。
(修行体験として出てくるのは限られている気もします。)

身体面で、厳しい修行(横になってはいけない、断食、極寒でひたすら立ち尽くす、1000日歩き続ける、など...)に耐えられるのかどうか不安です。また、死ぬような思いをするのかな、と。
わたしにとっては、その部分の修行は1度やった、ぐらいの感覚であるほど苦しかったんです。(修行を軽く捉えてるわけではありません)

無理ならば、健康でなければ出家はできないということになってしまうのでしょうか。

このような状況や、修行の内容と宗旨のバランスを、自分に当てはめてみたとき、何を選べばいいかわからないです。

このような私に、ご教授よろしくお願いします。

長文、お読みくださり、ありがとうございました。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

修行はゴール地点であり、最高の精神状態のこと。

以下、修行の心得違い、修行者の悪い例です。 
◎お遍路さんに3か月。帰ってきて夫婦ゲンカ。
何の為の修行だったのか。
じっと手をみる。(-_-;)

◎坐禅10年、いまだに自分の感情に振り回されっぱなし。
何の為の坐禅だったのか。
じっと手をみる。(-_-;)

念仏3万回。
相変わらず、家族とは不仲です。
何の為の念仏なのか。
じっと手をみる。(-_-;)

こういう方は、僧俗問わず、ワンサカおられます。
お遍路さん、坐禅も、念仏も瞑想も、年数、回数ではありません。 

その行の中で「心」がどうなっているかをみていることです。
思考や分別から離れていない仏道修行はどんなにはたから見てそれっぽくても単なるコスプレです。
念仏、坐禅、お遍路さんを通して「無私なるこころ」を日常生活であらわせなかったならば、救いはありません。
考えごとの上であれこれ求めているうちは、仏道修行をやっても救いにならないのです。
それは、我の延長でしかないために、仏道修行の道場、本山にいくら修行しているつもりでも、❝修行をしている事にすらならない❞のです。なぜなら、修行をしながら、考え事、自分をやっているだけだからです、

思考をはなれているかどうか。
なにをするのであっても修行になるというのならば、そこの質が大切なのです、
厳しい事なんて関係ありません。仏道よりボクサーや自衛隊員の方がよっぽど厳しいです。

一回唱えて足らんでなし、千回唱えて足るで無し。
念仏も坐禅もお遍路さんも滝修行も、それをすることで修行が終わり、ではないのです。
その行を終えて後の日常生活が大切なのです。

その行の中だけ、仏道らしいことをして自己満足しても、それが終わった後に日常の我利我利、苦夜苦夜、意羅意羅では上記のように何の力にもなっていない。
それは多くの修行者や僧侶が修行の方向性を、勘違いしているからなのです。
本当に生老病死から救われる修行になっているか。修行の質が問われるのです。
歩く瞑想、食べる瞑想、坐る瞑想を通しておのれを滅し「瞑想ぜられた心」で生活すれば、何処にあっても修行をしていることに変わりはありません。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

生きることも修行です。

lotus-universe さん、はじめまして。

修行の厳しさで出家を迷っておられるようですが、出家は必要ないと思いますよ。

しかも、あなたは既に修行をしていますよね。
生きることの困難、これもまた修行です。

越えられないものなんて何かはっきりしないのが当たり前です。
はっきりしていたら越えるために何かをしているでしょう。

それが何かを知りたいなら、まず心を落ち着けることが肝心です。

静かな時間に瞑想をしてみるとか
静かに写経をしてみるとか
ひたすら読経してみるとか

色んな方法があります。

瞑想はどこでも出来ますし、写経用紙は文房具屋さんにセットで売られています。
読経はお経の本があれば出来ますから仏具屋さんか近くのお寺さんで求めれば良いでしょう。
最近はCDやカセットテープもあります。

まずはご自分で何かに打ち込んでみるか、お近くのお寺さんに相談されるのが良いと思います。

出家したから修行をしなくてはならないのではなく
仏道の修行を志すから出家するのです。

順番が逆でしたね。

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日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

最初から宗派なんか決める必要があるのでしょうか? それから出家は修行するための条件ではないですよね。だから、「適当にいろいろな道場に行ってみて自分に合う修行を探したらどうですか?」と言いたいところです。ただ現在では、修行体験の場を提供しているところが少ないので、それが言えず残念です、、、。
ところで、我田引水に聞こえたらまことに恐縮ですが、私らの道場は修行体験を提供しています。ので、ご縁があれば一度体験してみたらどうかな、とは思います。検索すれば出てくるかも知れません。
修行は自分で選ぶものというよりは、ご縁によって頂くものではないかと思います。僕もあなたみたいな感じだったから、心から応援していますよ、ホントに。良き修行のご縁に出会えるようにお祈りしています。

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遠藤喨及
僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、...

出家しなくても修行はできます

出家しなくても修行はできます。
お坊さんの役割は、教えを次の世代に伝えたり、より多くの人に広めること、お寺の維持管理などがあります。
しかし、自分自身の修行に関しては、出家しなくてもできるのです。
健康に不安があるなら、出家するのは厳しいかもしれません。
しかし、出家しなくても、教えを学び、仏を信じ、修行することは可能です。
仏教の基本的な修行については、たとえば、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに瞑想の説明もあります。
瞑想などの仏教の基本的な修行が難しいと思う方には、浄土宗や浄土真宗のような易しい救いの教えもあります。
また、あなたの先祖がお世話になっている身近なお寺の行事にに足を運んでご住職のお話を聞いてみるのもよいでしょう。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

「菩提心」

lotus-universe様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏説は八万四千の法門と言われますように、多くの教えがございます。どうしてそんなに多くの教えが説かれたのかと申しますと、釈尊は、相手の機根(悟りへと向かうための能力・資質)に応じて、巧みに悟りへと導くために説かれた(善巧方便)からでございます。

簡単には、一人一人それぞれに対して説かれた、または八万四千の煩悩の一つ一つの対処法を説かれたと考えることもできるでしょう。

まあ、それらの教えのある程度の公約数が、各宗派的なものとしてまとまっていると考えることもできますが、ではいったいどの教えが自分に合うのかと申しますと、やはり、ある程度それぞれあたりを付けていく必要があるのではないかと存じます。

かといって、全ての仏典や論書等を読むには膨大な時間と労力がかかってしまいますから、とにかく仏教思想の全体を概観できるような入門書、参考書からまずは学ばれていかれると良いのではないだろうかと存じます。

そして、やがて本格的に学び修していきたいものに出逢えましたら、その師を求められて、そして指導を仰ぐようになさられると良いのではないかと存じます。

在家のままでも授戒を受けるなどして正式な弟子となって、仏道を歩むこともできるかと存じます。僧侶になるのであれば、ある程度専門的なところでの修行は必要となりますが、そうでなければ、在家のままでも修行はできないことはありませんので、その点はどうかご安心下さいませ。

とにかく、在家であろうが出家であろうが、仏道を歩む上で大切となるのが「菩提心」(全てのものたちを救うための悟りを求めたいとする心)でございます。まずは、しっかりと「菩提心」を起こして、三宝に帰依して、そして、「智慧(空の理解)と福徳(方便・功徳の実践)」の二資糧を積んでいくことが必要となって参ります。

また、無理に修行の形式(坐禅、瞑想、水行、護摩行、念仏行、三昧行・・)にこだわる必要もありません。日常の行住坐臥の中でも、心身共に無理のない範囲でバランス良く(中道)に進めることが大切となります。

是非、共にこれからも頑張って仏道の歩みに励んで参りましょう。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

貴重なお時間を頂き、回答してくださり、ありがとうございました。
それぞれの回答を、やはり修行のような気持ちになりながら読みました。
修行はどこででも出来る、というのはよくわかっているつもりです。
日常の中での修行が出来ないなら、出家など出来るはずもないのかもしれません。
でも、日々の生活の中での修行は、ある意味とても難しいと感じています。
僧侶の方々に失礼にあたるつもりはないのですが、これならば、その修行を、
最適だろうと(私が)思う環境においてやってみるのはどうか、という動機です。
自分を成長させよう、という心から生じているもので、不純なものではありません。

テーラワーダ協会のHPにある、“歩く瞑想”というのを知って、やってみました。
こうしてやって行って、お寺にも足を運びたいと思います。
ありがとうございました。

丹下 覚元さん、ご回答ありがとうございました。
仰ること、よくわかります。 私が、修行に対してツラツラと文句を言っていましたね、失礼致しました。

願誉浄史さん、遠藤喨及さん、小原観慈さん、お名前を記していませんでした。
ありがとうございました。

川口 英俊さん、在家でもそのように、道はあるのですね。 
入門書を読んでみます。 具体的な方法を教えてくださり、ありがとうございました。

「仏教宗派について」問答一覧

宗派の違い

先日は墓と仏壇の件でご相談させて頂きました。あれから家族で話し合い、家から一番近いお寺で永代供養の、個別の樹木葬をお願いしようかと思ってます。そのお寺で戒名も四十九日もお願い出来るとの事ですが、お寺は真言宗です。なので仏壇を買う時も真言宗の掛け軸を選び、戒名も四十九日も真言宗の供養をして頂く事になります。私達はそれでいいのですが、亡くなった母親が日頃から南無妙法蓮華経とお題目をあげていたので、お経が違ってしまうと母親は迷わないかな?ちゃんと成仏出来るかな?と不安に思います。仏壇屋さんに聞いても、仏壇の前で手を合わせるだけでも充分なので、唱えるのが違っても大丈夫とおっしゃってました。本当ですか?私が実家に帰った時に仏壇に手を合わせる時、仏壇は真言宗の形になってますが、手を合わせながら心の中で、南無妙法蓮華経と唱えるのはやめた方がいいですか? それと実家に帰れない間、日々毎日は心の中で母親に話しかけたいのですが、その時は南無妙法蓮華経と唱えてもいいでしょうか?母親が生前口にしてたお題目の事も無視出来ないなと思うとどんどん悩み出してしまいました。心の中で話しかける時、方角は気にしなくていいのでしょうか? このような無知な悩みで大変申し訳ございません。アドバイス頂けたら嬉しいです。宜しくお願い致します。

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属すべき仏教宗派が分かりません

見ていただきありがとうございます。 タイトル通りの質問をさせてください。 私は自分に(普通に生活をしているだけですが)仏教徒という自覚があり、 出来れば自分がどの宗派であるのかも名乗っておけるようになりたいのです。 私の母親(母方の家系)は曹洞宗であり、 父親は宗教全般が合わないと感じるのか無宗教を名乗っています。 私が継いでいるのは父方の家系なので、本来であれば 祖父(故人)の宗派である浄土真宗を名乗るべきなのでしょう。 しかし、浄土真宗は私と考えがあまり合わず、 葬儀での作法も少し面倒になるそうなので、親戚への負担を 考えると納得がいきません。 唯一父方の家系で生きている父方の祖母が天理教に傾倒しており、 会って口を開けばお前は馬鹿だという罵倒や学歴の話とマルチ商法などの 話ばかりをする人なので…連絡を取りたくないです。 父親も私も今はそれを避けるようにして父方の家系とは疎遠です。 そこで質問なのですが、 私はどの宗派を名乗り属せばいいのでしょう? 好きにしてしまってよろしいのでしょうか? 墓地や寺に関してはいつも宗派不問のところに お世話になっているので大丈夫そうなのですが。 可能ならば、考えが合う人や優しい人が多いと感じる 曹洞宗に属したいのですが…

有り難し有り難し 15
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日蓮宗は神社に行かない方が良い?

私は日蓮宗に お世話になっているのですが ある人から 「日蓮宗にお世話になっているから 神社には行かない方が良いよ」と 言われた事があります せっかく御加護を頂いているのに 神社に行くと 良くない物が頼って来るとの事でした。 とは言え 氏神神社は行った方が良いと思い お正月に歩いて行ける距離の 神社に伺いました そこはちょっと荒れた神社で 手水舎も使えない程でした 今日ネットで地元の氏神神社を探して 行くと クチコミはとても良い神社でしたが 行ってみると やはり荒れた神社でした こちらも手水舎も使える状態ではなく 午前中に伺ったのですが 受付の所も閉められて 空き箱等が散乱してる 神殿の横に お祓い等に使われる白いギザギザの紙がついた棒(すみません) 等がダンボールに他の物と 一緒置いてあったり おみくじにお金を入れても 壊れているのか 中に入ってないのか おみくじが出てこなかったり 地元の氏神神社に 行くと何故か この様な神社に遭遇します。 荒れた神社には行きたくありませんが 氏神神社を探して行くと 荒れた神社に行き着いてしまいます 市役所に電話して 地元の氏神神社を聞いては いませんが なぜでしょうか 荒れた神社に行ってしまいます 良くない物が着いてないか とても気になります

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宗派の戒律を守らなくてもいいですか?

夫が急死しました。 50歳前とまだ若かったため、葬儀や宗教のことなどあまりよく話あわないままでした。 葬儀に際して、夫の兄弟が宗派のお寺に連絡をとってくれて無事に葬儀は済みましたが、その後の法要をお願いするにあたり妻である私に入信するように言われ、夫の供養のためにと思い入信しました。 (結婚した当初に宗派の話はでましたが、戒律が厳しいので無理に入信しなくてもいいと夫に言われ、その時は入信しませんでした) 夫自身も特に熱心な信者ではなかったため(お寺には行かなくても、墓参りなどはまめに行き先祖供養には熱心でした)私もあまり夫の信心する宗派のことをよく知らないままでいました。 しかし葬儀を行い、その後の供養のことなど確認すると、他の宗派に比べて色々と違うことがあり戸惑うばかりです。 そもそも私自身にその宗派の教義に心打たれての入信ではないから、その決まりごとの多さがなんだか狭量な気がして仏様とはもっと心が広いものではないのかとなんだか悲しくなってしまいます。 とはいえ、若くして亡くなった夫のためにきちんと供養はしてあげたいとう思いも強いです。 四十九日も近づき、仮祭壇を返却する日ももうすぐです。 色々用意しなければいけばいのに、仏壇がその宗派専用のものでなければいけないとか、位牌はおかないとかの決まりごとがいちいち気になって気持ちが滅入ります。 供養は残されたものの気持ちなのだから、私の好きにしたらいいんだという思いと夫をきちんと供養してあげたいという気持ちがせめぎあって夜も眠れません。 どうしてもっと一般的な宗派を信心してくれなかったのかと今は亡き、夫の両親をうらめしく思う気持ちさえわいてきます。 熱心でなかったとしても夫が入信していた宗派の戒律を守り、そのしきたりに則って供養するのが正しいことでしょうか。 それとも戒律に違反しても私がこんなふうにしたい、というやり方で供養してもいいのでしょうか。 何卒ご教示ください。

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