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先祖供養したい

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義母が、ウチは無宗教と言っている事に、将来的な不安を感じます。

もともと義父は四男で分家しており、檀家ではないとは思うのですが、仮に義父や義母が亡くなった場合は位牌も要らないし念仏もいらないと義母に言われました。理由は、もともと仏事に興味がなく、値段も高額だからと。
ただ、墓は宗教を問わない墓地を購入済みです。

私は実家の田舎で、先祖供養は大切と仏事は欠かさない家で育ったので、義母の言葉に戸惑いを感じます。
義父の家は代々続く家で、真言宗の檀家だそうです。私の実家の母の家も真言宗で、義父から聞いた時に仏縁というのか分かりませんが、嬉しかったです。
でも、義母と夫もウチは分家だから本家が真言宗であるとかは全くどうでもよくて、亡くなったら全て無くなるのだからどこの寺も必要ないといいます。本家と分家は、仏教的に何も関係ない存在なんでしょうか?
義父と義母が亡くなった時を思うと、私はやはり真言宗でと思うのです。それは、私の勝手な思い込みですか?
私は、本当は本家のお墓まいりもしたいのですが、義母も夫も本家とは折り合いが悪くて付き合ってないから行かなくて良いと言います。
先祖あってこそ今の自分がいると思うので、やはり感謝の気持ちを夫の先祖にも伝えたいのですが、本家の墓参りをする以外に何か先祖供養する方法はないでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「無宗教」という宗教(生き方)

こんにちは、ご相談拝読いたしました。

宗教というものは生きる「宗」(中心)となるものですから、やはりご本人の意思が大切です。

「無宗教」と言う方は「今ある既存の宗教のどの生き方にも私はあてはまりません」という生き方なのであり、ある意味では「家の宗教は代々これだから私もそれで」という方よりも強く生き方を問い求めているのかもしれません。現時点では「自分教」といったところでしょうか。

さて、義実家のご両親にもしものことがあった場合ですが、これはもちろん本人の意思が尊重されるところではありますが、残された方々がどのような形で故人を送り出したいのかを話し合う事となります。喪主様を中心にお話し合いをするしかないのでしょう。もちろん本家が真言宗だったので、とりあえず真言宗でというのもご縁ですし、唯物論だったから直接火葬でよいと喪主様中心にまとまるのであればそれでもかまわないのかもしれません。

大事なことはいしまゆ様ご本人の信仰でございます。「先祖あってこそ今の自分がいると思う」といういしまゆ様のきもちはどこからどこにはたらきかけられているのでしょうか。それはお墓からでも、お骨からでも、義実家からでも、実家からでもなく、仏様としておはたらきになるご先祖様から直接いしまゆ様の心にはたらきが届いておるのではないでしょうか。
つまり、場所にとらわれることはありません。

いしまゆ様がご主人とよく話し合い自分たちの生きる宗となる宗教を選択し、ご自宅にご本尊を安置してそこでご供養なさればよいのです。ご先祖様は仏様としておはたらきですので、一つの場所に縛り付けられるものではありません。

しかし、人間というものはそこにもう故人がいないことはわかっていても、なぜか故人に遇うという意味でお墓の前に立ちたくなる時があることも事実です。
いしまゆ様がご親族の関係云々といった小さなカテゴリの話でなく、今まさにいのちをいただいているものの一人として、ご縁をいただいたご主人のご先祖のお墓参りをしたいというならば、個人の宗教行為として周りの方の理解を得るしかないのでしょう。

いずれにしても、ご自身の信仰を一番に大切に考えた上で、周りの方とはよく協議し、現実的な選択ができますことを念ずるばかりです。

奥歯に物が挟まったような物言いとなりましたが、それぞれの信仰・宗教・生き方が問われているわけです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

早速の返信をありがとうございます。
義母は、常日頃から「宗教じゃなくて自分自身を信じてればいいの!」と言っており、その強さに羨ましさもあります。ただ、私はそこまで自分自身を信じきれないし、無宗教と言われるとすごく心細いきもちがしていました。
ご回答の文章を何度も読み返し、自分が先祖供養を願うのは、ご先祖様が働きかけてくださっているからということに、とても感動しました。
そして、先祖供養する場所は問わないことにも深く安心しました。
今後は、夫が反対しなければ家に小さな仏壇を置くか、真言宗のお寺などでご先祖様に感謝を伝える事にしたいと思います。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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